世界有数の人口を誇る大国で、若者は熾烈な受験戦争を勝ち抜かなければならないインドでは、その教育熱の高さを反映し、教育を題材にした映画も多数作られている。「Taare Zameen Par」(2007年)、「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)、「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)などが代表例である。だが、2016年11月にクリーンズランド・インド国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2017年2月3日に公開された「Alif」は、マドラサーの教育を題材にした一風変わった映画である。マドラサーとはイスラーム教の教育機関であり、主にクルアーンの暗唱が教えられている。
「Alif」の監督はザイガム・イマーム。過去に「Dozakh」(2013年)を撮っている。キャストは、ニーリマー・アズィーム、ダーニシュ・フサイン、アーディティヤ・オーム、サウード・マンスーリー、バーヴナー・パーニー、イシャーン・カウラヴなどである。また、ジャヤー・バッチャンがナレーションを担当している。
ちなみに題名の「Alif(アリフ)」とは、アラビア文字の最初の文字である。映画の中では、この文字が教育の始まりを象徴している。
舞台はヴァーラーナスィー。ハキーム(伝統医)のラザー(ダーニシュ・フサイン)は、父親、甥で12歳の少年アリー(サウード・マンスーリー)、そして2人の姪と共に暮らしていた。そこへ、パーキスターンから、ラザーの姉ゼヘラー(ニーリマー・アズィーム)がやって来る。ゼヘラーは、生まれはヴァーラーナスィーだが、過去に起こった暴動の影響でパーキスターンに嫁いでいた。だが、パーキスターンでの結婚生活は苦しく、長らく故郷に帰りたいと思っており、やっとヴィザが下りたのだった。 ゼヘラーは、アリーがマドラサーに通っていることを知り、ラザーに彼を通常の学校に入れるように助言する。ゼヘラーは、アリーは医者になるべきだと言う。ゼヘラーに逆らえないラザーはアリーを学校に入学させる。英語がしゃべれないアリーは当初苦労するが、次第に学校生活に慣れていく。 ゼヘラーのヴィザの有効期間は3ヵ月のみだった。ラザーは何とかゼヘラーをこのままインドに引き留めるために警察に相談に行く。警察は、ゼヘラーを死んだことにできると言って5万ルピーの賄賂を要求する。ラザーは賄賂を払い、ゼヘラーの墓を作って死亡届を出す。 ラザーの姪シャミーマー(バーヴナー・パーニー)は、近所に住むジャマール(アーディティヤ・オーム)と恋仲になっていた。二人は詩作が好きで、詩を通して心を通わせた。だが、ジャマールはマドラサーの管理人になったこともあって、アリーがマドラサーを去って学校に入ったことに反対していた。シャミーマーとジャマールの縁談がまとまる直前に、ジャマールは、アリーを学校に入れたラザーの家の者とは結婚できないと言い出す。 それでもゼヘラーはアリーを学校に連れて行く。ゼヘラー自身は、不法滞在がばれて強制送還されてしまうが、15年後、アリーは見事医者になった。
インド人の間の固定観念として、イスラーム教徒の子供の大半は学校に行かずマドラサーへ行っているというものがある。マドラサーでは普通教育が行われておらず、イスラーム教に関する知識ばかりが詰め込まれる。そして、9/11事件後は、マドラサーこそが、イスラーム教過激派やテロリストを量産する温床のように捉えられてきた。だが、実際には、マドラサーに通うイスラーム教徒の子供は数%程度のようで、マドラサーでの教育も近代化が進められている。よって、マドラサーの教育やその実態に関しては、根拠のない偏見が広まってしまっていると思われる。
「Alif」は、どちらかといえば、そんな偏見に満ちた視線でマドラサーを見ており、マドラサーの教育には未来がないというメッセージがひしひしと感じられる。ただ、監督はイスラーム教徒である。自身がマドラサーで学んだ経験があるのか不明だが、もしかしたら彼もマドラサーに対して偏った見方をしている一人なのかもしれない。マドラサーの教育の近代化を訴える内容ならば大きな問題はなかったと思うが、マドラサーの教育を全否定し、一刻も早く子供を普通の学校に送ることを主張するのは、一方的かつ短絡的のように感じた。
ただ、マドラサーで学ぶイスラーム教徒の子供たちが、ヒンドゥー教徒や他のコミュニティーとは隔離されて育てられていることの問題点は鋭く突いていた。マドラサーで学ぶ主人公アリーは、元々頭脳明晰で、すらすらとクルアーンを暗唱できたが、世の中のことはほとんど知らなかった。なぜパーキスターンができたのか、英国はどこにあるのかなど、何も知らなかった。もちろん英語も話せなかった。その真偽はともかく、イスラーム教徒の子供たちとだけ接して教育を受けてきた子供たちが、大人になって、多様なインド社会にすんなり溶け込めるかどうか、はなはだ疑問である。
アリーを、マドラサーではなく学校に送ることを主張した張本人は、パーキスターンからやって来た叔母のゼヘラーであったのは興味深い点だった。ゼヘラーは、ヴァーラーナスィーで生まれたが、パーキスターンに嫁いだため、現在の国籍はパーキスターンであった。彼女がパーキスターンに嫁いだのは、過去にヴァーラーナスィーで起こった暴動が関係していると説明されていた。ヴァーラーナスィーでは1989年辺りから散発的にコミュナル暴動が起こっており、そのことを指していると思われる。だとすると、20年振りくらいに故郷に戻ってきた計算になるだろうか。ゼヘラーは、クルアーンの中で教育が非常に重視されていることを理由に、アリーに、今の世の中で必要な教育を受けさせることの重要性を説き、彼を学校に入学させるのだった。
ゼヘラーの対極に位置し、イスラーム教徒はマドラサーで学ぶべきと主張するのがジャマールであった。ジャマールは、恋人との結婚を蹴ってまでも、イスラーム教に身を捧げようとする。俗世の恋は一世限りのものだが、アッラーからの愛は最後の審判まで続くと洗脳されたのである。ラザーは、ジャマールと対立してでもアリーを学校に通わせ続けようとする。だが、なぜか次のシーンではアリーがマドラサーに強制的に引き戻されており、ゼヘラーによる介入を待つことになる。また、ラザーは警察に賄賂を渡してゼヘラーがインドに居続けられるようにしたはずなのだが、なぜか強制送還されてしまう。終盤の展開が急すぎて付いて行けなかった。
アリーを演じたサウード・マンスーリーや、その親友シャキールを演じたイシャーン・ガウラヴなど、子役俳優たちは合格点だった。ゼヘラーを演じたニーリマー・アズィームは、シャーヒド・カプールやイシャーン・カッタルの母である。何度も結婚と離婚を繰り返しており、派手な私生活を送っている印象がある。貫禄ある演技をしていた。ラザーを演じたダーニシュ・フサインは、ウルドゥー語の伝統話芸ダースターンゴーイーの復興に尽力したりする俳優で、いくつかのヒンディー語映画にも出演している。ニーリマーとダーニシュのキャスティングは非常に渋い。
「Alif」は、ヒンディー語映画界で最近流行の、教育を題材にした映画の一本だが、マドラサーの教育を取り上げている点でとてもユニークである。映画に込められたメッセージには、一般のインド人がマドラサーに対して抱く偏見を前提にしており、その真偽に踏み込む努力は感じられなかった。ただ、このテーマは今後も是非深掘りしていって欲しいものである。