ダシャハラーは、ヒンドゥー教三大祭のひとつに数えられる大きな祭礼である。アルファベットでは「Dussehra」、ヒンディー語の表記に使われるデーヴァナーガリー文字では「दशहरा」と書かれる。読み方が少し難しい語で、カタカナでは「ダシャラ」「ダシェラ」などとも書かれて一定しないが、表記を巡る不毛な争いに足を突っ込まないようにと、Filmsaagarでは敢えて便宜的にデーヴァナーガリー文字をサンスクリット語読みして「ダシャハラー」にしている。
ダシャハラー祭は、ヒンドゥー教の太陰暦で第7月にあたるアシュヴィン月の10日目に祝われる。雨季が明けた後の10月に祝われることが多い。その直前、アシュヴィン月の第1日から第9日にはナヴラートリ祭が9夜連続で祝われる。ナヴラートリ祭とダシャハラー祭は一続きの祭礼であり、セットで理解する必要がある。
ダシャハラー祭はインド全土で祝われるものの、地域ごとにその形は様々だ。別の名称もいくつかあり、たとえばドゥルガープージャー(Durga Puja)とか、ヴィジャヤダシャミー(Vijayadashami)などとも呼ばれる。
ダシャハラー祭の由来は主に2つある。ひとつはインドの二大叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子と関係している。ラーマ王子は、ランカー島の羅刹王ラーヴァナに妻のスィーターをさらわれるが、弟のラクシュマナや猿の将軍ハヌマーンなどの助けを借りてランカー島に攻め込み、ラーヴァナを退治する。ラーマ王子がラーヴァナを殺したのがダシャハラーの日で、それを記念するためにダシャハラー祭が祝われると説明される。
もうひとつの由来は、力の女神であるドゥルガーに関するものである。ドゥルガーは、水牛の姿をした悪魔マヒシャースラを退治したことで知られる。マヒシャースラは「男性に殺されない」という特別な恩恵を受けており、それを武器にして神々を打ち負かしてしまった。敗北した男性の神々は力を合わせてドゥルガー女神を生み出し、彼女に力と武器を与えた。ドゥルガーは9日間にわたってマヒシャースラとの死闘を繰り広げ、10日目に打倒した。
ダシャハラー祭をラーマによるラーヴァナの殺害と考えるにしろ、ドゥルガーによるマヒシャースラの殺害と考えるにしろ、両者には共通点があるのが分かるだろう。それは、善と悪の戦いにおける、悪に対する善の勝利である。ダシャハラーは、どういう形で祝われるにしろ、悪に対する善の勝利を祝い、今後も善が必ず悪に勝利することを人々の記憶に刻み込む性格の祭礼となっている。
また、「10」という数字とも縁の深い祭りである。アシュヴィン月の10日目に祝われる祭りだということもあるのだが、ダシャハラー祭にはそれ以外でも「10」という数字が付きまとう。たとえば、ラーヴァナは10の頭を持つ姿で描かれることが多い。これは、四方四隅の八方向に加えて上と下をも一度に見通せることを示す。つまりラーヴァナの10の頭は、世界でもっとも賢い存在のメタファーだと考えられている。また、ドゥルガー女神は10本の腕を持つ姿で描かれることが多い。これは、マヒシャースラと戦うために、神々から10の武器を授けられたことと対応している。
ダシャハラー祭は収穫祭でもある。雨季中に種がまかれた秋作物が収穫期を迎えるのがちょうどダシャハラーの頃となる。稲、トウモロコシ、大豆、綿花などが代表的な秋作物である。
ダシャハラー祭の祝い方も主に2つある。ラーマ王子の逸話の方を重視する地域では、ダシャハラーの日、ラーヴァナの大きな像を燃やす。多くの場合、ラーヴァナに加えて、弟のクンバカルナ、妹のメーガナーダの像も造られ、3体が順々に燃やされる。このクライマックスに向けて、ナヴラートリとダシャハラーの合計10日間を掛けて、地域の広場などで、「ラームリーラー」と呼ばれる地域市民参加型の「ラーマーヤナ」劇が行われる。ラームリーラーの会場では、「メーラー」と呼ばれる移動遊園地が設置されることも多い。日本の夜店に似た文化である。
特にドゥルガー女神が信仰されているベンガル地方などでは、ナヴラートリとダシャハラーは女神崇拝の期間である。女神崇拝の形を取るダシャハラーの祝い方は、特にドゥルガープージャーと呼ばれる。普段はヒマーラヤ山脈に鎮座しているドゥルガー女神が、この期間だけは人間世界に降臨するということで、人々は断食をして毎日女神の礼拝をすると同時に、地域ごとにドゥルガー女神の像を造って披露し合う。この期間に披露される女神像とその展示場はパンダールと呼ばれる。そして、ダシャハラーの日、その女神像を担いで街中をパレードし、最後には川に流す。
ヒンディー語映画の中にナヴラートリとダシャハラーが出て来る機会は多い。地域単位で祝われる華やかな祭りであるため、ダンスシーンとしてもよく使われる。たとえばグジャラート地方ではこの期間、ガルバーとダンディヤーというフォークダンスを踊る習慣になっており、グジャラート地方が舞台の映画では必ずガルバーやダンディヤーのダンスシーンが挿入されるといっていい(参照)。それ以外でも、コルカタが舞台の映画ではドゥルガープージャーの様子が必ず出て来るし、デリーなどが舞台の映画では、地域性を出すためにラームリーラーが活用されることが多い。また、移動式遊園地が出て来た場合、それはナヴラートリとダシャハラーの期間に行われるメーラーだと考えてまず間違いない。
ドゥルガープージャーが出て来る映画としては、「Kahaani」(2012年/邦題:女神は二度微笑む)が代表例である。この映画はコルカタを舞台にし、ナヴラートリとダシャハラーの期間に進行する。また、「Devdas」(2002年)の「Dola Re Dola」はドゥルガープージャーのダンスシーンで、マードゥリー・ディークシトとアイシュワリヤー・ラーイというインドを代表する美女2人が踊る豪華な場面となっている。
ラームリーラーが出て来る映画としては「Delhi-6」(2009年)や「Bhavai」(2021年)がある。これの物語はやはりナヴラートリとダシャハラーの期間に進行する構造となっている。特に後者は、ラームリーラー劇団内部の物語だ。ラームリーラーが主題のダンスとしては、「Swades」(2004年)の「Pal Pal Hai Bhaari」がある。
ヒンディー語映画にダシャハラーが出て来た際、気を付けて見て欲しいのは、これが悪に対する善の勝利を祝う祭りである点である。単なる盛り上げや地域色の醸成に留まらず、ストーリーの中にダシャハラー祭が持つ意義が巧みに織り込まれていることが多々ある。たとえば上に挙げた「Kahaani」では、ドゥルガープージャーの日に悪役が主役に殺され、ドゥルガーがマヒシャースラを退治する神話と重ねられていた。「Ra.One」(2011年)では、それを逆手に取って、ダシャハラーの日に悪役が登場する演出が敢えてなされ、「悪は毎回善に負けるかもしれないが、必ず蘇り滅びない」という斬新なメッセージが発信されていた。
ダシャハラー祭の理解は、勧善懲悪の価値観を発信することの多いヒンディー語映画の深い理解に欠かせない。特に映画の中にダシャハラー祭が登場した際、その意図を正確に読み取ってあげるのが大切だ。