
2026年5月22日公開の「Chand Mera Dil」は、学生結婚することになったカップルのその後の関係を描いた大人のロマンス映画である。「Chand」とは「月」という意味であり、主人公チャーンドニー(月光)の愛称でもある。「Mera Dil」は「私の心」という意味だ。
監督は「Meenakshi Sundareshwar」(2021年)や「Aap Jaisa Koi」(2025年)のヴィヴェーク・ソーニー。プロデューサーはカラン・ジョーハルなど。音楽はサチン=ジガル、作詞はアミターブ・バッターチャーリヤ。
主演は「Tu Meri Main Tera Main Tera Tu Meri」(2025年)などのアナンニャー・パーンデーイと、「Kill」(2023年/邦題:KILL 超覚醒)などのラクシャ。他に、パレーシュ・パーフジャー、マニーシュ・チャウダリー、イラーヴァティー・ハルシェー・マーヤーデーヴ、アースター・スィン、ヴィドゥシー・カウルなどが出演している。
ハイダラーバード工科大学に通うアーラヴ・ラーワト(ラクシャ)とチャーンドニー・プラサード(アナンニャー・パーンデーイ)は恋仲になる。チャーンダニーは妊娠し、一時は中絶を考えるが、経口中絶薬を飲む直前に考え直し、生むことを決める。アーラヴはチャーンドニーの決断を尊重する。
二人はまず、ウダイプルに住むアーラヴの両親、カマル(マニーシュ・チャウダリー)とヴァンダナー(イラーヴァティー・ハルシェー)に会いに行く。最初は歓迎されたものの、チャーンドニーが既に妊娠していることを知ると彼女は辱めを受け追い出される。デリーに住むチャーンドニーの母親ニヴェーディター(チャールー・シャンカル)も、大学生のアーラヴを最適な結婚相手とは認めなかった。
お互いの親から結婚を認められなかった二人は、大学の友人たちに祝福されながら仲間内で結婚式を挙げる。大学当局も二人の勉学継続を応援したが、寮には住めなくなった。そこで二人はキャンパスの外に家を借り、アーラヴは塾講師をして生計を立て始める。やがて二人には女児が生まれ、カーヴィヤーと名付けられる。
子育てをしながらの勉学は二人にとって困難を極めた。夜泣きで十分に眠れない日が続いた。おかげでアーラヴの成績は急降下する。チャーンドニーは子育て中の女性に優しい社会になってきたおかげで就職先を見つけることができた。だが、アーラヴがやっとのことで見つけた就職先は、彼の成績から考えると見劣りした。アーラヴは自分の失敗をチャーンドニーとカーヴィヤーのせいにし、手を上げてしまう。怒ったチャーンドニーはカーヴィヤーを連れて出て行ってしまう。
二人の間では離婚が進められていた。孤独なアーラヴは荒れた生活を送っていた一方、チャーンダーニーは、同僚かつ同じアパートに住むケヴィン(パレーシュ・パーフジャー)と仲を深めつつあった。見かねたカマル、ヴァンダナー、ニヴェーディター、そしてアーラヴの姉ナンダニー(ヴィドゥシー・カウル)は二人を仲直りさせようとするが、それがかえって逆効果となり、チャーンドニーはケヴィンとの結婚を宣言してしまう。
ショックを受けたアーラヴだったが、教え子から暴行を受けたことで目が覚め、心機一転して米国ミシガン州の大学に科学修士号を取得するため留学することを決める。ケヴィンとチャーンドニーの婚約式の日、アーラヴはチャーンドニーに会い、留学することを伝える。
米国留学したアーラヴは首席卒業し、インドに戻ってきた。大学の同窓会でアーラヴはチャーンドニーやカヴィターと再会する。チャーンドニーは、実はケヴィンとの婚約を破棄していたことを伝える。こうして二人は再び結ばれる。
2025年は、「Saiyaara」(2025年)などのヒットによってロマンス映画復権の兆しが感じられた。「Dhurandhar」(2025年/邦題:ドゥランダル作戦)と「Dhurandhar: The Revenge」(2026年)の大ヒットによってそのトレンドは塗りつぶされたように見えたが、2026年になっても「Chand Mera Dil」のようなロマンス映画が引き続き送り出されている現状は、やはりヒンディー語映画界においてロマンス映画が盛り返しつつあることを感じさせる。
映画の中で「現在」とされているのは2025年である。米国ミシガン州の大学を首席卒業した主人公アーラヴは、インドに住む「チャーンド」という女性と連絡を取り、同窓会までには戻ると伝える。この「チャーンド」は実は彼の元恋人かつ元妻のチャーンドニーであることが明らかにされるのが、2017年、アーラヴがハイダラーバード工科大学に入学したところから始まる回想シーンになる。
アーラヴとチャーンドニーの出会いから恋人になるまでは軽いノリでスムーズに語られる。時代を反映し、奥手な男性を進んだ女性がリードするタイプの始まり方だった。ここだけを見たらラブコメ映画なのではないかと感じられるほどだ。だが、すぐに映画はヘビーになる。チャーンドニーが妊娠し、アーラヴが彼女との結婚を決めるまではかなり一本道のロマンス映画であったが、子育てしながら学生生活を送る苦労がメインの話題になると、二人の仲はとたんにギクシャクしてきて、重い空気が流れるようになる。
恋人関係にあるとき、カップルは今後どのような困難に直面したとしても愛の力で乗り越えていけそうな自信に満ちあふれているものだ。だが、いざ結婚し、子供が生まれ、新たな責任が生じ、若者らしい夢や娯楽を犠牲にして生活費を稼がなければならなくなると、愛の力ではどうにもならないことが世の中にはたくさんあることに嫌でも気付かされる。最終的に二人は別居状態になってしまい、結婚から1年も経たない内に離婚が現実化する。
この失敗の責任は、決して片方にだけ求められてはいなかった。どちらにも責任があった。アーラヴを失敗に追い込んだのは、取るに足らない男性のエゴである。アーラヴはチャーンドニーとカーヴィヤーを養うために、大学での勉強に加えて塾講師をして生活費を稼いでいた。そんな多忙な大学生活を送っている彼の成績が維持されるはずがなく、目標としていた大手企業への就職に失敗し、小さなスタートアップ企業に就職するしかなくなってしまう。一足先に就職を決めていたチャーンドニーに比べても給料は下だった。これがアーラヴの尊厳を傷付け、チャーンドニーとカーヴィヤーさえいなければもっといい企業に就職できたはずだという根拠のない言いがかりにつながってしまった。そしてその言いがかりがチャーンドニーを傷付けたのである。
一方のチャーンドニーは、シングルマザーに育てられ、十分な愛情を受け取れなかったというトラウマに突き動かされていた。幼い頃、チャーンドニーは両親が口論する姿を何度も見ており、円満な家族に憧れていた。アーラヴにそれを求めたが、激昂し彼女につかみかかった彼の態度を見て、暴力的だった父親を思い出してしまった。アーラヴから距離を置いたチャーンドニーは、今度は同僚のケヴィンに円満な家族を求めようとする。だが、結婚後にケヴィンが豹変しないと誰が保証できようか。結婚前はアーラヴもとても優しかった。チャーンドニーの母親ニヴェーディターは、娘が同じ失敗を繰り返しそうになっているのに気付き、年長者としてアドバイスする。それがどこまで効いたかは不明だが、チャーンドニーはいったんケヴィンと婚約した後にそれを破棄する。
結婚を神聖視するインド映画には、恋愛と結婚が対立するとき、結婚前なら恋愛が勝ち、結婚後なら結婚が勝つという絶対的な法則がある。2000年代から2010年代にかけて、この法則は打ち破られていったが、それでもまだこの法則は完全に効力を失っておらず、たまに顕在化する。「Chand Mera Dil」もまさにこの法則に従ったロマンス映画だ。いったん結婚したアーラヴとチャーンドニーは、その後どんなに離れ離れの期間があったとしても、最終的にはよりを戻す。アーラヴが米国留学からインドに戻ってからの展開は完全に予想の範囲内に収まっており、何のサプライズもなかった。
この映画の美点は、恋愛関係のまま結婚生活を乗り切ろうとしてもうまくいかないという現実を若い観客に突き付けている中盤にある。出産の苦しみ、夜泣きによる寝不足など、かなり生々しい描写も目立った。この部分にもっとフォーカスしていればユニークなロマンス映画になったと思われるが、最後はお決まりの法則に収まっていたのは残念だった。
ラクシャは現在急成長中の男優だ。チャーンドニーから「普通の男性」と呼ばれていたため、業界内での彼の立ち位置は「普通の男性」を演じられる二枚目半の俳優といったところなのだろうか。凡庸な表情をしている場面が多かったが、これは彼の持ち味なのか、それとも演技なのか、判定できなかった。だが、少なくとも「Chand Mera Dil」の筋書きには最適な俳優だったといえる。
ラクシャよりもヒロインのアナンニャー・パーンデーイの方が格上の扱いである。これは、アーラヴがチャーンドニーよりも収入が低くなってしまったのと対応している。もしかしたらギャラもアナンニャーの方が高いかもしれない。おそらくそういう起用だったのだろう。「スターキッド」の一員に数えられているアナンニャーは、不幸なことに過小評価されがちな女優だ。だが、非常に安定した演技を見せており、キスをカジュアルにこなす大胆さやモダンな美貌もあって、実力のあるスター女優だと踏んでいる。「Chand Mera Dil」でも彼女が物語をリードしていた。
「Chand Mera Dil」は、お伽話的なロマンスを粉砕する中盤の超リアルな学生結婚生活が非常に斬新なロマンス映画だった。しかしながら、あまり新鮮味のない序盤と終盤にサンドイッチされており、結局は凡庸な作品に落ち着いてしまっていた。興行的には失敗と評価されている。決して完全な失敗作ではないが、もう少しひねった結末が欲しかった。
