
「Nukkad Naatak(路上演劇)」は、路上演劇をしてきた大学生たちがスラム街に繰り出しリアルな社会問題に直面し、その解決を模索するという内容の映画である。低予算のインディペンデント映画だが、2026年2月27日に限定公開されたときには満席が出るほど話題になった。同年4月24日からNetflixで配信開始され、再び注目を集めている。
監督はタンマヤ・シェーカル。インド出身、ニューヨーク在住の映画監督である。キャストは、モールシュリー、シヴァーング・ラージパール、ニルマラー・ハージラー、ダーニシュ・フサインなど。ダーニシュは著名な俳優および舞台監督で別格であるが、それ以外の俳優たちは全くの新人だ。
題名になっている「ヌッカル・ナータク」とは、路上で演じられる演劇のことである。その多くは社会問題を取り上げ人々を啓蒙する目的で演じられており、大学生などの若者が主体になっていることが多い。映画の中で路上演劇を演じていた人々は、黒いクルターに赤いストールという出で立ちであったが、実際にヌッカル・ナータクのパフォーマーたちはこのような特徴的なコスチュームを着ている。そして、ちょうど日本の落語家が扇子を使ってさまざまな表現をするように、彼らはストールをさまざまな物に見立てて演技をする。「Raanjhanaa」(2013年)でもインドの路上演劇文化が取り上げられていたのを覚えている人もいることだろう。
舞台はジャールカンド州ダンバード。名門工科大学ZITの3年生シヴァーング(シヴァーング・ラージパール)は、活動的な女性モールシュリー(モールシュリー)の立ち上げた路上演劇グループ「Abhay」の一員だった。Abhayは、大学演劇コンクール「Antragni」での優勝を目指して練習に励んでいた。また、シヴァーングはゲイであったが、カミングアウトできずにいた。
あるときモールシュリーは、大学の食堂で働くムクンドがオーナーから失敗を叱責され給料天引きを押しつけられているのを目撃する。彼女はムクンドを助けるため、シヴァーングと共に食堂から食料を盗み出し、彼に渡す。だが、窃盗行為が大学当局にばれ、モールシュリーとシヴァーングは退学処分になる。シヴァーングは親に失望され、故郷に呼び寄せられる。
だが、モールシュリーは諦めず、学長サンジーヴ・グプター(ダーニシュ・フサイン)に直談判する。グプター学長はモールシュリーとシヴァーングを、バーグラー・スラムに連れて行く。ムクンドはこのスラムに住んでいた。そして、このスラムの子供5人を学校に入学させることができたら退学を取り消すと約束する。
モールシュリーとシヴァーングはスラムの人々に子供を学校に送るように訴えるが、子供は乞食などをして日銭を稼ぐ大切な要員であり、二人の訴えに耳を傾ける者はいなかった。近くの学校へ行っても、校長は、どうせスラムの子供たちはすぐに学校に来なくなると言ってあまり親身になってくれなかった。
そこでシヴァーングは金の力で子供たちを無理やり学校に入学させようとする。退学処分になったため親から仕送りを止められており、口座の残金はゼロだった。そこでシヴァーングは、ゲイ向けライブ配信サイトでパフォーマンスをし投げ銭を稼ぐ。そしてそれを資金源にしてスラムの親に金を配り、1ヶ月でいいから子供を学校に送るように頼む。子供たちの学費もシヴァーングが肩代わりした。IDの問題があったが、これもグプター学長に助けてもらい、彼らは入学に必要なIDを得ることができた。
この強引な作戦は一応うまく行き、モールシュリーとシヴァーングの退学は取り消され、二人は大学に復帰する。シヴァーングはAbhayでの活動を休止しGRE(国内大学院・海外留学試験)の勉強に専念する。一方、モールシュリーはスラムの子供たちのことが気になって勉強に集中できなかった。特にムクンドの妹チョーティー(ニルマラー・ハージラー)のことを気に掛けていた。モールシュリーが学校に行ってみると、既にチョーティーは学校を辞めており、路上で乞食をしていた。チョーティーは授業に付いて行けず、クラスメイトからからかわれ、通学する気がなくなってしまっていた。そこでモールシュリーは自らチョーティーを教えることにする。
当初、モールシュリーはうまくチョーティーを教えることができずイライラしていた。だが、チョーティーが楽しめるように授業の仕方を変えると、彼女の向学心は上がり、覚えも早くなった。チョーティーは貧困証明書を自分で申請できるようにもなった。だが、母親に勉強していることがばれ、止められてしまう。
そこでモールシュリーはスラムでAbhayの仲間と共に路上演劇をし、教育の重要性を訴える。チョーティーが貧困証明書を自分で取得したことを知ったスラムの人々は学校に子供を送ることに同意し、モールシュリーはスラムで学校を始める。
シヴァーングも、GREで高得点を取ったことに自信を持ち、ゲイであることを受け入れ、友人ピーユーシュの立ち上げた同性愛者サークルに加入する。彼は自分と向き合う勇気を得る。ZITでの勉強を終え、シヴァーングは両親にゲイであることを打ち明けるために帰郷する。
路上演劇で社会を変えようと活動する若者たちの映画であったが、この映画自体がまた社会変革の起爆剤になるような作りになっている。最後には全てがうまく行く、理想主義的なストーリーではある。現実はそんなに甘くないと苦言を呈したくなる人もいることだろう。それは重々承知している。だが、それでも、現実の厳しさも十分に見せつけた上で、その理想の実現のために自分も何か協力したいという思いを観客に抱かせるような、希望に満ちた映画であり、これでいいと感じた。久々にこういう若者らしい純粋さやエネルギーに満ちた映画を観た気分になった。
映画は、シヴァーングの視点から、異常な行動力を持つモールシュリーとの思い出が語られる構成になっている。シヴァーングはゲイという設定であった。LGBTQの話題は主題から大きく外れるため蛇足に感じたのだが、モールシュリーを見つめる視線に恋心や性的な欲求などを混ぜないようにという配慮だったのかもしれない。シヴァーングとモールシュリーは純粋な友人同士であり、お互いにお互いを支え合っていた。二人は男女であったが、それは恋愛に発展しない、純粋な人間と人間の関係であった。確かにゲイという設定があったからこそ、この二人に透き通った関係性を持たせることができたのかもしれない。
さて、モールシュリーは路上演劇グループを率いており、シヴァーングはその一員だった。グループはさまざまな社会問題を取り上げて演劇にし、上演していた。だが、彼らの目標は大学演劇コンクールで優勝することだった。演劇の中には、問題提起と同時に問題解決も提示していたが、本当にそれによって社会が変えられるとは信じていなかったし、変えようともしていなかった。
そんな彼らが、大学キャンパスを出て、現実世界の問題と直面せざるをえなくなる。弱者救済を目的としていたとはいえ、二人は大学の食堂で窃盗をし、それが当局に見つかってしまった。当然、退学処分となったのだが、学長は話の分かる人で、最後のチャンスとして、二人に、スラムの子供たちを学校に入学させるというミッションを与える。それが達成されれば彼らの退学は取り消されるとのことだった。
モールシュリーもシヴァーングも、長いこと路上演劇を上演して社会問題に向き合ってきたが、スラムを訪れたのは初めてだった。学長から、どうやって社会問題について調べているのかと聞かれ、二人はネットや書籍を情報源として答える。いかに教育が現実から切り離されているのかが浮き彫りにされる。そして二人はスラムで生の貧困者と話し、教育の大切さを理解してもらうのが難しいかを実感する。同時に、大学で勉強できている自分たちの幸せにも気付いたに違いない。
それでも、二人の頭の中にまずあったのは、自分たちの退学を何とか取り消してもらおうという利己的な目的だ。5人の子供を学校に入学させるのがノルマだったため、金の力を使ってでもそれを達成しようとする。そしてそれは達成されもする。スラムで生まれ育った子供たちが学校に入学するためのIDすら持っていないという現実も突き付けられるが、それはミッションを与えた学長自身がIDを付与する権限を持つ高級公務員(Gazetted Officer)だったためにクリアされた。だが、そんなエピソードからも、スラムの子供たちに教育を受けさせるのがいかに難しいかを外国人の我々にも少し分からせてくれる。
とりあえず大学に復帰した二人だったが、特にモールシュリーの方は、それだけで満足していなかった。彼女の頭にあったのは、スラムで出会った、勉強したくてたまらない少女チョーティーだった。モールシュリーは世界を変えるために路上演劇をしてきたが、今の彼女には、一人の少女の人生を変える方が重要事項に思えていた。チョーティーはいったん学校に通い始めたものの、授業に付いていけず、いじめにも遭い、早々に通学をやめてしまう。そこでモールシュリーは自ら彼女を教え始めるのだ。
だが、教えるというのも簡単なことではなかった。当初、教師としてチョーティーの前に立ったモールシュリーは高圧的に接していた。チョーティーは縮こまってしまい、勉強にも身が入らなかった。そこでモールシュリーは教え方を変え、チョーティーが楽しんで文字を学べるように歌を作ったりする。これが功を奏し、チョーティーはすぐに読み書きを覚える。モールシュリーは確かにチョーティーを教えていたが、モールシュリーに教え方を教えたのはチョーティーであった。
それでもチョーティーの母親は娘が勉強することに反対だった。そこでモールシュリーは路上演劇グループをスラムに連れて行き、そこでスラムの人々に向けて教育の重要性を訴える演劇を上演する。チョーティーが読み書きできるようになり、自分で貧困証明書の申請もできたことを知ったスラムの人々はこぞって子供を学校に送ろうとする。貧困証明書(Below Poverty Line Certificate)を持っていると、配給で割引が得られたり、診療が無料で受けられたりする。スラムの人々もようやく、教育が人生を豊かにすることに気付いたのだ。
ベテラン俳優ダーニシュ・フサインのピンポイントの演技も素晴らしかったが、やはり新人俳優たちのフレッシュな演技がこの映画をすがすがしいものにしていた。モールシュリー役を演じた女優の本名もモールシュリーだが、彼女の表情や面構えはまさに路上演劇をしている若者のそれである。彼女が路上演劇をする姿は年季が入っており、実際に路上演劇をしてきた女優なのではないかと感じた。シヴァーング役の俳優もシヴァーング・ラージパールという。内気なゲイという役柄にピッタリな、少し奥手な感じのする男優であった。チョーティー役を演じたニルマラー・ハージラーはどう見ても本当のスラム出身者だ。実際にダンバードのスラムで撮影されたものと思われる。
「Nukkad Naatak」は、演劇で社会を変えようとする若者たちを真摯に描いた映画であり、この映画自体が社会を変えるためのひとつの運動である。理想主義的な物語ではあるが、決してお花畑だといって批判したくはならない。むしろ、世界を変えようと思ったら身近な小さなところから始めるべきということに気付かせてくれる。若々しいエネルギーをもらえる映画である。
