
2026年1月16日公開の「Rahu Ketu」は、インドの神話や占星術に登場するラーフとケートゥを擬人化して登場させたコメディー映画である。ラーフとケートゥは水星、金星、月などと共にナヴァグラハ(九曜)を構成する天体もしくは神である。ただ、実在する天体には対応していない。ラーフとケートゥは、太陽の通り道である黄道と月の通り道である白道の交点を具体化したもので、彗星とも関連していて、日食や月食を引き起こす存在だともされている。神話では、不老不死の霊薬アムリタを飲んだスワルバーヌという悪魔の首と胴体が切り離され、首はラーフに、胴体はケートゥになったとされている。よって、両者は別個体ながら一心同体と考えられている。
監督はヴィプル・ヴィグ。コメディー映画「Fukrey」(2013年)などを書いた脚本家であり、本作が初監督作品となる。
主演はヴァルン・シャルマーとプルキト・サムラート。両者とも「Fukrey」シリーズで知られる俳優たちだ。ヒロインは「Jayeshbhai Jordaar」(2022年)や「Maharaj」(2024年)に出演のシャーリニー・パーンデー。他に、ピーユーシュ・ミシュラー、チャンキー・パーンデーイ、アミト・スィヤール、マヌ・リシ、スミト・グラーティーなどが出演している。
ヒマーチャル・プラデーシュ州カソール在住のチュールー・ラール・シャルマー(マヌ・リシ)は、フーファー(ピーユーシュ・ミシュラー)から預かった「Atrangi Kahaniyan(類い稀な物語)」という書物を使って汚職撲滅をしようとした。その本は、書いたことが現実になる不思議な力を持っていた。チュールーはラーフ(ヴァルン・シャルマー)とケートゥ(プルキト・サムラート)という2人のキャラクターを生み出すが、彼らは怠け者かつ疫病神で、村にトラブルを引き起こしてばかりいたため、嫌われていた。
旅に出ていたフーファーがカソールに戻ってきて、チュールーの家を訪ねる。チュールーは、ラーフとケートゥが迷惑ばかり掛けていると悩みを打ち明ける。フーファーは本物のラーフとケートゥを呼び出し、彼らと融合させると同時に、物語にツイストをもたらすため、ミーヌー・タクシー(シャーリニー・パーンデー)という一人の女性を登場させる。ラーフは早速ミーヌーを見掛けてほれ込む。
ミーヌーは父親のリンゴ園で勝手に大麻の栽培を始め、地域を支配するイスラエル人マフィア、モルデカイ(チャンキー・パーンデーイ)に売り払おうとしていた。だが、父親に反対されたため口論になり、誤って父親を殺してしまう。ミーヌーは幼馴染みの警察官バンスィー(スミト・グラーティー)を呼び出し、もみ消しに協力させる。ミーヌーは父親の遺体を川に遺棄し、警察署に父親の捜索願を出しに行く。だが、その遺体はラーフとケートゥによって発見され、警察署に持ち込まれる。ミーヌーはディーパク・シャルマー署長(アミト・スィヤール)を色仕掛けで言いくるめて何とかその場を繕う。
ラーフとケートゥは逮捕されるが、ディーパク署長が収賄で貯め込んだ現金が燃えて灰になる。ディーパク署長とバンスィーがラーフとケートゥを搬送中、フーファーが現れ、謎を解き明かす。全てはチュールーが持つ書物に書かれたことに従って起こっていると知らされた彼らはチュールーの家に殴り込む。ところがその寸前に、バンスィーから話を聞いたミーヌーが書物を盗み出していた。
ミーヌーはチュールーを家から追い出して占拠し、書物を使ってラーフとケートゥを仲違いさせたり、モルデカイのマフィアを壊滅させたりした。そして、ラーフとケートゥを手下にして大々的に麻薬ビジネスを始める。だが、ラーフとケートゥは隙を見て書物を奪う。ラーフがミーヌーにほれていたために彼女に対して復讐はしなかったが、ディーパク署長は汚職により逮捕されそうになって逃亡し、バンスィーは狂ってしまう。そしてモルデカイはラーフとケートゥによって退治される。
フーファーは書物をラーフとケートゥに託し、再び旅に出る。行き先はムンバイーであった。
基本的にはチープなコメディー映画だ。物語が途中から始まって途中で終わるような中途半端な作りであったし、各キャラクターが有機的に配置されておらず、ストーリーが混沌としていた。全体のまとまりは悪かったが、各部分のコント劇には火力があり、一定の笑いは保証されている。観客に日々の雑事を忘れて笑って過ごせる時間を提供するという最低限の目的は達成されている。
脚本の詰めが甘く、細かいところがよく分からなかった。たとえば映画にはラーフとケートゥという2人のキャラが登場する。彼らは、書いたことが実際に起こる不思議な書物を使ってチュールーが作り出したのだった。チュールーは二人に汚職撲滅をさせたかったみたいだ。だが、生み出されたラーフとケートゥは単なる疫病神で、彼らが行くところでは建物が崩壊したり火災が発生したりと必ず不幸が起こった。ちっとも汚職撲滅のために働いていなかった。不思議な書物で書かれたことが実現していないではないか。初っ端から突っ込み所満載であった。
ややこしいことに、このラーフとケートゥに、ナヴァグラハの一員であるラーフとケートゥが乗り移るような形になる。そして、この神としてのラーフとケートゥが動くことで、イスラエル人マフィアのモルデカイや収賄まみれの警察官ディーパクなど、悪人たちが成敗される。よく分からないのは、彼らが不幸な目に遭った理由が、果たして自らの成した行為による「カルマ(業)」の結果なのか、それとも不思議な書物によるものなのか、というところだ。映画の中では何度も「カルマ」について触れられるのだが、なまじっか書物が存在し、それを利用して他人を懲らしめようとする者がいるために、どこまでが「カルマ」の効果で、どこまでが書物の効果なのか、頭が混乱するのである。それに、ヒロインのミーヌーも決して善人ではなかった。麻薬を栽培したり、書物を乱用したりしていた。だが、彼女は報いを受けずに済んでいた。
もっとも、作り手はそんな細かいところまで気にして作ってはいないようで、とにかく楽しくて笑えればいいではないかというノリで出来た作品だと感じた。また、冒頭でラーフとケートゥにまつわる神話について説明される動画があるが、これは明らかに生成AIで作られていた。近年ちらほらと生成AIを活用したインド映画が見られるようになってきたが、生成AIと分かるような形で使われると興ざめしてしまう。
そのような安っぽい映画であるため、後に残るものはほとんどないのだが、その中で印象に残ったのは、シャーリニー・パーンデーの演じたミーヌーだ。従来のヒロインの枠組みから大きく外れたキャラクターであり、それをシャーリニーが不思議なほど溌剌と演じていた。父親に内緒で大麻を栽培するヒロインなど聞いたことがない。しかも、書物を手にした途端、悪役のように振る舞う。バジャージのクルーザー型バイク、アヴェンジャーを乗り回し、純粋無垢なバンスィーをベッドに誘惑する。これほど破天荒なヒロインは前代未聞で、新境地を拓いていた。
そういうわけでシャーリニーがもっとも印象に残ったのだが、ラーフ役のヴァルン・シャルマー、ケートゥ役のプルキト・サムラートも好演していた。だが、フーファー役を演じた老練なピーユーシュ・ミシュラーの演技力が圧倒的だった。キャラクターにこれほど個性を吹き込むことのできる俳優はそういない。
「Rahu Ketu」は、インド神話に登場する変わり種の神様、ラーフとケートゥをモチーフにした、チープなコメディー映画である。個々のシーンで繰り広げられるコント劇にはつい笑ってしまうものが多いが、構成力が弱く、全体的に何だかよく分からない物語になっていた。それさえ目をつむることができれば、映画を観ている間、楽しく笑って過ごすことができるだろう。
