
「Hum Do Hamare Do」(2021年)は、主人公である孤児の男性が、目当ての女性と結婚するために、両親を偽造しなければならなくなるという物語だった。インドでは結婚が中心的な議題になる映画が多く、結婚の前には必ず何らかの障壁が立ちはだかるが、その障壁のアイデアは無尽蔵だと思えるほどで、次から次へと新たな結婚映画が量産されている。
2025年12月19日公開の「Durlabh Prasad Ki Dusri Shadi(ドゥルラブ・プラサードの再婚)」は、「Hum Do Hamare Do」と似たプロットの結婚映画だ。主人公の男性が目当ての女性と結婚するために、妻に先立たれた父親を誰かと再婚させなければならなくなるという物語である。
監督はスィッダーント・ラージ・スィン。「Good Newwz」(2019年)などで助監督などを務めてきた人物で、長編映画の監督は今回が初である。キャストは、サンジャイ・ミシュラー、マヒマー・チャウダリー、ヴョーム、パラク・ラールワーニー、プラヴィーン・スィン・スィソーディヤー、シュリーカーント・ヴァルマーなどである。
キャストの中ではマヒマーの出演が目を引く。マヒマーは1990年末から2000年代にかけて人気女優の一人であったが、2006年の結婚を機に出演作が減り、2016年以降はしばらく銀幕から遠ざかっていた。だが、「The Signature」(2024年)でカムバックし、以後、女優活動を活発化させている。
舞台はヴァーラーナスィー。ムルリー(ヴョーム)は、床屋をして生計を立てる父親ドゥルラブ・プラサード(サンジャイ・ミシュラー)と叔父ラームマンチ(シュリーカーント・ヴァルマー)と共に住んでいた。ムルリーの母親でありラームマンチの姉でもあるトリロッタマーは既に亡くなっており、男三人で暮らしていた。
ムルリーにはメヘク(パラク・ラールワーニー)という恋人がいた。メヘクの父親ブラジナーラーヤン・バールティー(プラヴィーン・スィン・スィソーディヤー)はサーリー工場の経営者で、裕福な生活をしていた。ブラジナーラーヤンは娘の恋人が床屋の息子だと知って怒る。また、バールティー家の女性たちは、メヘクが女性のいない家に嫁ぐことに反対だった。ブラジナーラーヤンはムルリーに対し、女性がいない家にメヘクは嫁がせないと宣言する。そこでムルリーは父親を再婚させ、家に新しい母親を呼ぶことにする。それを聞いたブラジナーラーヤンは、もしドゥルラブが再婚したらメヘクとの結婚を許すと約束する。
ムルリーはメヘクやラームマンチと共にドゥルラブの結婚相手を探すが、既に老年に差し掛かっていたドゥルラブと結婚してくれる女性はなかなか見つからない。そんなとき、ドゥルラブはヴァーラーナスィーのガートでバビター(マヒマー・チャウダリー)と出会う。ドゥルラブとバビターはかつて恋人同士であったが、ドゥルラブの父親が結婚を認めず、バビターは米国に渡ってそのまま帰って来なかったという経緯があった。バビターは独身のままで、米国で財を成し、ヴァーラーナスィーに戻って、貧しい子供に教育を施すNGOを運営していた。
バビターと再会したドゥルラブは彼女とデートをするようになる。ムルリーとメヘクもドゥルラブが相手を見つけたということで喜ぶ。ただ、ブラジナーラーヤンはタバコを吸うバビターを気に入らなかった。彼は、ムルリーとメヘクの結婚は認めるが、ドゥルラブとバビターの結婚は認めなかった。ムルリーは元々父親の再婚などどうでもよく、ドゥルラブとバビターはくっ付かないと言う。こうしてムルリーとメヘクの結婚式の準備が始まる。だが、それ以降もドゥルラブとバビターが密会を繰り返していることが問題視され、ムルリーとメヘクの結婚は中止される。
怒ったムルリーはドゥルラブやバビターを責める。だが、バビターから過去に二人の間で起こった出来事を聞いて同情し、一転して、ドゥルラブとバビターを結婚させると決意する。バビターも、直接ブリジナーラーヤンのところへ行って直談判する。ブリジナーラーヤンはすっかりバビターを気に入り、ムルリーとメヘク、ドゥルラブとバビターの結婚を認める。だが、今度はバビターがドゥルラブとの結婚を拒否する。ドゥルラブはバビターに面と向かってプロポーズし、彼女の心を射止める。
こうしてドゥルラブとバビター、ムルリーとメヘクの結婚式が同時に行われることになった。そこへついでにラームマンチも結婚相手を連れてやってくる。それは隣家に住むニバーであった。
「Durlabh Prasad Ki Dusri Shadi」で結婚の障害になったのは、嫁ぎ先に女性がいないという点であった。ムルリーは、父親ドゥルラブ、叔父ラームマンチと共に暮らしており、確かに女性はいなかった。彼らは家事を分担しながら生活していた。ムルリーの恋人メヘクの家族は、ムルリーが床屋の息子という点にも顔をしかめたが、ムルリーに娘を嫁がせることを拒否した理由として挙げたのが、ムルリーの家に女性がいないということだった。
懸念点は2つあった。ひとつは、メヘクが家事を一手に引き受けなければならなくなるのではないかということだ。ただ、姑などのいる家に嫁いだとしても下手をすれば嫁は家事は全て押しつけられる可能性があるのだから、これは屁理屈と見なされても仕方がない。もうひとつの懸念点は、婦人病など、女性特有の問題が発生したときに相談できる相手がいないということだった。これも理由として強力だとは思えなかったが、とりあえずこれらの心配があるためにムルリーはメヘクとの結婚を認められなかった。
ならばどこかから女性を連れて来ればいいではないか、ということで、妻を亡くして男やもめ状態のドゥルラブが再婚する戦略が浮上した。叔父のラームマンチも独身ではあったが、彼はマーングリクだったため、誰とでも結婚できるわけではなかった。よって、ドゥルラブの再婚相手を見つけるのが映画のメインテーマになる。本来なら、子供の立場からしたら父親が母親以外の女性と再婚するというのは複雑な心境のはずだ。だが、ムルリーにとってはメヘクとの結婚を実現するための前提条件になっていたため、何の疑念もなく父親の再婚相手を探そうとする。
当然、ドゥルラブのような初老の男性の再婚相手になってくれる女性はなかなか見つからない。万事休すかと思った矢先、ドゥルラブの人生に、かつての恋人バビターが現れるのである。バビターは独身を貫いていた。ドゥルラブとバビターが急接近し、結婚秒読みと見られたことで、ムルリーとメヘクの結婚は認められた。ただ、バレンタインデーにドゥルラブとバビターが公園をデートしているところをヒンドゥー教過激派によって録画され、それがSNSにアップロードされてバズってしまう。メヘクの父親ブリジナーラーヤンは、ムルリーとメヘクの結婚は認めるものの、ドゥルラブとバビターの結婚は認めなかった。家に女性がいなければ娘を嫁に出さないと言いながら、いざバビターが現れると、彼女は認めず、ムルリーとメヘクの結婚だけ認めるというのも変な話だ。結局、嫁ぎ先に女性を、という要望は何だったのだろうか。
バビター登場後は物語のフォーカスはムルリーとメヘクからドゥルラブとバビターに移り、彼らがどうなるのかが見守られることになる。最終的に問題になったのはバビターの気持ちだ。彼女はずっとムルリーとメヘクの結婚を成立させるための道具のように扱われてきた。もちろん、若いカップルの結婚に協力したい気持ちもあったと思うが、ドゥルラブからの本気のプロポーズが欲しいという乙女心も十分に理解できる。最後はドゥルラブが男気を見せ、バビターの前でひざまずき、指輪を渡して、結婚をお願いする。
若いカップルが結婚するために、壮年のカップルをくっ付かなければならないという展開は、インドでなければ生まれない発想ではなかろうか。よって、その発想の映像化を楽しむことはできた。ただ、監督が未熟なのか、会話やストーリー展開のテンポが非常に悪く、もどかしい時間帯が長かった。特にサンジャイ・ミシュラーは独特の間をうまく使って演技ができる俳優なのだが、冗長だったため、その味が損なわれてしまっていた。往年の女優マヒマー・チャウダリーを起用する必要性も感じなかった。
「Durlabh Prasad Ki Dusri Shadi」は、曲者俳優サンジャイ・ミシュラーの起用もあって、コメディー風味の味付けがなされた結婚映画になっている。若いカップルが結婚するために父親の再婚相手を探すというプロットはユニークである。マヒマー・チャウダリーの出演も、響く層には響くだろう。ただ、そもそも女性のいない家に娘を嫁がせたくないという謎の心配から物語が始まっており、違和感があるため、いまいち物語に入り込めない。その上、テンポが悪く間延びしており、映画としての完成度は低い。無理して観る必要のない映画だ。
