Bhagwat Chapter One: Raakshas

3.5
Bhagwat Chapter One: Raakshas
「Bhagwat Chapter One: Raakshas」

 2025年10月17日からZee5で配信開始された「Bhagwat Chapter One: Raakshas」は、19人の女性を青酸カリで殺害した連続殺人犯の逮捕と、彼に司法の場で罰を与えることに尽力をした警察官の物語である。実話にもとづく映画で、映画に登場する連続殺人犯のモデルになったのは、2003年から09年までの間に20人以上の女性を青酸カリで殺害したモーハン・クマール・ヴィヴェーカーナンド、通称「青酸カリ・モーハン」だ。ちなみに、ウェブドラマ「Dahaad」(2023年)も「青酸カリ・モーハン」をモデルにした作品だった。

 題名の「Bhagwat」とは、連続殺人犯を追う警察官僚の主人公の名前だ。「Raakshas」とは「羅刹」「悪魔」のことである。「Chapter One」とあるということは、当初からシリーズ化が計画されているということだろう。

 プロデューサーはハルマン・バーウェージャーンなど。監督は「The Film Emotional Atyachar」(2010年)のアクシャイ・シェーレー。主演を務めるのはアルシャド・ワールスィー。「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)や「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)のサーキット役で有名な俳優で、コメディアンの印象が強いが、実はシリアスな演技もできる。主演作「Sehar」(2005年)で彼が演じたハードボイルドな警察官役は今でも覚えている。だが、いかんせん、インド映画の世界では、一度特定のイメージが定着してしまうと、余程のことがない限り、それと同じような役柄しか回ってこなくなる。アルシャドはその罠にはまってしまった俳優といえるが、時々、このようなシリアスな役柄が回ってくるのは幸運といえるだろう。

 他に、ジテーンドラ・クマール、アーイシャー・カドゥスカル、ラシュミー・ラージプート、コーラル・バームラー、ターラー・アリーシャー・ベリー、デーヴァース・ディークシトなどが出演している。

 2009年10月。ウッタル・プラデーシュ州の警察官僚ヴィシュワース・バーグワト警部(アルシャド・ワールスィー)は暴力的な尋問をしたことで問題になり、ラクナウーからロバーツガンジに転勤となった。ロバーツガンジではちょうど、プーナムという若い女性が行方不明になったことで大騒ぎになっていた。イスラーム教徒の男性と駆け落ちしたのではないかとの疑惑が浮上し、コミュナル暴動の一歩手前になっていたのである。バーグワト警部はプーナムの父親に、15日以内にプーナムを見つけると約束する。

 バーグワト警部は、プーナムの携帯電話の通話記録から手掛かりを探す。通話記録から芋づる式に引き出されてきたのは、これまで行方不明になった多くの女性たちとのつながりであった。バーグワト警部は、これは駆け落ちなどの単純な事件ではないことを悟る。当初、人身売買関連の事件ではないかと予想し、実際に赤線エリア近くに住む女性写真家カヴィター・シャーストリー(コーラル・バームラー)の家宅捜索を行ったりするが、手掛かりは見つからなかった。

 ただ、カヴィターの携帯電話の通話情報から容疑者につながる情報が得られ、その人物はラージクマール(ジテーンドラ・クマール)だと特定される。バーグワト警部はカヴィターを囮に使ってラージクマールをおびき出し逮捕する。当初、ラージクマールは犯行を否認するが、彼の2人目の妻スミトラー(ターラー・アリーシャー・ベリー)を使って揺すったところ、自ら自供を始めた。

 ラージクマールの公判が始まった。ラージクマールは弁護士による弁護を拒否し、法律を勉強して自分で弁護を始めた。素人ながらラージクマールの弁論力は高く、検察官もたじたじとなる。だが、バーグワト警部は決定的な証人を見つける。ラージクマールに青酸カリを飲まされながら生き残った女性ミーラー(アーイシャー・カドゥスカル)を見つけ出すことができたのである。ミーラーの登場により、ラージクマールは嘘をつき通せなくなり、とうとう有罪が確定する。

 2000年代にインドを騒がせた「青酸カリ・モーハン」をモデルにした連続殺人犯を悪役に据えた警察ドラマであったが、あくまで実話にインスパイアされた作品であり、事件の忠実な再現ではない。たとえば、「青酸カリ・モーハン」が暗躍していたのはカルナータカ州であるが、「Bhagwat Chapter One: Raakshas」の舞台はウッタル・プラデーシュ州になっていた。青酸カリ・モーハンを逮捕したのも、映画ではヴィシュワース・バーグワトという名前の警察官になっていたが、実際にはナンジュンダ・ゴウダという警察官である。

 ただ、時代はそのままになっている。「青酸カリ・モーハン」が逮捕されたのは、映画の通り、2009年であった。この時代性は、警察の捜査を再現する際に重要だ。なぜならまだこの時代には現代ほど防犯カメラが普及していなかったからである。「青酸カリ・モーハン」は、標的にした女性と駆け落ちしてホテルに連れ込み、初夜を楽しんだ後、青酸カリを飲ませて殺していた。今ではどのホテルのロビーにも防犯カメラが設置されており、顔が割れるはずである。よって、現代に置き換えて映画化するのは難しい。そんなこともあって、「Bhagwat Chapter One: Raakshas」での捜査の主体は携帯電話の通話記録と昔ながらの聞き込み調査だった。

 映画の主な舞台となるロバーツガンジに着任したバーグワト警部は、プーナムという女性の失踪事件の捜査に乗り出し、そこから連続殺人犯ラージクマールにたどり着く。この過程が前半の軸になっていたが、それとは平行して、場違いなロマンスのシークエンスが度々差し挟まれる。舞台もヴァーラーナスィーになっており、こちらの主人公はサミールと名乗るイスラーム教徒男性と、ミーラーというヒンドゥー教徒女性だった。二人は恋に落ちるが、宗教が異なるため、家族から結婚は認められそうにない。そこでサミールはミーラーに駆け落ちを提案し、ダシャハラー祭の日に駆け落ちするのである。このサミールこそがラージクマールであった。ちなみに、ダシャハラー祭では「ラーマーヤナ」の悪役である羅刹王ラーヴァナの像が燃やされる。ラーヴァナはラーマ王子の妻スィーターを誘拐しランカー島に幽閉した。ラージクマールは、正体がばれた後、バーグワト警部から「ラークシャス(羅刹)」と呼ばれるが、これは明らかにラーヴァナと重ね合わせられている。

 ラージクマールの逮捕でも映画は終わらない。そこから舞台は裁判所に移り、裁判劇になる。なんとラージクマールは自分で自分の弁護を始める。彼は弁護士でも法学部卒でもなかったが、頭は抜群に良く、拘置所の中で法律書を熟読し、一夜漬けの知識で裁判を戦った。この辺りの描写は現実離れしており、この映画の弱い部分であった。ラージクマールの弁論は検察側が用意した証拠や証人を次々に無効化していった。このままではラージクマールは無罪放免されてしまうところだったが、バーグワト警部は生き残った被害者を見つけ出し、彼女に証人台に立ってもらって、ラージクマールの有罪を確定させるのである。実際、「青酸カリ・モーハン」の有罪を決定付けたのも、生き残った被害者の証言であったという。

 キャスティングに成功した映画であった。サミール/ラージクマール役を演じたジテーンドラ・クマールは、一見すると素朴な好青年の風貌をしている。それが最大限に活用され、ヴァーラーナスィーでのロマンス劇では、まさか彼が連続殺人犯だと観客から容易に察知されない仕掛けになっていた。ただ、意味深な映像は多かったので、鋭い人は勘付くことであろう。その後、サミールこそが連続殺人犯ラージクマールであることが判明すると、今度はジテーンドラの顔に悪魔的な陰影が宿る。元々演技力のある俳優であるが、彼の二面性を引き出し、それが映画の肝になっていた。

 もちろん、久々にシリアスな演技に挑戦できたアルシャド・ワールスィーにとってもこの映画は特別だったはずで、しっかりと隠れた持ち味を発揮していた。もっといろいろな役柄を演じさせてあげたい俳優だ。

 当初、プーナムの失踪事件はラブ・ジハードと関連付けられ、世間を騒がせていた。イスラーム教徒の男性がヒンドゥー教徒などの女性を口説き、改宗させ、結婚することで、イスラーム教徒人口を増やそうとしているという主張である。「ラブ・ジハード」という言葉は今でも使われ、イスラーモフォビア(イスラーム教嫌悪)を広めるツールになっているが、実はこの言葉の歴史は古く、個人的な調査によると、初出は2009年である。しかも、それはケーララ州で使われ始めた。よって、この映画の時代や場所とかなり合致している。

 ただ、結局この事件はラブ・ジハードとは関係がなかった。ラブ・ジハードと結びつけた物語であったがもっと社会的なメッセージが込められることになっただろうが、実際には猟奇的な連続殺人犯による単独犯行であり、社会的な文脈は薄い。

 「Bhagwat Chapter One: Raakshas」は、2009年に逮捕された連続殺人犯「青酸カリ・モーハン」と、彼を逮捕した警察官をモデルにして作られた犯罪映画である。コメディアン俳優の印象が強いアルシャド・ワールスィーをあえてシリアスな役柄で主演に据え、その一方で、好青年的な外見を持ちながら猟奇的な悪役もサラリとこなせるジテーンドラ・クマールを悪役に配置するという意外性あるキャスティングが功を奏し、緊迫感あるサスペンス映画に仕上がっていた。OTTリリース作品ではあるが、観て損はない映画だ。