8 Vasantalu (Telugu)

3.5
8 Vasantalu
「8 Vasantalu」

 2025年6月20日公開の「8 Vasantalu(8つの春)」は、2013年から20年までの8年間に及ぶ恋愛を描いたロマンス映画で、どちらかといえば女性視点の物語である。いくつか日本のモチーフが使われているのも日本人には興味深い。

 監督はパニーンドラ・ナルセッティ。音楽はヘシャーム・アブドゥル・ワハーブ、作詞はヴァナマーリ。キャストは、アナンティカー・サニルクマール、ラヴィテージャ・ドゥッギラーラ、ハーヌ・レッディー、サンジャナー・ハルダゲリ、カンナ・パスヌーリ、サミーラー・キショール、スワラージ・レッバプラガダ、スマント・ヴィラース・ニットゥルカルなどである。

 タミル・ナードゥ州ウダカマンダラム(ウーティー)在住のテルグ人女性シュッディ・アヨーディヤーは、空手家ラグナンダン(スワラージ・レッバプラガダ)の愛弟子であり、売れっ子作家でもあった。軍人だった父親は国境地帯で戦死しており、母親ヤショーダー(サミーラー・キショール)によって育てられた。アニーター(サンジャナー・ハルダゲリ)とカールティク(カンナ・パスヌーリ)は幼馴染みであった。

 2013年のある日、空手道場に米テキサス州のテコンドー・チャンピオン、ヴァルン(ハーヌ・レッディー)が道場破りにやって来て、シュッディが彼を撃退する。以来、ヴァルンはシュッディに惚れてしまう。

 シュッディはしばらくジャンムー&カシュミール州シュリーナガルに滞在することになったが、ヴァルンは毎日曜日に彼女を訪ね、最後に彼女に愛の告白をする。シュッディはそれに返答しなかったが、彼から鼻ピアスを勧められ、ウダカマンダラムに戻った後、彼女は気持ちを表すために鼻ピアスをする。ところが、ヴァルンはバークレー校の受験に不合格で、将来に悩んでいた。バークレー校にコネを持つ叔父から、娘のマッリカーとの結婚を条件にバークレー校への裏口入学を提案され、彼はそれを受け入れる。ヴァルンはシュッディに内緒で米国に去ろうとする。アニーターからそれを知ったシュッディはヴァルンを追いかける。だが、シュッディは彼の前で弱音を吐かなかった。

 シュッディは黒帯を取ったが、それと同時にラグナンダンは亡くなる。シュッディはラグナンダンの遺灰をガンガー河に流すため、ヴァーラーナスィーへ行く。そこで暴漢に襲われそうになるが、得意の空手で撃退する。

 ウダカマンダラムに戻ったシュッディは、アニーターの紹介でサンジャイ(ラヴィテージャ・ドゥッギラーラ)というテルグ語作家に会う。シュッディは彼の小説「ラーニー・マラーニー」を読んで感銘を受け、彼と会うようになる。シュッディはサンジャイに恋するようになる。だが、ヤショーダーはシュッディを大家族に嫁がせることを夢見ており、シュッディもそれをよく知っていた。サンジャイは孤児であり、家族はいなかった。ヤショーダーが病気で倒れたことをきっかけにシュッディは母親の勧めに従って、大富豪アルジュン・ヴァルマーの息子ヴィクラムとの結婚を受け入れることを決め、サンジャイを避けるようになる。

 日本でシューズデザイナーとして働いていたカールティクは、シュッディが自分の気持ちを犠牲にしてヴィクラムと結婚しようとしていることを知り、急遽インドに戻って、アニーターと共にヤショーダーを説得する。2020年1月、ヤショーダーはサンジャイに会いに行き、娘の事情を説明する。シュッディは、サンジャイが彼女に対する恋心をつづった手紙を読み、彼が8年前から彼女のことを思い続けてきたことを知る。シュッディはサンジャイを抱きしめる。

 テルグ語映画では、男性主人公が無敵の強さを誇り、絶対的な正義を体現するのが通例である。だが、「8 Vasantalu」にはそのような男性主人公は登場しない。むしろ、女性主人公シュッディが完全無欠の存在である。シュッディは、強く、賢く、そして美しい。黒帯間近の空手家であるし、若くしてベストセラー作家だ。しかも、「女性が美しいと、どんなに努力しても、どんなに才能があっても、美貌しか語られない」という贅沢な悩みをつぶやく。女性としてこれ以上何を望むだろうかというくらいの完璧な女性だ。「8 Vasantalu」は、そんな彼女の8年間の恋愛遍歴を追った作品である。

 この8年間でシュッディの前に現れる同世代の男性は主に3人である。ヴァルン、サンジャイ、そしてヴィクラムだ。さらに、恋愛対象ではないものの、空手の師匠ラグナンダンが、若くして父親を亡くしたシュッディにとって、父親的な役割を果たす存在であった。

 まずはヴァルン。シュッディの通う空手道場に道場破りにやって来たテコンドーのチャンピオンで、シュッディと対戦して負けたことで彼女に恋してしまう。ヴァルンは将来音楽の道に進むことを志望しており、名門バークレー校への入学を夢見て勉強中だった。シュッディは一時シュリーナガルに滞在するが、彼は毎日曜日律儀に彼女を訪ねて誠意を見せる。シュッディの心も彼に傾く。だが、あまりにシュッディに入れ込んでいたために勉強が疎かになり、ヴァルンはバークレー校の入学試験に落ちてしまう。バークレー校入学は父親の夢でもあり、絶対に失敗してはいけなかった。ヴァルンは、バークレー校に裏口入学できるコネを持っている叔父に助けてもらうことにするが、その代わり、叔父の娘マッリカーと結婚しなくてはならなくなった。ヴァルンは悩んだ挙げ句シュッディを捨てる選択をした。

 これまでの人生で恋愛から距離を置いてきたシュッディにとってヴァルンは初めて心を許すことのできた男性だったと思われる。だから、シュッディほど強く賢く美しい女性であっても、ヴァルンに避けられ、最終的に捨てられたことのショックは大きかった。それでも、別れ際に彼女は彼の前で泣き言を言わなかった。むしろ、ヴァルンなしでも強く生きていくことを宣言し、彼を送り出す。

 まだヴァルンから受けた傷が完全に癒えきっていない内にシュッディは敬愛する師匠ラグナンダンを病気で失う。シュッディはラグナンダンの遺灰をガンガー河に流すためにヴァーラーナスィーを訪れ、そこで黒帯としての意地を見せて、彼女を襲おうとした暴漢たちを一人で撃退する。

 次にシュッディが出会ったのはテルグ語作家サンジャイだった。シュッディは当初からサンジャイに運命を感じていたわけではなかったが、彼の作品を読んで気に入り、彼と会うようになる。

 ただ、ここまでのストーリー展開はどうもあっちに行ったりこっちに来たりで一定せず、一体何が軸になっている映画なのかはっきりしなかった。ヴァルンとの恋愛物語かと思ったら中盤で彼は表舞台から退場するし、後半から登場のサンジャイも当初はパッとしなかった。向かっている方向が分からない、脚本段階で失敗している映画のように感じながら観ていた。

 サンジャイと何度も会う内に彼に惹かれるようになったシュッディは、彼の前で「あなたと結婚する女性は幸せね」という、プロポーズとも取れる発言をする。だが、サンジャイが孤児であることを知ると、彼の心にブレーキが掛かる。なぜなら母親は彼女を由緒ある大家族に嫁がせようとしていたからだった。折しも、彼女に決断を促す2つの出来事が起こった。ひとつは、母親が倒れてシュッディは結婚を焦るようになったこと、もうひとつは、大富豪の息子ヴィクラムとの縁談が舞い込んだことだった。シュッディは、ヴィクラムからされたことをサンジャイに対して行う決断をした。すなわち、自分の気持ちを犠牲にして母親の気持ちを優先しようとしたのである。

 ここまで来ても、「8 Vasantalu」の脚本に軸がないように感じていた。あまり脈絡のない出来事が次々に起こっている感覚だった。だが、終盤になって、サンジャイの視点から過去8年間が語られることになると、ようやくこの映画に一本のしっかりした芯が見えるようになる。実はサンジャイは、ヴァルンが道場破りに来たときに彼と対戦して負けた新米であった。そのときシュッディに助けてもらったことで、彼女に憧れるようになる。だが、ずっと勇気が出ず、彼女に話し掛けることもできなかった。だが、サンジャイは、シュッディの詩集を読み、作家になって彼女と対等の存在になれば、彼女と話せるのではないかと考え、必死に小説を書き始める。それが実を結び、彼の作品は人気になって、「売れっ子作家」として彼女の前に再登場することができた。「8つの春」という題名は、シュッディにとっての8つの春というよりも、シュッディのことを想い続けてきたサンジャイにとっての8つの春だったのだ。

 最後の最後でサンジャイ視点の手紙によって物語をまとめ上げる手法には一本取られた思いだった。ただ、それでこの映画が無謬になったわけではない。もっとも引っ掛かったのは、ヴァルンやシュッディが年齢の割には全くお金に困っていなかったことだ。もちろん、各家庭が裕福ということなのだろうが、20代そこそこでこれほど悠々自適に生活し、自分のやりたいことに集中できている若者はごく少数であり、彼らの存在は地に足が着いていなかった。ついでにいえば、主人公のシュッディをここまで完璧な人間にする必要性も感じなかった。

 パニーンドラ・ナルセッティ監督が親日的な人物なのかは不明だが、「8 Vasantalu」の中には日本のモチーフが無視できないほど多く登場する。シュッディが空手家という設定からまず日本贔屓を感じずにはいられない。道場には「帝在戦場(常在戦場の誤りか)」「七転び八起き」といった日本語の標語が掲げられ、シュッディの精神の乱れを確かめるために、半紙に「○」を書く「円相」と呼ばれる禅宗の修行が行われる。シュッディ役を演じたアナンティカー・サニルクマールやその他の訓練生たちの身のこなしは、格闘技にうるさい日本人の目からしたら全くなっていないだろうが、さんざんインド映画の「なんちゃって日本」を見せられてきたインド映画ファンからしたら、努力は感じる。その他にも、シュッディの親友カールティクがシューズデザイナーとして日本にインターンに行くという設定があった。「Shree 420」(1955年)の「Mera Joota Hai Japani(私の靴は日本製)」も意識しているのかもしれない。また、セリフの中に「ヒロシマ」や「新幹線」といった日本関連キーワードが出てきた。

 テルグ語映画なのに舞台がウダカマンダラム(ウーティー)というのは不思議だった。ウーティーはタミル・ナードゥ州随一の避暑地であり、タミル語映画やヒンディー語映画など、多くのインド映画でロケ地として活用されてきた。ウーティーにはまとまった数のテルグ人コミュニティーがあるのだろうか。ちなみに、シュッディの家はどうやらウーティーで茶園を営んでいるようであった。

 「8 Vasantalu」は、8年間という時間の中で育まれる恋愛を描いたロマンス映画だが、序盤から中盤まではゴールが見えない散漫な展開が続く。基本的には女性主人公シュッディの視点からこの8年間が描かれるが、終盤になってそれがひっくり返される爽快さがある。それがあるおかげで全体が一応のまとまりを見せ、一本の作品として成立している。良作である。