インドにおいて「愛」を表す言葉はいくつもあるが、もっともよく使われる単語に「इश्क़」がある。これはアラビア語からペルシア語を経由してヒンディー語などに入ってきた単語であり、この言葉の裏にはイスラーム世界で考えられている「愛」の哲学が横たわっている。
具体的にいえば、イスラーム世界では愛に2つの種類と複数の段階があると考えられている。
2種類の愛とは、以下の通りである。
- इश्क़-ए-मजाज़ी/Ishq-e-Majazi/空想の愛
- इश्क़-ए-हक़ीक़ी/Ishq-e-Haqiqi/真実の愛
前者の「Ishq-e-Majazi」とは世俗的な愛であり、つまりは男女の恋愛である。後者の「Ishq-e-Haqiqi」とは形而上学的な愛であり、つまりは神様に対する愛である。人は後者の愛に至るべきであるが、その前段階として世俗的な愛を実践することが推奨される。
そして、愛の段階の数は14とも11とも7ともされるが、イスラーム教やスーフィズムと共にインドに伝わったのは主に「愛の7段階」という考え方である。この哲学は、インドの文学のみならず、ヒンディー語のロマンス映画にも強い影響を与えている。よって、ここでは「愛の7段階」に限定して説明したい。
インドで一般的に知られている愛の7段階とは以下の通りである。
- दिलकशी/Dilkashi/魅惑
- उन्स/Uns/執着
- इश्क़/Ishq/愛
- अक़ीदत/Aqidat/尊敬
- इबादत/Ibadat/崇拝
- जुनून/Junoon/狂気
- मौत/Maut/死
マニ・ラトナム監督の「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)は、ストーリー自体がこの7段階を経ていることが指摘されている。シャールク・カーン演じるアマルは、マニーシャー・コーイラーラー演じるメーグナー/モイーナーと偶然に出会い、心を引かれ、彼女を追い掛けるようになる。彼女がテロリストであることが分かった段階で彼の彼女に対する愛は狂気にまで発展しており、最後には彼女と一緒に爆死する。

「Dil Se..」の挿入歌は作詞家グルザールが本気を出して書いたとされ非常に難解であるが、その分その読解に成功すれば映画がどれだけ深いこだわりと共に作られていたのかが分かる仕組みになっている。特に中盤に差し挟まれる「Satrangi Re」は、まさに愛の7段階がそのまま歌詞になっており、ストーリー全体の要約にもなっていることで知られる。
ここでは、「Satrangi Re」を例文にして愛の7段階を解説していく。ちなみに、「Satrangi」とは「7色」という意味で、一般的は虹を構成する7色または虹そのものを指す。確かにマニーシャー・コーイラーラーは順に7色の衣服を着て踊る。だが、それだけでは浅い理解になってしまう。やはり愛の7段階を意味していると捉えるべきである。
1. 魅惑
دلکشی
愛の最初の段階として、人は誰かに心引かれることになる。これが「Dilkashi」の段階である。それは自発的なものではなく、外的なものであり、意図的なものではなく、突発的なものであり、人はそれに抗うことはできない。これが愛の長い旅路への入口となる。
「Satrangi Re」には以下の歌詞がある。
कोई नूर है तू क्यों दूर है तू
जब पास है तू एहसास है तू
कोई ख़्वाब है या परछाई है
お前は光か、なぜ遠いのか
お前が近くにいても、感覚しかしない
夢なのか、影なのか
蛾が光に集まるように、歌い手は「お前」に心引かれる。遠くにいるようで近く、近くにいるようで遠い。魅惑された状態を表している。
また、何度もリフレインされる歌詞に以下のようなものがある。
इश्क़ पर ज़ोर नहीं है यह वह आतिश ग़ालिब
जो लगाए न लगे और बुझाए न बने
愛に無理は禁物だ、ガーリブよ
付けても付かず、消しても消えない火だ
「Satrangi Re」の歌詞はグルザールが書いたものだが、この部分だけは、ウルドゥー語文学を代表する詩人ミルザー・ガーリブ(1797-1869年)の詩の一節であり、詩文中に突然出て来る「ガーリブ」もこの詩人のことである。愛は無理に沸き起こすこともできないし、ひとたび燃えあがってしまった愛を消すこともできないという、制御不能の愛の状態を言い表している。
2. 執着
انس
次の段階として、心引かれた対象が常に心から離れなくなり、執着するようになる。四六時中その人のことを考えていなければ心が落ち着かなくなるが、その人のことを考えていてもやはり心は落ち着かない。これが「Uns」の段階である。日本でいう「恋の病」とはこの状態のことを指すかもしれない。
「Satrangi Re」には以下の歌詞がある。
आँखों ने कुछ ऐसे छुआ, हल्का हल्का उन्स हुआ
हल्का हल्का उन्स हुआ, दिल को महसूस हुआ
目が触れた、軽い執着が生まれた
軽い執着が生まれた、心が感じた
魅惑された状態から執着の状態へと進んだ様子が歌われている。
3. 愛
عشق
「Uns」の段階からさらに進むと「Ishq」、つまり「愛」の状態になる。これは愛が成就した状態と捉えてもいいだろう。愛する人を手に入れたことで、前段階とは違って心は一時的に平静を取り戻すものの、新たに不安定な精神状態も生む。愛は喜びだけではなく悲しみや痛みももたらすし、身体的な結合は興奮や高揚にもつながる。
「Satrangi Re」では以下の歌詞がある。
तेरी जिस्म की आँच को छूते ही
मेरे साँस सुलगने लगते हैं
मुझे इश्क़ दिलासे देता है
मेरे दर्द बिलखने लगते हैं
お前の身体を触るや否や
私の息から煙が上がり始める
私を愛が慰めてくれる
私の痛みは泣き始める
愛が成就した段階の心情をよく表現した歌詞だ。前段階では目でしか触れなかった愛する人の身体に今では触れている。愛の成就によって心は慰められるが、愛する人との身体的な結合は息から煙が出るほど興奮を催すものでもあり、また愛する人との別離は新たな苦しみや痛みも生む。
4. 尊敬
عقیدت
愛が深まることによって、次の段階、「Aqidat」へ進む。これは「尊敬」または「信頼」と訳すことができる。尊敬は相手への信頼がなければ生まれないし、信頼は相手への尊敬がなければ生まれない。絶対的に相手を信頼し、相手の全てを認める段階である。
「Satrangi Re」では以下の歌詞がある。
तू ही तू तू ही तू जीने की सारी ख़ुशबू
तू ही तू तू ही तू आरज़ू आरज़ू
छूती है मुझे सरगोशी से
आँखों में घुली ख़ामोशी से
お前だけだ、お前だけが生きる支えだ
お前は香りであり、望みだ
お前はささやきで私に触る
お前は沈黙で目に溶け込む
この部分には五感に関係ある語彙が並んでおり、全感覚を相手に捧げている様子が見て取れる。それは尊敬や信頼といった言葉に置きかえることができるだろう。
5. 崇拝
عبادت
相手への尊敬や信頼が高まることで、その思いが「崇拝」へと変化するのにも時間は掛からない。これが「Ibadat」の段階である。愛する人は神と同一視されるようになり、ひたすら帰依することになる。
「Satrangi Re」では以下の歌詞がある。
मैं फ़र्श पे सजदे करता हूँ
कुछ होश में कुछ बेहोशी से
私は床の上で礼拝をする
意識があるときも意識がないときも
もはや寝ても覚めても相手を崇拝し礼拝する状態になっている。
6. 狂気
جنون
愛する人は神同然の存在となり、意識があるときもないときもただひたすらあがめるようになる。その結果、世間体や常識はどうでもよくなり、友人や家族すらも無意味となり、ただひたすら愛の道を突き進むことになる。これが「Junoon」であり、狂気の段階である。
「Satrangi Re」では以下の歌詞がある。
तेरी राहों में उलझा-उलझा हूँ
तेरी बाहों में उलझा-उलझा
सुलझाने दे होश मुझे
तेरी चाहों में उलझा हूँ
お前の道の中に私はもつれこんでいる
お前の腕の中に私はもつれこんでいる
意識よ、私を解放してくれ
お前の欲望の中に私はもつれこんでいる
狂気の中でもがき苦しむ様子が伝わってくる。そして以下の歌詞が続く。
मेरा जीना जुनून मेरा मरना जुनून
अब इसके सिवा नहीं कोई सुकून
生きるのも狂気、死ぬのも狂気
もはやそれ以外に平安はない
幾ばくか残っていた正気も完全に失われ、今や狂気の中で愛する人と究極の一体化を求めるようになる。
7. 死
موت
そして「Maut」、つまり「死」の段階に至る。死とは、愛する人との合一であり、愛との完全なる一体化である。そして究極的には神とひとつになることでもある。愛の究極は死なのである。
「Satrangi Re」は以下の歌詞で締めくくられる。
मुझे मौत की गोद में सोने दे
तेरी रूह में जिस्म डबोने दे
私を死の懐で眠らせてくれ
お前の魂に身体を沈ませてくれ
こうして「魅惑」から始まった愛の旅路はさまざまな段階を経て、最後に「死」へと至って終わりとなる。
愛の7段階はインドで作られる多くのロマンス映画で踏襲されている。日本を含む世界各国の神話伝承や文芸作品にも死でもって終わる恋愛物語は少なくないが、それは一般的に「悲恋」とされ、ひとつのジャンルになっている。成就する恋愛を正とすれば、成就せずに心中で終わる恋愛は負である。
ところが、インドでは愛の最終段階を「死」としている以上、心中などの死でもって締めくくられるロマンス映画は必ずしも「悲恋」とはされない。それは愛の究極であり、ある意味で達成なのである。インドには恋に狂った主人公の物語も数え切れないほど多くあるが、それらも必ずしも不幸な物語と捉えるべきではない。狂気も愛が到達するべき高位の段階だからだ。
「Dil Se..」は筋書きから歌詞まで愛の7段階にのっとって意図的に作られた作品であるが、他にも多くのロマンス映画にこの愛の7段階を見出すことができる。イムティヤーズ・アリー監督の「Rockstar」(2011年)、サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督の「Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela」(2013年/邦題:ラームとリーラー)、アーナンド・L・ラーイ監督の「Raanjhanaa」(2013年/邦題:ラーンジャナー)などが典型例である。
また、死や狂気に至らないまでも、その前段階の愛の状態を映画化しているのが、その他のライトでハッピーエンドなロマンス映画だと見なすことも可能である。そうなると、インドのロマンス映画はこの7段階をそのまま7分類として整理できるかもしれない。