
2025年3月14日からJioHotstarで配信開始された「Aachari Baa」は、アチャール(漬物)作り名人のお婆さんがムンバイーに住む息子と孫を訪ねるファミリードラマである。タミル語映画「Appatha」(2023年)のリメイクだ。題名の「アーチャーリー」は「師」という意味だが、これに「アチャール」を掛けてあると解釈していいだろう。「バー」はグジャラーティー語で「お母さん」という意味である。
監督は「Amar Prem Ki Prem Kahani」(2024年)のハールディク・ガッジャル。キャストは、ニーナー・グプター、ヴァトサル・セート、マーナスィー・ラチュ、カビール・ベーディー、アプールヴァー・アローラー、ゴーパール・スィンなどが出演している。
グジャラート州ラーパル在住の65歳女性ジャイシュナヴィー(ニーナー・グプター)は、若い頃に夫を亡くしており、一人で住んでいた。ムンバイーに住む息子ケータン(ヴァトサル・セート)や孫カウシャルからの連絡を待ちながら毎日暮らしていたが、10年も会っていなかった。ジャイシュナヴィーはアチャール作りの名人で、近所の親友シャールダーやルーパーと共にアチャールを作って売っていた。
ガネーシュ・チャトゥルティー祭の前にケータンから電話があり、ムンバイーに来るように誘われる。ジャイシュナヴィーは喜び勇んでムンバイーを訪れる。ケータン、妻マノーラマー(マーナスィー・ラチュ)、そしてカウシャルは高級ソサエティーに住んでいた。マノーラマーは息子家族との久々の再会を喜ぶ。ところがケータン、マノーラマー、カウシャルはガネーシュ・チャトゥルティー祭の長期休暇を使ってダージリン旅行を計画していた。彼らはジェニーという犬を飼っており、ケータンは母親に留守中ジェニーの世話を頼む。せっかくケータンやカウシャルと一緒に暮らすことを楽しみにしていたが、ジャイシュナヴィーは苦手な犬と共にムンバイーに取り残されてしまった。
それでも、ソサエティーの人々は皆、ジャイシュナヴィーに優しかった。ジャイシュナヴィーのアチャールの腕前はすぐに広まり、ソサエティーの自治会長ブリジェーシュ・マロートラー(カビール・ベーディー)を中心にジャイシュナヴィーのアチャールをもっと広く販売する企画を立ち上げる。彼女のアチャールは「アーチャーリー・バー(漬物母さん)」と名付けられた。ちょうどフード・フェスティバルがあり、ジャイシュナヴィーは自慢のアチャールを出品する。だが、審査員にはその味を認めてもらえなかった。また、ジャイシュナヴィーは一緒に過ごしているうちにジェニーととても仲良くなる。
9日間のバカンスが終わり、ケータンたちが帰ってくる。だが、ケータンは勝手にフード・フェスティバルに出場した母親をとがめる。ショックを受けたジャイシュナヴィーはラーパルに帰ることを決意する。
ラーパルでジャイシュナヴィーは「アーチャーリー・バー」の販売を続け、繁盛する。村の女性たちに雇用を創出したことで、ロンドンからスピーチの依頼も来る。ジャイシュナヴィーの人生は一気に開けた。
「English Vinglish」(2012年/邦題:マダム・イン・ニューヨーク)に似た、主婦のアイデンティティーを巡る物語であった。「English Vinglish」の主人公シャシはラッドゥー(団子)作りの名人だったが、「Aachari Baa」の主人公ジャイシュナヴィーはアチャール作りの名人だった。詳しく語られてはいなかったが、彼女は若くして夫を亡くした後、アチャールを売って生計を立て、息子ケータンを育て上げたのだと予想される。だが、ムンバイーで就職したケータンは仕事や結婚生活に追われる中でほとんど帰郷しなくなり、ジャイシュナヴィーは寂しい毎日を送っていた。ケータンは母親のアチャール作りにも理解がなかった。
もうひとつ、アイデンティティーという観点でジャイシュナヴィーに劣等感を抱かせていたのが名前だった。実はジャイシュナヴィーの本名はマノージであった。マノージはインド人男性によくある名前だ。決して女性名ではない。男児を望んだ両親が、女児が生まれたにもかかわらず男性名を付けてしまい、彼女は生涯ずっとそのことに心に病んできた。「ジャイシュナヴィー」は女の子らしい名前がほしくて友達に考えてもらったものだった。
この名前に関するエピソードは伏線になっていた。ケータンの家で飼われている犬の名前はジェニーだった。ジェニーは女性名であり、ジャイシュナヴィーもその犬をメスだと考えていた。だが、後からジェニーはオスだということが分かる。もともと彼らの家ではジェニーという別のメス犬が飼われていたが、事故で死んでしまった。ケータンは息子カウシャルにばれないようにジェニーそっくりの犬を見つけてきてジェニーと名付けたのだった。ただ、その犬はオスであった。
それを聞いたジャイシュナヴィーは、女の子なのにマノージと名付けられた自身とジェニーが重なり、同情する。そしてジェニーに「ジガル」というオスっぽい名前を勝手に付ける。人間であれ犬であれ、アイデンティティーを認められないのは悲しいことだ。ジャイシュナヴィーとジガルはすっかり気の合った相棒となる。
小津安二郎の「東京物語」(1953年)と比較することもできるだろう。同種の映画としては過去に「Baghban」(2003年)もあった。ケータンは10年の長きにわたって帰郷せず、母親と顔を合わせることもなかった。やっとジャイシュナヴィーをムンバイーに呼び寄せたと思ったら、それも母親に会いたかったからというよりも飼い犬ジェニーの世話をさせるためだった。彼にとっては母親よりも飼い犬の方が大事だった。
インド人主婦が置かれた境遇がよく映し出されていた物語だったと思うが、ストーリーテーリングは単調で映像にもTVドラマっぽい安っぽさがあった。主演ニーナー・グプターの演技は文句ないが、ヴァトサル・セートやマーナスィー・ラチュから感情が感じられなかった。
大方予想通りに話が進んでいくが、一点だけ、フード・フェスティバルでジャイシュナヴィーのアチャールが審査員から酷評されたシーンだけは予想外だった。てっきり絶賛されてジャイシュナヴィーが一躍有名人になるのかと思っていた。ここで彼女を落とす必要はあったのだろうか。
ジェニーの存在は大きかった。だが、動物映画と呼べるまでにジェニーが目立っていたとはいえない。あくまで人間中心のドラマである。インド発の動物映画としては、カンナダ語映画「777 Charlie」(2022年/邦題:チャーリー)が依然として不動の一位である。
ジャイシュナヴィーが住むラーパルはグジャラート州の中でも西部のカッチ地方にある町だ。ジャイシュナヴィーは顔、胸元、腕などに入れ墨をしていたが、これはカッチ地方の女性たちの風習を再現している。衣装も独特であった。ハールディク・ガッジャル監督はグジャラート州出身であり、これまでにもグジャラート色の強い映画を作ってきている。
「Aachari Baa」は、アチャール作りの名人が愛息子を訪ねてムンバイーを訪れるが飼い犬の世話係をさせられ落胆するが、ムンバイーで出会った人々の助けを借りて自らのアイデンティティーを取り戻していく物語である。心温まる映画ではあるが、映画としての作り自体はうまくなく、予想通りの展開が続く。無理して観る必要はない映画である。