タミル語映画界で活躍する女優ナヤンターラーは「レディー・スーパースター」の異名を持つ。これは、単独で主演が張れ、観客動員力のある女優であることを示している。インド映画界では伝統的に女優は主演男優の添え物に過ぎなかった。各映画界において強力な地位を築き上げた女優がその因習を覆してきたが、タミル語映画界においてその役目を果たした女優の筆頭がナヤンターラーなのである。大ヒットしたヒンディー語映画「Jawan」(2023年/邦題:JAWAN ジャワーン)でシャールク・カーンと共演したことで、彼女の名前はヒンディー語圏でも知れ渡ることになった。
2024年11月18日、ナヤンターラーの40歳の誕生日にNetflixで配信開始された「Nayanthara: Beyond the Fairytale」は、彼女の半生を題材にしたドキュメンタリー映画である。監督はアミト・クリシュナン。主にミュージックビデオの監督を務めてきた人物だ。上映時間は1時間22分ほどである。日本語字幕付きで、邦題は「ナヤンターラー:ビヨンド・ザ・フェアリーテール」になっている。
構成はオーソドックスで、ナヤンターラー本人と彼女の周辺の人々のインタビューによって成り立っている。インタビューに答えている著名人には、スーリヤー、ラーナー・ダッグバーティ、ヴィジャイ・セートゥパティ、ナーガールジュナ、タマンナーなど、これまで彼女が共演した俳優たちや、サティヤン・アンティッカド、ヴィシュヌヴァルダン、アトリーといった監督たちが含まれている。
ただ、この映画は大きく2つに分かれている。前半は、ナヤンターラーの生い立ちや女優としてデビューするまでの経緯、そして女優になった後のエピソードが語られている。後半は、ナヤンターラーとヴィグネーシュ・シヴァン監督の結婚式が話題の中心となる。そこでは、いかにヴィグネーシュ監督が素晴らしい夫なのかが強調される。
ナヤンターラーとヴィグネーシュ監督の幸せな結婚式を結末に持ってきたこの構成は、正直いって期待していたものと異なった。もっと役者としてのナヤンターラーを掘り下げる内容のドキュメンタリー映画かと思って見始めたのだが、日本の結婚式の余興でもよく流れるような、「馴れ初め動画」や「メイキング動画」の類の代物で、キラキラと人工的な輝きを発しながら観客の期待を煙に巻いて終わってしまっていた。視聴者が観たかったのはこんなものではないはずだ。
やはりもっとも関心が集まるのは、彼女が自分でも触れていた「初恋」である。名指しは避けられていたが、ナヤンターラーがヴィグネーシュ監督の前に真剣交際していたのは、「インドのマイケル・ジャクソン」の異名を持つコレオグラファーで、俳優・監督でもあるプラブ・デーヴァだ。ナヤンターラーは、彼との関係を「若気の至り」扱いしてサラリと語っていた。
ナヤンターラーとプラブ・デーヴァが付き合っているとの噂が流れたのは2009年である。このとき、ナヤンターラーは人気絶頂期であった。問題視されたのは、プラブ・デーヴァが既婚者だったことだ。つまり、二人は不倫関係にあった。さらに、どうもプラブ・デーヴァは彼女に、結婚したら女優を辞めるように強要していたようだ。プラブ・デーヴァはナヤンターラーとの結婚を実現するため、2011年に前妻と別れている。
ナヤンターラーは、「ラーマーヤナ」を主題にしたテルグ語映画「Sri Rama Rajyam」(2011年)にスィーター役で起用された。既婚者と不倫関係にあった女性が貞女の象徴であるスィーターを演じることについて世間から厳しい批判を浴びた。だが、同映画での彼女の演技は絶賛された。また、ナヤンターラーはこの映画をもって一時的にスクリーンから遠ざかることになる。
結局、ナヤンターラーはプラブ・デーヴァと結婚しなかった。この辺りの経緯についても詳しくは語られていなかった。彼女はアトリー監督のタミル語映画「Raja Rani」(2013年)などで復帰し、この頃から主演を張れる女優としての名声を勝ち取っていく。見事な復活劇であった。おそらく現在の彼女の原点はここにあるだろう。しかしながら、彼女の人生において非常に重要な転換であるこのカムバックについても、駆け足で触れられていただけだった。
そもそも、女優としてデビューした経緯も、よくある話が繰り返されていただけであった。ナヤンターラーは「女優になる気などなかった」「偶然に女優になった」などと語っており、運命の悪戯からトントン拍子で女優としてのキャリアが築かれていったことになっていた。同じような話は古今東西のあらゆる女優の口から聞いてきた。だが、実際に女優デビューのきっかけになったのは、何かの雑誌に掲載されていた彼女のモデル写真だという。大学時代に彼女はモデルのバイトをしていた。そうであるならば、モデルの先に女優という職業を見据えていなかったと言い切れるだろうか。何かナヤンターラーの名誉を守り野心を隠すために真実が覆い隠されているドキュメンタリー映画のように感じた。ドキュメンタリー映画は本来ならば真実を追究するジャンルのはずだ。
その代わりに映画の中心になっていたのは夫ヴィグネーシュとの仲睦まじさのアピールだ。ヴィグネーシュ監督は、常にスーパースターである妻を立てる、温和で理想的な夫として描出されていた。決してハンサムともいえず、彼らの交際が発覚した際は「美女と野獣」とも書き立てられたらしいが、本人はそんなことも大して気にしていない。ナヤンターラーと結婚できたことを神の恵みだと考えているような男性である。彼といるときのナヤンターラーはとてもリラックスしているように見える。もしかしたら彼女のそういう飾らない姿を見たい観客もいるのかもしれない。それでも、こんな映像ならばわざわざドキュメンタリー映画にしなくても捉えられるはずで、作品としての意義を感じにくかった。
ちなみに、今でこそ「ナヤンターラー」といういかにもヒンドゥー教徒的な芸名を持つ彼女は、実はシリア系キリスト教を信仰するマラヤーリーとして生まれた。本名はダイアナ・マリヤム・クリヤンという。ただし、ヴィグネーシュ監督と結婚したことでヒンドゥー教に改宗したようだ。ヴィグネーシュ監督との結婚式は、ヒンドゥー教とキリスト教の折衷であった。
「Nayanthara: Beyond the Fairytale」は、タミル語映画界の「レディー・スーパースター」、ナヤンターラーの半生を本人のインタビューなどを交えて描き出したドキュメンタリー映画である。彼女の全面的な協力を得て作られたドキュメンタリーであるのは強みだが、その当然の代償として、彼女が語りたくないこと、つまり視聴者がもっとも知りたいことについては、ほとんど詳しく触れられていない。よって、どこか煙に巻かれたような、生煮え感のある後味になっている。期待外れである。