英領時代に制定された旧インド刑法(IPC)第377条により、インドでは独立後も同性愛が違法行為になっており、同性愛者は肩身の狭い生活を強いられていた。伝統的にリベラルな価値観を発信してきたヒンディー語映画界はLGBTQに対してもっとも理解があり、業界の重鎮カラン・ジョーハルを中心に、同性愛への理解を深めるような映画を作り続けてきた。その甲斐もあって2018年に最高裁判所によりIPC377条は廃止となり、2024年から施行された新インド刑法(BNS)にももちろん同性愛を犯罪とする規定は存在しない。
同性愛が合法化されたことで、ヒンディー語映画界が今後主戦場とするのは同性婚であろうと予想していた。折しも2023年には同性婚を違法とする判決が出ている。インドではまだまだ同性婚の合法化まで時間が掛かりそうだ。それ故に映画のテーマにしやすい。
早くも予想が的中し、同性婚を扱ったロマンス映画が公開された。2024年10月4日からJioCinemaで配信開始された「Amar Prem Ki Prem Kahani」である。題名を直訳すると、「永遠の愛のラブストーリー」になるが、主人公の名前が組み込まれており、それを勘案すると「アマルとプレームのラブストーリー」とも解釈できる。「アマル」も「プレーム」も男性名である。
監督は「Bhavai」(2021年)などのハールディク・ガッジャル。主演はサニー・スィンとアーディティヤ・スィール。他に、プラヌータン・ベヘル、ディークシャー・スィン、ラージンダル・セーティー、タルセーム・ポール、バルジンダル・カウル、サンジュー・ソーランキーなどが出演している。
ちなみに、前年に「Satyaprem Ki Katha」(2023年)という映画が公開され、題名が似通っているが、両作品には何の関係もない。
パンジャーブ州の片田舎に住むアマルジョート・ミナース、通称アマル(サニー・スィン)は、村中の女性たちの羨望の的であったが、同性愛者だった。だが、家族にそれを明かすことができず、悶々としていた。祖父(タルセーム・ポール)はアマルを早く結婚させたがっていた。アマルはそのプレッシャーから逃げるため、ロンドンに住む叔父(ラージンダル・セーティー)を訪ねることにする。
デリーの空港でアマルは魅力的な男性プレームジート・チャタルジー、通称プレーム(アーディティヤ・スィール)と出会う。プレームも同性愛者だった。アマルとプレームは隣同士の席になり、ロンドンに着いた後も偶然の再会を繰り返した。しかも、叔父の経営するインド料理レストランの隣が、プレームの経営するカフェだった。カミングアウトしていなかったアマルは、同性愛者であることを公言しているプレームと仲良くなることに抵抗を感じるが、「深く考えるな」という祖母(バルジンダル・カウル)のアドバイスに後押しされ、彼と付き合うことを決める。
アマルのロンドン滞在は15日間の予定だったが、アマルとプレームの仲を知った叔父は彼らに協力し、家に連絡をして、アマルの滞在期間を伸ばすことに成功する。ところが、祖父が心臓発作で倒れたとの報せを受け、アマルは急遽インドに戻ることになる。
村に戻ったアマルは、祖父がピンピンしており、自分の結婚式の準備が整っているのを目の当たりにする。そして、トントン拍子で幼馴染みのマンディー(プラヌータン・ベヘル)との結婚が決まってしまう。異変を感じたプレームは、親友のエレナ(ディークシャー・スィン)と共にインドに降り立ち、アマルとマンディーの結婚式に現れる。再会したアマルとプレームは皆の前で抱き合い、キスをしたため、二人の仲やアマルの性的指向は白日の下にさらされることになった。祖父は心臓発作を起こして倒れてしまい、そのまま意識不明になる。
祖父や叔父の世代はアマルの性的指向を受け入れられなかったが、アマルの6人の姉や義兄たちはアマルに味方する。何より祖母がアマルとプレームの結婚を応援した。そこで、祖父が昏睡状態にある間にアマルとプレームの結婚式を執り行うことになる。プレームがベンガル人であることが祖母には面白くなかったが、それも何とか認めてもらうことができた。
ところが、子供の頃からアマルに片思いしてきたマンディーは、何とかアマルとプレームの仲を裂こうとする。パンジャーブ人とベンガル人の間に亀裂を生じさせようとするが、なかなかうまくいかなかった。また、アマルとプレームが結婚した後にどちらが「夫」になるのかという議論の火種も撒く。だが、最終的には、酔っ払ったアマルがマンディーとキスをし、それをプレームが目撃してしまったことで、二人は仲違いすることになる。プレームとその家族は去って行く。
だが、アマルの悲しみ振りを見たマンディーは改心し、プレームを止める。アマルも追いつき、プレームにプロポーズする。こうして二人は結ばれたのだった。
自身が同性愛者であることを自覚しながらも家族にカミングアウトできずにいたアマルは、ロンドンへの道中で同性愛者のプレームと運命の出会いを果たし、恋に落ちる。アマルはそのままロンドンでプレームと一緒に住むことを決めるが、家族によって無理矢理インドに引き戻され、結婚させられそうになる。プレームが後から追いかけてきて、アマルと抱き合いキスをしたため、アマルとプレームが恋人同士であることが知れてしまう。
パンジャーブ州の農村が舞台であり、より保守的な価値観が残っていることは想像に難くない。実際、祖父や叔父の世代はアマルの同性愛を全く受け入れられなかった。だが、意外にも若い世代には理解があり、何より祖母がアマルとプレームの結婚を後押しした。祖父が昏睡状態になったこともあって権力の空白状態が起き、その隙にアマルとプレームの結婚式が行われることになる。
もちろん、インドでは同性婚は違法であるため、結婚式といっても形式的なものであり、法的効力はない。それでも、家族にここまで同性愛や同性婚に対して理解があるというのは新鮮で、同性婚に踏み切ろうとする中盤の展開も痛快なものであった。
ところが、ここで物語にはもうひとつの要素が入ってきて、芯がぶれてしまう。それは、パンジャーブ人とベンガル人の対立である。インドにおいては、パンジャーブ人とベンガル人に限らず、地域間の対立があり、お互いにお互いを下に見ているところがある。「Kal Ho Naa Ho」(2023年)ではパンジャーブ人とグジャラート人の対立が描写されていたし、「2 States」(2014年)はパンジャーブ人とタミル人の州間恋愛を描いた作品だった。パンジャーブ人は得てして派手好き、酒好き、肉好き、脳天気というイメージを持たれており、ベンガル人は得てして理屈っぽく、お高く止まっており、魚がないと生きて行けないというイメージを持たれている。まるで対照的だ。
アマルの家族はパンジャーブ州のしかも田舎住まいで、プレームの家庭は大都市コルカタに住むベンガル人だった。男性同士の結婚以上に、パンジャーブ人とベンガル人が結婚するハードルの高さが強調されていたのは可笑しかった。ただ、両家の子供じみたいがみ合いに時間が割かれすぎており、同性婚というテーマが希薄になってしまっていた。地域間対立の描写はほどほどにして、早めに同性婚に焦点を戻すべきだった。
ようやく同性婚に話が戻るのだが、今度は同性婚をしたカップルのどちらが「夫」になるかを巡る対立が始まった。つまり、夫婦はどちらかが主導権を握るものという固定観念があり、主導権を握る者が「夫」ということになる。アマルの家族はアマルが「夫」だと考え、プレームの家族はプレームが「夫」だと考えた。こうしてまた新たな衝突が生まれる。非常に低レベルな争いである。
結局、アマルとプレームは仲違いし、プレームは去って行ってしまうが、アマルが追いついて謝罪し、彼に改めてプロポーズするという安定の結末を迎える。映画の本編で同性婚は実現せず、エピローグもない。いわば同性婚未遂で終わっており、看板倒れにも感じた。
主演サニー・スィンは「Sonu Ke Titu Ki Sweety」(2018年)などで知名度を上げた俳優で、その頃はまだ可愛げがあったが、いつの間にか肉体改造に着手しており、「Wild Wild Punjab」(2024年)あたりからは肉体派男優に転向していた。ニッチな役柄を得意とする俳優で、「Amar Prem Ki Prem Kahani」で彼が演じたアマルは、かつてのサニーの持ち味が残っていた。無理に筋肉増強をしなくてもよかったのだが、今後どういう方向へ行くだろうか。
相手役のアーディティヤ・スィールも、玄人好みする立ち位置にいる俳優で、決して主流ではないが、全く隅に追いやられることもない。今回は同性愛者の役だったため、イメージを大切にする男優は簡単に手出しができなかっただろうが、あまり捨てるもののないアーディティヤは果敢に挑戦できたと思われる。
両家の家族がたくさんいて、全員の把握は不可能だが、やはり祖母を演じたバルジンダル・カウルの肝っ玉おばあちゃん振りが強烈であった。マンディー役を演じたプラヌータン・ベヘルは、俳優モホンーシュ・ベヘルの娘で、「Helmet」(2021年)などに出演していた。今回、出番が少ないことはなかったが、インパクトを残すことはできていなかった。エレナ役を演じたディークシャー・スィンはモデル出身の女優で、映画出演はこれが初だ。背景の一部になっているような場面が多かったが、美しさは飛び抜けている。今後、よりいい役がもらえると伸びるだろう。
クライマックスの重要な場面で流れていた「Chaap Tilak」は、13-14世紀の詩人アミール・クスローが作ったとされる有名な楽曲だ。サビは「あなたに見つめられた途端、私は自分を忘れてしまった」という歌詞だが、この映画での文脈ではその逆で、アマルはプレームに見つめられた途端、自分を受け入れることができた。
パンジャーブ人とベンガル人の対立が描かれているだけあって、セリフは基本のヒンディー語に加えて、パンジャービー語とベンガル語が飛び交う。終盤のダンスナンバー「Gabru」は、パンジャービー語とベンガル語の歌詞が混ざっており、珍しい構成になっている。
「Amar Prem Ki Prem Kahani」は、旧IPC第377条廃止後のインドで主戦場となる同性婚問題にヒンディー語映画界として参戦の名乗りを上げる嚆矢となる作品だ。同性愛を唯一の軸にしている前半は問題なかったが、後半に入るとぶれが出て、まとまりを欠くようになる。OTTリリース作となったが、その判断は正しいと評せざるをえない。劇場公開に値しない出来の作品だ。だが、ヒンディー語映画における同性愛問題を考察する上では、必ず言及すべき作品になるだろう。