
「The Shameless」は、ブルガリア人映画監督コンスタンティン・ボジャノフが撮ったヒンディー語映画という変わり種である。多国籍の映画となっており、制作国にはブルガリア、インドの他にスイス、フランス、台湾が名を連ねている。監督の国籍に従い、ブルガリア映画ということにしておいた。2024年5月17日にカンヌ映画祭でプレミア上映され、主演のアナスヤー・セーングプターが「ある視点」部門の女優賞を受賞した。
映画の企画は、ボジャノフ監督が英国人作家ウィリアム・ダルリンプル著「Nive Lives: In Search of the Sacred in Modern India」(2009年)を読んだところから始まったそうだ。この本は邦訳され「9つの人生:現代インドの聖なるものを求めて」(集英社/2022年)として日本でも出版されている。
「Nive Lives」を読んでほれ込んだボジャノフ監督はダルリンプルから映画化権を買い、インドを旅行した。当初はドキュメンタリー映画として「Nive Lives」を映像化する計画だったが難航し、次にアニメーション映画にしようと思い立ったがそれもうまくいかなかった。後に彼はプロダクション・デザイナーのアナスヤー・セーングプターと出会い、彼女を主役にキャスティングして、「The Shameless」を撮った。
「Nive Lives」はインド各地から9つのエピソードが集められているが、「The Shameless」のモデルになったのは第3章「The Daughter of Yellamma」である。この章は、カルナータカ州北部のイェッランマー女神信仰と、その地に残るデーヴァダースィーの伝統を取り上げている。デーヴァダースィーとは神と結婚した女性たちで、寺院に仕える一種の公娼であったが、英領時代から規制が始まり、1988年には完全に廃止された。だが、禁止されてもデーヴァダースィーが転職することはかなわず、売春婦と変わらない存在になった。今でもマハーラーシュトラ州とカルナータカ州の州境地域で、デーヴァダースィーの名残といえる売春婦たちが存在する。
キャストは、アナスヤー・セーングプター、オマラー、アウロシカー・デー、ローヒト・コーカテー、ミーター・ヴァシシュト、キラン・ビヴァガデー、タンマイ・ダナーニヤーなど。この中でヒンディー語映画界でもっとも有名なのは「Chhorii」(2021年)などに出演のミーターだ。また、オマラーは「アヌシュカー・スグナー」とか「アヌシュカー・プシュパラージ・シェッティー」などの名前も名乗っており、「Phone Bhoot」(2022年)に出演したこともある。だが、それ以外の俳優たちは主演アナスヤーも含めてあまり知らない。
デリーの売春街GBロードで警察官を刺殺して逃亡した売春婦レーヌカー(アナスヤー・セーングプター)は、チッタープルにたどり着く。この町ではレーヌカー女神信仰が盛んで、売春街があった。レーヌカーは売春街に入り、売春をしながら身を潜める。
レーヌカーは、近所に住むデーヴィカー(オマラー)と仲良くなる。デーヴィカーの家系は先祖代々のデーヴァダースィーであった。祖母イシャー(ミーター・ヴァシシュト)、母親ドゥルガー(アウロシカー・デー)、姉ミターリー(キラン・ビヴァガデー)も売春を生業としてきたが、デーヴィカーはまだその道には入っていなかった。デーヴィカーはラッパーになるのを夢見ていた。
レーヌカーはデーヴィカーにタバコやドラッグを教え、彼女とレズ関係にもなる。その一方で彼女は国外逃亡の手はずを整えていた。レーヌカーは政治家ディネーシュ・サーハー(ローヒト・コーカテー)を客にするが、彼との子供を宿してしまう。堕胎したものの、それがきっかけでディネーシュから命を狙われるようになる。
レーヌカーはデーヴィカーを連れて逃げようとする。だが、彼女が留守にしている間に、金庫に保管していた逃亡費用20万ルピーを盗まれる。レーヌカーはイシャーや他の売春婦たちを糾弾し、売春街を去る。デーヴィカーは母親の装身具を売って金を作り、レーヌカーを追いかける。レーヌカーは病気になっていたが、デーヴィカーが看病し、回復する。また、レーヌカーは自分の本名が「ナーディラー」であること、デリーで警察官を殺害して追われる身であることを明かす。
ついにレーヌカーとデーヴィカーは逃亡するが、滞在先の宿でレーヌカーの留守中にデーヴィカーは火災を起こし、警察に捕まってしまう。デリーに送られ売春をしていたミターリーに助けられたが、彼女は自宅に帰らざるをえなくなる。帰宅したデーヴィカーはドゥルガーによって一室に閉じこめられる。ドゥルガーは彼女の水揚げを決め、初の客としてディネーシュを選ぶ。
レーヌカーはチッタープルに戻り、デーヴィカーと会う。ディネーシュがデーヴィカーに暴行を加えて処女を奪ったことを知ったレーヌカーは怒り、選挙に勝利して喜々としていたディネーシュを暗殺する。だが逃げ切れず、支持者によってレーヌカーはリンチを受ける。レーヌカーが迎えに来るのを待っていたデーヴィカーはとうとう一人で放浪の旅に出る。
映画はレーヌカーが全裸の男性を刺殺した直後から始まる。後からそこがデリーの有名な売春街GBロードであったこと、死体は警察官だったことが分かるのだが、そのショッキングな映像から、「The Shameless」が普通の映画ではないことが分かる。レーヌカーは世の酸いも甘いも知った肝の据わった売春婦であり、どんな状況も打開できる勇気と対応力を持ったような女性であった。すぐにレーヌカーはデリーを脱出する。
レーヌカーがたどり着いたのはチッタープルという町であった。撮影時、新型コロナウイルスの感染が拡大しており、インドでロケができなかったようで、実際にはネパールで撮影が行われている。よって、インドの風景に親しんでいる者からすると違和感を感じる。だが、ウィリアム・ダルリンプルの「Nine Lives」に着想を得て作られた映画であることを考慮すると、これはカルナータカ州北部のチッタープルだと受け止められる。ただし、言語は全てヒンディー語である。監督がブルガリア人なので、言語の考証まではこだわらなかったものと思われる。
レーヌカーは売春宿に身を寄せるが、観ていると、それがただの売春宿ではないことに気付く。この地域で働く売春婦たちはレーヌカー女神と結び付いており、売春婦でありながら信仰の対象にもなっていた。レーヌカー女神とはイェッランマー女神の別名である。彼女たちはかつてインドに存在したデーヴァダースィーの末裔であった。
「Nine Lives」では信仰と結び付いた売春の在り方について深掘りしていたが、「The Shameless」では犯罪映画的な味付けになっており、レーヌカーの逃亡劇と、デーヴィカーとの結びつきに焦点が当てられていた。特にレーヌカーのキャラクターは、今までのインド映画にはなかったレベルの大胆不敵さを持ち合わせていた。13歳で家出し、恋人にだまされて売春宿に売られ、それから売春婦として生き抜いてきたが、それを悲観し嘆くことはせず、たくましく生き抜いていた。そんな苦難に満ちた人生をアナスヤー・セーングプターが演技で物語っていた。彼女がカンヌ映画祭で高く評価されたのもうなずける。
印象的だったのは、デーヴィカーがマッチを擦って火を付け、それをじっと見つめるシーンが何度も繰り返されたことだ。レーヌカーは精神が不安定になるとタバコ、酒、ドラッグでしのいでいたが、デーヴィカーは火を見つけることで精神を安定させようとしていたように思われる。その癖のせいで彼女は逃亡先の宿で火事を起こしてしまい、一度は逃亡に失敗する。
レーヌカーと出会っていなければ、デーヴィカーの人生はもっと平坦なものだったかもしれない。平坦なものといってもデーヴァダースィーの家系に生まれており、いずれは彼女も売春婦になる運命だったかもしれないが、そこから逃げ出す勇気は出なかっただろう。デーヴィカーは一度逃亡に失敗した後、再度レーヌカーと共に町を出ようとする。だが、レーヌカーはデーヴィカーに暴行したディネーシュを殺害してリンチを受けており、彼女を迎えに来ることができなかった。それを知ってか知らずか、デーヴィカーは一人で歩き始める。その表情は妙にすがすがしかった。デーヴィカーにレーヌカーの大胆さが乗り移ったかのようだった。
「The Shameless」は、英国人作家ウィリアム・ダルリンプルの著書に感銘したブルガリア人監督がインドの売春婦やデーヴァダースィーを主人公にしてネパールで撮影したヒンディー語の映画である。その多国籍な背景から、どこかインドの地に足が着いていないような印象も受けるのだが、アナスヤー・セーングプターやオマラーの熱演もあり、大胆かつ強烈な犯罪映画に仕上がっていた。必見の映画である。