油を売る、油を買う

 日本語には「油を売る」という慣用句がある。文字通りの意味で使われることは現代社会ではほとんどなく、「無駄なことをしてサボる」ような意味で使われることが大半だ。たとえば、遅刻して来た人に対して「どこで油を売ってたんだ?」などと使う。

 面白いことに、ヒンディー語には「油を買いに行く」という慣用句がある。完了形かつ倒置で使われることが多く、「行った、油を買いに」という語順になることが多い。主語の文法性によって動詞の形が変わるが、「【主語】गया तेल लेनेガヤー テール レーネー」、「【主語】गई तेल लेनेガイー テール レーネー」などになる。その意味は、「【主語】のことなど忘れろ」「【主語】のことなど放っておけ」などになる。

 たとえば、2021年の東京オリンピックでインド人陸上競技選手ニーラジ・チョープラーが槍投げで金メダルを勝ち取ったとき、元クリケット選手のヴィーレーンドラ・セヘワーグは彼の偉業を讃え、Twitter(現X)でこうコメントした。

 このツイートの最後、「Cricket Gaya Tel Lene」がそれである。ここでは文脈からすると「クリケットのことなど忘れろ」というよりも「クリケットのことなど(実際に)忘れていた」という意味になる。インドではクリケットの人気が圧倒的で、他のスポーツの発展が阻害されるほどだ。しかし、オリンピックの競技には長らくクリケットが入っておらず、4年に一度のスポーツの祭典では、さすがにインドでもクリケット以外のスポーツに注目が集まる。しかも、東京オリンピックではニーラジ・チョープラーが金メダルを獲得し、陸上競技が特に日の目を浴びたのである。元クリケット選手によるこのツイートは、オリンピック期間はクリケットを忘れて、オリンピックに出場しているインド人スポーツ選手を応援しようというメッセージが含まれている。

 この「油を買う」系の慣用句は日常会話でもよく耳にするし、映画の台詞の中でも頻出する。似たような慣用句に「【目的語】को मारो गोलीコ マーロー ゴーリー」がある。直訳すると「【目的語】に撃て、弾を」になり、やはり「【目的語】のことなど忘れろ」という意味になる。だが、こちらは何だか物騒なので、「油を買う」系の方が使いやすい。

 日本では「油を売る」、インドでは「油を買いに行く」が慣用句として流通しているのは興味深い。その由来についても見てみよう。

 日本語の「油を売る」は、どうも江戸時代の油屋の商習慣に端を発しているようだ。当時、人々は油を売り歩く行商人から自前の枡に注いでもらう形で油を買っていた。ところが、当時の油は粘度が高く、枡いっぱい油が溜まるまで時間が掛かった。油屋にとっては、油が枡に注がれるまでの間、世間話などをして間を持たせるトーク力が重要になった。よって、「油を売る」ことは客と長話をすることと同義になった。油屋は客と無駄話をしていたわけではないのだが、その行為に時間が掛かるため、「無駄なことをして時間を潰す」という意味の慣用句「油を売る」が生まれたといわれている。

 ヒンディー語では「油を買いに行く」となっているので、行商人から油を買うというよりも、店に油を買いに行くイメージだろう。そして、その由来を考える際、日本語の「油を売る」の由来が大きなヒントになる。油をひとつの容器から別の容器に移すのは時間が掛かるのである。つまり、「【主語】は油を買いに行った」ということは、その主体がしばらく帰って来ないことを暗示している。だから、「【主語】のことなど忘れろ」という意味になるのである。

 「油を買いに行く」が映画の題名になっているものの例として、「Sharafat Gayi Tel Lene」(2015年)が挙げられる。「Sharafat」とは「上品さ」という意味の女性名詞で、「Sharafat Gayi Tel Lene」は「上品に振る舞うのはもう止めた」みたいな意味になる。

Sharafat Gayi Tel Lene
「Sharafat Gayi Tel Lene」