Samosa & Sons

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Samosa & Sons
「Samosa & Sons」

 2023年11月23日からJioCinemaで配信開始された「Samosa & Sons」は、死んだ父親からサモーサー屋を継いだ主人公とその妻の物語である。

 監督はシャーリニー・シャー。今まで短編映画を撮った経験はあるが、長編映画は今回が初である。キャストは、サンジャイ・ミシュラー、チャンダン・ビシュト、ネーハー・ガルグ、ブリジェーンドラ・カーラー、ジートゥー・シャーストリー、ラチュナー・ビシュトなどである。

 ウッタラーカンド州の田舎町バテーリヤーでサモーサー屋「コーランガー&サンス」を営むチャンダン・コーランガー(チャンダン・ビシュト)は、死んだ父親ジャワーハル(サンジャイ・ミシュラー)の亡霊を見るようになっていた。チャンダンには妻ドワニ(ネーハー・ガルグ)との間にピフーという娘がいたが、ジャワーハルはチャンダンに、男児を作れと言う。そこでチャンダンは隙を見てドワニと交わる。やがてドワニは妊娠する。

 チャンダンはドワニを病院に連れて行き、密かに性別検査をする。胎児が男児であることが分かるとチャンダンは喜ぶ。ところがドワニは、チャンダンが勝手に性別検査をしたことに怒り、家を出て行ってしまう。また、一緒にサモーサー屋を切り盛りしていたジャマン・ダー(ブリジェーンドラ・カーラー)の妻マルティー(ラチュナー・ビシュト)は女児を産んで死んでしまった。後に残されたチャンダンはサモーサー屋を「マルティー&ドーターズ」に改名する。

 インドの街角では「○○ & Sons」という店をよく目にする。もっとも有名なのはターター・グループの親会社「Tata Sons」であろう。「&」は入っていないものの、「○○ & Sons」と同じことだ。この種の店名は、男児が後を継ぐという暗黙の了解の下に成り立っている。「Samosa & Sons」は、そんな男系社会に一石を投じる作品である。

 舞台はウッタラーカンド州の田舎町であった。バテーリヤーという地名は実在するし、ムクテーシュワル、ラーニーケート、ナイニータールなど、より有名な地名も出て来た。山間の素朴な町だが、それ故に保守的な町でもある。主人公のチャンダンは、父親のジャワーハルに無断でドワニと結婚してしまった。田舎町ではそれだけでも大事件であった。

 さらに、ドワニはモダンな女性だった。作家になる夢を持っていたが、チャンダンと結婚し、すぐに妊娠してピフーを生んだことで、その夢を実現する機会が得られずにいた。ドワニにとっては、ピフーがいれば十分だった。

 チャンダン自身も娘を可愛がっており、三人家族の生活に満足していた。ところが、死んだ父親の亡霊が現れ、チャンダンに、「娘は他人の財産だ、息子を作れ」と吹き込む。チャンダンはその声に従い、ドワニと子作りに励む。そしてとうとう彼女が妊娠すると、インドでは禁止されている胎児の性別検査を密かに行う。結果は男児であった。チャンダンは大喜びし、仲間たちにも言い触らす。だが、それを聞いたドワニは、夫が勝手に性別検査をしたと察知し、ピフーを連れて家を出て行ってしまう。

 チャンダンは代々伝わるサモーサー屋を営んでいた。チャンダンが息子を欲しがったのは後継ぎが必要だったこともある。店の名前も、息子が店を継承することを前提に、「コーランガー&サンス」になっていた。だが、一連の出来事を経てチャンダンは闇雲に男児を求める因習から解放され、娘に店を継がせる選択肢もあると考え始める。その結果、いつの間にか店の名前も「マルティー&ドーターズ」になっていた。

 コロナ禍のロックダウン時に30日間という短い期間の中、撮影された映画とのことである。そのため様々な制約があったことは想像に難くないが、技術的には未熟であり、完成度は高くない。ストーリーに疑問点も多い。たとえば、モダンなはずの女性ドワニがなぜチャンダンのような田舎男と結婚したのかが全く不明である。「コーランガー&サンス」は先祖代々伝わるサモーサー屋とのことだが、その店構えからは老舗の名店という雰囲気は全く感じない。映画の途中で急にチャンダンの羽振りが良くなり、新車を買って別荘に移住するが、なぜそのような流れになったのか分からない。このように不明点ばかりなのである。

 サンジャイ・ミシュラーやブリジェーンドラ・カーラーは、おそらくギャラが安いのだろう、低予算映画御用達の個性派俳優たちで、それぞれの役割をしっかり果たしていた。ドワニ役を演じたネーハー・ガルグは「The Last Color」(2019年)などに出演歴のある女優だが、それほど有名ではない。田舎を舞台にした映画には不釣り合いな印象を受けた。

 「Samosa & Sons」は、死んだ父親の亡霊に悩まされるサモーサー屋の主人公の物語であるが、実際には男児を尊ぶ男系社会への批判になっていた。メッセージはよく伝わってくるが、いかんせん、作りが稚拙で完成度が低い。無理して観る必要のない映画である。