Dono

4.5
Dono
「Dono」

 スーラジ・バルジャーティヤー監督は、不朽の名作「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)で知られる重鎮だ。彼の作風は「古き良きインド映画」の典型で、既に前時代的になってはいるのだが、それを恥じない堂々とした純粋さがあって、それ故に現代の若者にも響く。日本でも公開された彼の監督作「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年/邦題:プレーム兄貴、王になる)も時代錯誤的な映画ではあったが、インド映画の良さが詰まっており、大いにヒットしたのだった。

 とはいっても彼ももうすぐ還暦だ。この度、彼に代わって息子のアヴニーシュ・S・バルジャーティヤーが監督デビューをした。彼の初監督作となるのが「Dono(二人)」である。2023年10月5日に公開された。

 スーラジ・バルジャーティヤー監督はまだ駆け出しだったサルマーン・カーンを主役に抜擢して「Maine Pyar Kiya」(1989年)を撮り、大ヒットさせて、彼をスターに押し上げた。アヴニーシュ監督も、敢えて既存のスターを起用せず、新顔ばかりを揃えての監督デビューを選んだ。主演を務めるのは、サニー・デーオールの次男で新人のラージヴィール・デーオール。長男のカラン・デーオールは既に「Tiger Zinda Hai」(2017年)でデビューしており、満を持しての次男デビューとなる。さらに相手役は、「Noorie」(1979年)などで有名な往年の女優プーナム・ディッローンの娘、パローマー・ディッローンである。彼女にとっても本作がデビュー作となる。スターキッドを揃えてはいるものの、全く無名の俳優たち二人を主演に据えていることになる。

 そればかりでなく、脇を固めているのもあまりピンと来ない俳優たちばかりだ。カニカー・カプール、ローハン・クラーナー、アーディティヤ・ナンダー、マニク・パプネージャー、プージャン・チャーブラー、サンジャイ・ナート、ミッキー・マキージャー、モーヒト・チャウハーン、ティスカ・チョープラー、グルディープ・プンジなどである。

 ベンガルールで立ち上げたスタートアップ企業の経営に苦労していたデーヴ・サラーフ(ラージヴィール・デーオール)は、母親から、学生時代の友人アリーナー・ジャイスィン(カニカー・カプール)が結婚すると知らされる。アリーナーはデーヴの初恋の人であり、今でも彼女のことが好きだった。そのため、彼女の結婚の話を聞きショックを受ける。アリーナーからも電話があり、半年後にタイで行われる彼女の結婚式に出席することを約束させられる。

 アリーナーの結婚相手は、ニキル・コーターリー(ローハン・クラーナー)という過度のロマンチストであった。ニキルは保守的な大家族で育っており、新郎側参列者の数は非常に多かった。ニキルの友人として参加していたのがメーグナー・ドーシー(パローマー・ディッローン)であった。メーグナーは、6年間付き合ってきたガウラヴ(アーディティヤ・ナンダー)と1ヶ月前に別れたばかりで立ち直れていなかった。ガウラヴもニキルの親友で、結婚式に参列していた。それでもメーグナーは結婚式に来ていた。失恋を引きずっていたデーヴとメーグナーは意気投合するようになる。

 数日間にわたる結婚式が進行する中、メーグナーはガウラヴを完全に吹っ切ることができた。アリーナーは、何かと束縛してくるコーターリー家の人々に辟易し、デーヴを連れて式場から逃げ出す。だが、デーヴはアリーナーを説得し、彼女を式場に戻す。アリーナーは婚姻の儀式の前にニキルに結婚後の自由について聞き、ニキルは彼女に結婚後も彼女のままでいるように言う。こうして二人はめでたく結婚する。その後、デーヴとメーグナーは付き合い始めた。

 スーラジ・バルジャーティヤー監督の「Hum Aapke Hain Koun..!」は、3時間以上ある上映時間の間、延々とひとつの結婚式が続く。インドの結婚式は数日間にわたるのが普通で、その間に行われる様々な儀式がひとつひとつ描かれる。アヴニーシュ・バルジャーティヤー監督の「Dono」も、タイのホアヒンで行われた、いわゆるデスティネーション・ウェディングが主な舞台になっている。しかも、主人公たちの結婚式ではなく、彼らの友人の結婚式だ。この辺りの構成は「Hum Aapke Hain Koun..!」と非常に似ている。

 おそらく「Dono」は、インド映画をよく見込んでいる人ほど、「こう来たか!」と唸らせられる作品だ。ヒーローのデーヴにとって、新婦のアリーナーは学生時代の片思い相手であった。そしてヒロインのメーグナーにとって、新郎ニキルの親友ガウラヴは元恋人であった。この結婚式は、デーヴとメーグナーにとって、過去と向き合う旅であった。同じような境遇のデーヴとメーグナーは出会い、心の傷をお互いに打ち明け合う。デーヴはアリーナーへの想いを捨て切れておらず、メーグナーもガウラヴに未練タラタラであった。この展開からは、アリーナーがニキルとの結婚を蹴ってデーヴとくっ付き、メーグナーはガウラヴとよりを戻すという結末が十分に射程に入る。しかし、そうはならないのである。

 アリーナーは、ニキルの家族があまりに保守的で、結婚式の間から息苦しさを感じ始めていた。そして、結婚後の窮屈な生活を想像するようになり、とうとうニキルとの結婚から逃げ出す。彼女が逃亡のパートナーに選んだのはデーヴであった。そして、逃亡の途中でアリーナーはデーヴが彼女のことをずっと好きだったと知ってしまう。ここまではインド映画でよくある展開だ。

 だが、デーヴはアリーナーに、10年間秘めてきた彼女への気持ちを打ち明けると同時に、彼女にニキルと結婚するように説得する。デーヴがアリーナーに語った内容は、おそらくインド映画史に残ってもいいものだ。

 デーヴは確かにアリーナーのことが好きだった。アリーナーといると、彼は自分がヒーローになった気分になれた。アリーナーを手に入れることで、その気分をいつまでも感じていたかった。だが彼は、自信を持つのに誰かに依存するのは本当の自信ではないと気付く。誰かに自信を与えられるのではなく、自分で自信を持たなければならなかった。そう気付いたとき、彼はアリーナーへの気持ちを捨て切ることができた。それに、アリーナーとニキルが愛し合っていることをデーヴは知っていた。アリーナーは、ニキルの家族に認められるか心配だったが、デーヴは、ニキルのことを愛しているなら、他の誰かが言うことなど気にしなくていいと伝える。その言葉にアリーナーは救われ、式場に戻る決意をする。新郎新婦が花輪を掛け合うヴァルマーラーの儀式の前、アリーナーはニキルに、自分は結婚後も自分でいたいと伝える。すると、ニキルはそれを認め、彼女は彼女のままでいて欲しいと答える。アリーナーはようやく安心してニキルと結婚することができた。

 結婚式を壊す方向ではなく、紆余曲折があっても、これから結婚しようとする新郎新婦の絆をより強める方向に向かわせる「Dono」のストーリーは、家族で安心して観ていられるものだ。インド映画の基本はファミリーエンターテイメントであり、「Dono」はそれを地で行っている。近年のインド映画では、若者世代におもねり、奇をてらった展開がもてはやされる傾向にあるが、バルジャーティヤー一族が経営する映画プロダクション、ラージシュリーの作品は、古き良きインド映画の価値観を頑なに守り続けており、それにホッとする自分がいる。

 それに加えて、新しい時代の到来を感じたのは、デーヴとメーグナーのキャラだ。彼らは主人公であるが、一般のインド映画のように、完全無欠のタイプではない。学校に置き換えてみれば、クラスで一番目立つキャラではないのである。一方、アリーナー、ニキル、ガウラヴなどは、人気者タイプのキャラであった。デーヴは自分のことを「負け犬」と呼んでおり、アリーナーとは絶対に釣り合わないと感じながらも、彼女に恋をしていた。メーグナーも自分の自信のない女の子で、大学で目立つ存在だったガウラヴの前でまともに微笑むこともできなかった。こういう二軍・三軍的な視点で描かれたロマンス映画というのはインドでは珍しいのではなかろうか。

 正直いって、デーヴを演じたラージヴィール・デーオールからも、メーグナーを演じたパローマー・ディッローンからも、「現時点では」という限定条件付きにはなるが、A級スターに上り詰める可能性は感じない。ラージヴィールは押しが弱い上に発声が悪い。パローマーは目鼻立ちがはっきりし過ぎていて、現代のトレンドから外れる。だが、彼らのパーソナリティーをうまく活かせるようなキャラを作り上げており、彼らの弱みを強みに変えている。新人監督のアヴニーシュにそのようなスキルがあったとは考えられず、やはり父親が後ろからかなり援護したのではないかと予想される。

 音楽監督はシャンカル=エヘサーン=ロイだ。この売れっ子トリオを音楽監督に起用できたのも親の七光りのひとつであろうが、さすがに音楽は良かったし、その使い方も素晴らしかった。アルマーン・マリクが歌うタイトルソングのバラード「Dono」は、デーヴとアリーナーの関係を象徴する曲になっており、要所で繰り返される。ターバン巻きをテーマにした「Khamma Ghani」はコミカルかつキャッチーな曲で、ターバンの巻き方も何となく学べる一石二鳥のダンスシーンになっている。

 「Dono」は、一時代を築き上げた名監督スーラジ・バルジャーティヤーの息子アヴニーシュ・バルジャーティヤー監督のデビュー作である。2人の新人スターキッドを主演に起用しているものの、有名俳優の援護はない。スターパワー抜きで勝負した潔い作品だ。インド映画の定型パターンから外れているが、とてもいい着地をしており、新時代のロマンス映画だと感じた。主役のデーヴとメーグナーのキャラも良かった。興行的には不発だったようだが、隠れた名作だと断定できる。風評に惑わされず、機会があれば是非観るべき映画である。