2023年6月9日からJioCinemaで配信開始された「Bloody Daddy」は、フランスのアクションスリラー映画「Nuit Blanche」(2011年)のリメイクである。この映画は米国でも「スリープレス・ナイト」(2017年)としてリメイクされている。
監督は「Sultan」(2016年/邦題:スルタン)などのアリー・アッバース・ザファル。主演はシャーヒド・カプール。他に、ダイアナ・ペンティー、ローニト・ロイ、ラージーヴ・カンデールワール、サンジャイ・カプール、アンクル・バーティヤー、ヴィヴァーン・バテーナー、ズィーシャーン・カードリー、スパルナー・モーイトラーなどが出演している。また、人気ラップ歌手バードシャーが本人役で出演している。
舞台はまだコロナ禍にあった2021年末のデリー。麻薬取締局(NCB)のスマイル・アーザード(シャーヒド・カプール)は相棒のジャッギー(ズィーシャーン・カードリー)と共に、5億ルピー分のコカインを運搬していた運び屋を殺し、コカインを押収する。だが、一人を取り逃し、スマイルは顔を見られてしまう。そのコカインは、グルグラームのホテル王スィカンダル・チャウダリー(ローニト・ロイ)のものだった。 スマイルには離婚した元妻リヤー(スパルナー・モーイトラー)との間にアタルヴという息子がいたが、彼とは不仲だった。リヤーは既にアーカーシュと同居しており、彼の子供を身籠もっていた。スィカンダルはアタルヴを誘拐して人質に取り、スマイルを脅す。スマイルは、コカインの入ったバッグを持って、スィカンダルが経営するホテルに向かう。 ところがスマイルは、NCBの同僚アディティ(ダイアナ・ペンティー)に尾行されていた。アディティはスマイルが汚職に手を染めていると疑っていた。スマイルは男性用トイレにバッグを隠し、スィカンダルと交渉に行く。アディティはそのバッグを女性用トイレに隠した。スマイルはアタルヴの無事を確認し、バッグを取りに行くが、見当たらなかった。そこで彼は厨房へ行って小麦粉を袋に詰め、スィカンダルに渡す。その場には、スィカンダルがコカインを売ろうとしていたバイヤー、ハミード・シェーク(サンジャイ・カプール)も来ていた。スマイルは、ハミードがバッグの中身を確認する前にNCBの急襲を演出し、アタルヴを救出して脱出しようとする。ところがハミードにそれがばれてしまい、アタルヴはスィカンダルの元に連れ戻されてしまう。 ところで、スマイルとアディティの同僚サミール(ラージーヴ・カンデールワール)は、ジャッギーと共謀して5億円のコカインを山分けしようとしていた。サミールはアディティからコカインの入ったバッグの場所を聞いてそれを自分の自動車に移していた。そして、スマイルを殺そうとする。 スマイルはハミードを人質に取ってスィカンダルの部屋に乗り込むが、スィカンダルは挑発してきたハミードを撃ち殺す。スマイルは一旦逃げ出し、アタルヴが幽閉されていた部屋を特定して、彼を助けに行く。スマイルはスィカンダルの弟ダニー(ヴィヴァーン・バテーナー)を殺し、アタルヴを救出する。そしてサミールの自動車に乗って脱出する。そこには本物のコカインが入ったバッグもあったが、それはサミールやアディティに押収されてしまう。 サミールとアディティはスィカンダルを逮捕し移送していた。だが、アディティはサミールが裏切り者だということが分かる。サミールは咄嗟にアディティとスィカンダルを殺し、何とか助かろうとするが、アディティは死んでおらず、彼の悪事がばれる。 その後、怪我から回復したスマイルはアタルヴと共にホテルに止めてあった自分の自動車まで行く。そこへアディティがやって来て、押収したコカインが全てではないと知らされる。実はスマイルはバッグから少し抜いており、グローブボックスに入っていた。それを発見したアタルヴは黙っている。
フランス映画の翻案だけあって、伝統的なインドの価値観や世界観とは異なる土台に立脚した映画だった。主人公のスマイルは麻薬取締局(NCB)に勤める警察官であったが、仕事上で押収したコカインを密売して大儲けしようとしていた。ホテル王スィカンダルがコカイン密売の総元締めだったが、スマイルは彼とも通じていた。つまり、主人公が絶対的な正義ではないのである。麻薬を取り締まる警察官が麻薬の密売に手を染めるという、笑えない腐敗がかなりカジュアルに描かれていた。しかも、汚職警官は彼だけでなく、登場するほとんどの警官が何らかの形で汚職に染まっていた。実はこの映画の核心は、警官とマフィアの争いというよりも、汚職警官同士の仲間割れである。
また、たとえ主人公が映画開始当初に汚職警官だったとしても、一連の出来事を通じて改心し、善の道を歩み始めるという、インド映画には定番のパターンも見出せなかった。スマイルはマフィアに誘拐・拉致された息子を救出し、彼の尊敬も勝ち取るが、麻薬を横流しして私腹を肥やすことは止めていなかった。胸にしこりが残る終わり方である。
結局、NCBの警察官の中で、真面目に麻薬を取り締まり、仲間内にいる裏切り者を見つけ出そうとしていたのは、ダイアナ・ペンティー演じるアディティのみだった。そんなアディティにしても、サミールやジャッギーが汚職警官だったことを突き止めたものの、スマイルの本性には気付いていなかった。なんとなくスマイルと結ばれる未来まで匂わせてのエンディングであった。
インド映画は基本的に家族愛礼賛だが、そこに善悪の判別が加わると、必ずしも家族最優先ではなくなる。名作「Mother India」(1957年)は、盗賊になってしまった息子を母親が自らの手で殺すというエンディングで締めくくられる。「Bloddy Daddy」は、父親が息子の尊敬を取り戻すことだけが礼賛されており、それ以外の部分が全く犠牲になっていた。よって、インド映画の定型は外れた映画である。
それでも、アリー・アッバース・ザファル監督の映像力は見事で、最初から最後まで息を付く間のないスリラー映画に仕上がっていた。コロナ禍において撮影されたようで、確かに舞台が限定されていた。デリーのコンナートプレイスで撮影が行われていた他は、ほとんどがホテルの中でのシーンで、スケールの大きさは感じなかった。そうではあるものの、それが欠点とは感じない作りで、そこに監督の手腕を感じた。
コロナ禍に撮影された上にコロナ禍を時代背景にした映画という点もユニークだ。ヒンディー語映画界では既に新型コロナウイルスを題材にした映画はいくつか作られているが、その中でもこの映画は皆がマスクを着用していたあの頃の様子をうまくストーリーに織り込んで消化していた。
主演シャーヒド・カプールは「Kaminey」(2009年)や「Haider」(2014年)に並ぶサイコな演技をしており、素晴らしかった。ダイアナ・ペンティーはそれほど見せ場はなかったものの、印象は残すことができた。ローニト・ロイ、サンジャイ・カプール、ラージーヴ・カンデールワールなど悪役に分類される俳優たちの演技がこれまた素晴らしく、主演シャーヒドと共に映画を支えていた。
「Bloody Daddy」は、フランス映画が原作の、インドの文脈では異質に見える価値観に立脚したアクションスリラー映画で、その点だけを取り上げるならいい印象はない。コロナ禍中に撮影されたため、制約を感じないこともない。しかしながら、アクションスリラーの部分が優れており、最初から最後まで疾走し続ける映像を楽しむことができる。OTTリリースされたのがもったいない作品だ。