2023年3月23日にZee5で配信開始された「Kanjoos Makhichoos」は、2010年代に流行した汚職撲滅映画(参照)の一種だ。題名になっている2単語はどちらも「ケチ」という意味で、特に後半の「मक्खीचूस」の方は、飲み物の中に落ちたハエを絞って吸うほどのケチを意味する強烈な言葉である。
監督はヴィプル・メヘター。過去に何本か映画を撮っているが、全く無名の作品ばかりである。主演はクナール・ケームー。「Lootcase」(2020年)以来3年振りの出演作になる。他に、シュエーター・バス・プラサード、ピーユーシュ・ミシュラー、アルカー・アミーン、ヘーマー・スィン、ラージュー・シュリーヴァースタヴァ、ラージーヴ・グプターなどが出演している。有名なコメディアンであり、ヒンディー語映画への出演歴もあるラージュー・シュリーヴァースタヴァは2020年に死去しており、これが遺作になった。
ウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウーに住むジャムナー・プラサード・パーンデーイ(クナール・ケームー)はケチで有名だった。父親のガンガー(ピーユーシュ・ミシュラー)、母親のサラスワティー(アルカー・アミーン)、妻のマードゥリー(シュエーター・バス・プラサード)、そして息子のクリシュと共に住んでおり、祭祀用品店を営んでいた。 ジャムナーは節約して貯めた8万ルピーを使って両親をチャール・ダーム巡礼ツアーに送る。だが、ツアー中にケーダールナートの洪水に巻き込まれ音信不通になる。25日以上連絡が取れなかったため、役人のヤーダヴ(ラージュー・シュリーヴァースタヴァ)からは補償金支給の対象になると知らされる。その額は二人合わせて140万ルピーだった。当初は両親の死を認めなかったジャムナーであったが、叔母のジュムリー(ヘーマー・スィン)をはじめ、近所の人々から説得され、補償金を受け取ることにする。ただし、ヤーダヴの上司アーローク・チャトゥルヴェーディー(ラージーヴ・グプター)は、140万ルピーの内、100万ルピーしかジャムナーに渡さなかった。残りの4万ルピーは、チャトゥルヴェーディーをはじめ、政治家や官僚が懐に入れてしまっていた。 ジャムナーは手に入れた100万ルピーを使って、家のリノベーションをしたり、公園にベンチを作ったり、息子を英語ミディアムの学校に入れたり、妻にiPhoneを買ったりした。ところが突然ガンガーとサラスワティーが家に帰ってくる。二人は生きていたのだった。ジャムナーはヤーダヴにそのことを相談にいく。100万ルピーを返そうとするが、汚職が関わっていたため、簡単にはいかなかった。チャトゥルヴェーディーからは、両親を死んだことにしろと指示される。しかし、近所の人々にはガンガーとサラスワティーが生きていることがばれてしまった。 ジャムナーはSNSやマスコミを使ってチャトゥルヴェーディーの汚職を糾弾しようとする。だが、チャトゥルヴェーディーは500万ルピーでジャムナーを黙らせようとする。一度はその金を受け取ろうとしたジャムナーであったが、同じように洪水の犠牲者の遺族が汚職に悩んでいるのを知り、汚職の追及を続けることを決意する。委員会が開かれ、ジャムナーは自分の身に起こったことだけではなく、多くの遺族が補償金の全額を受け取れていない現状を訴える。また、ジャムナー自身は使い果たしてしまった100万ルピーを政府に返すと約束する。おかげで汚職役人は逮捕され、遺族に補償金の全額が支払われた。 ジャムナーの家族は、今では以前以上にケチな生活をし、100万ルピーを政府に返そうとしていた。
汚職問題を追及しようとしているだけあって、とても誠実な映画だった。題名は「ケチ」という意味であり、コメディー映画的に始まるのだが、ストーリーは岐路に立つたびに道徳的に正しい方向に進み、監督や脚本家の誠実さが滲み出ていた。それ故のつまらなさも感じないことはないのだが、こういう映画があってもいいだろう。
まずは、ドケチで有名なジャムナーのドケチ振りが描写され、この映画は人気漫画「つるピカハゲ丸くん」のようなドケチ・コメディー映画なのかと受け止める。しかし、すぐにジャムナーがなぜそれほどドケチな生活をしていたのかが明かされる。なんと彼は、両親にチャール・ダーム巡礼ツアーをプレゼントするために一生懸命倹約してお金を貯めていたのだった。チャール・ダームとはここではヒマーラヤ山脈にあるヒンドゥー教の聖地のことで、ヤムノートリー、ガンゴートリー、ケーダールナート、バドリーナートを指す。
一気に親孝行ドラマに急転回するのだが、すぐにさらなる急転回が待っている。2013年6月16日にインド北部で大雨が降り、ケーダールナートでは大洪水が起こった。「Kedarnath」(2018年)でも題材になっていた事件だが、この「Kanjoos Makhichoos」でも参照にされていたのは2013年の出来事だと思われる。ちょうどケーダールナートに向かっていた両親と連絡が取れなくなり、ジャムナーは両親の死を受け入れざるを得なくなる。
ただ、ここからが映画の本番であった。大洪水の犠牲者の遺族には政府から一人あたり70万ルピーが支払われることになった。ジャムナーは両親二人を失ったので、合計140万ルピーを受け取る権利があった。しかし、いざ役人のチャトゥルヴェーディーと話をすると、100万ルピーしか渡せないといわれる。その金を用意するまでに多くの政治家や官僚の署名が必要になり、その署名のたびに中抜きされていったのである。ジャムナーは仕方なく100万ルピーを受け取る。
大方の予想通り、両親は生きていた。貪欲かつ狡猾な主人公だったら、既に大金を受け取っているため、両親の生存を隠し通そうとするだろう。一瞬、そういうコメディー映画に移行するのかと考えた。だが、ジャムナーは「Bajrangi Bhaijaan」(2015年/邦題:バジュランギおじさんと、小さな迷子)のバジュランギー以上に誠実な人間で、その金をねこばばしようとは露も思わず、役人のところに相談に行き、両親が生存していることを伝える。だが、汚職に染まった金だったため、手続きは一筋縄には行かなかった。面倒を避けたいチャトゥルヴェーディーは両親の死を隠し通すようにジャムナーに指示する。
今度は、死んでいるはずの両親を世間の目から必死に隠そうとする際のドタバタを描いたコメディー映画になるのかと考えた。もしくは、「Kaagaz」(2021年)のように、書類上死んだことになった人間を生き返らせる苦労を描いた映画になるのかとも考えた。だが、そういう場面は限定的で、すぐに次のフェーズへと移行する。汚職の糾弾が始まったのである。
その手段はとても現代的で、InstagramなどのSNSを使って動画を拡散させ、人々の関心を引き寄せるというものだった。そこからはほとんどトントン拍子で、汚職役人逮捕のエンディングまで一気に進行する。
しばらくスクリーンから離れていたクナール・ケームーは、今回ラクナウーの方言であるアワディー語訛りのヒンディー語を話し、演技力や表現力に磨きを掛けていた。今までは「Golmaal 3」(2010年)や「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)など、複数主演の一人を演じることが多かったが、今回は単身コミックロールを演じ、実力を証明したといえる。「Masaan」(2015年)で注目を浴びたシュエーター・バス・プラサードも、軽めの演技を生き生きとこなしていたが、クナールとの体格差が気になった。かなり小柄な女優である。
年配の俳優陣も活躍していた。ピーユーシュ・ミシュラーは相変わらずべらんめえ口調でヒンディー語をしゃべるので何を言っているのか分からないことがあるが、とても上手い俳優だ。アルカー・アミーンやヘーマー・スィンもパワフルな演技だった。
ラージュー・シュリーヴァースタヴァにとってはこれが遺作になった。我の強い演技ではなく、役になりきって物語に溶け込んでいた。まだまだこれからも活躍できそうだったのに残念なことである。
「Kanjoos Makhichoos」は不思議な映画だ。コメディー映画のように始まり、途中でジャンルがコロコロと変わって、いつの間にか汚職撲滅を訴える社会派映画のようになっていた。娯楽映画として底抜けに楽しい映画というわけでもないのだが、誠実な作りであり、このような映画が作られていることに安心してしまう。クナール・ケームーの円熟振りを観ることもできる。観て損はない映画である。