Polite Society (UK)

3.0
Polite Society
「Polite Society」

 米マーベル・スタジオのネットドラマ「ミズ・マーベル」(2022年)は、マーベルのスーパーヒーローに憧れるパーキスターン系米国人女性を主人公にしており、非常にユニークだった。それと直接関係があるのかは不明だが、同じ方向性を感じる英国映画が「Polite Society」である。2023年1月21日にサンダンス映画祭でプレミア上映され、米国と英国では同年4月28日に劇場一般公開された。異色の女性主体印パ的カンフーアクション映画である。

 監督はパーキスターン系英国人ニダー・マンズール。10歳までシンガポールで生まれ育ち、その後英国に移住した。TVドラマの監督として身を立て、今回初めて長編映画を撮った。キャストは、プリヤー・カンサラー、リトゥ・アーリヤ、ニムラー・ブチャー、アクシャイ・カンナー、ショーブー・カプール、ジェフ・ミルザーなどで、ほとんどが印パ系英国人俳優だ。

 リヤー・カーン(プリヤー・カンサラー)はスタントウーマンを目指し、YouTubeチャンネルにアクション動画を投稿するパーキスターン系英国人女子だった。姉のリーナー(リトゥ・アーリヤ)は芸術学校を中退し宙ぶらりんの生活を送っていた。

 あるときリヤーとリーナーは両親に連れ出されて、裕福なシャー家のイード・パーティーに行く。シャー家の女主人ラヒーラー(ニムラー・ブチャー)の一人息子で産婦人科医のサリーム(アクシャイ・カンナー)はリーナーを見初める。リーナーもハンサムなサリームに好意を持たれたことで舞い上がってしまい、彼らの縁談はトントン拍子に進む。だが、リーナーに芸術家になってもらいたかったリヤーはこの結婚に大反対だった。

 リヤーは友人たちと共にリーナーとサリームの縁談を破談にさせるためにあれこれ画策する。その過程でリヤーはシャー家の秘密を知ってしまう。彼らの家には秘密の研究所があり、そこでは不気味な実験が行われていた。彼らはイード・パーティーに訪れた女性たちの子宮をスキャンしており、優れた子宮を探していた。だが、それ以上のことは分からなかった。とにかく、リヤーはリーナーの身に危険が迫っていると察知する。

 リヤーと友人たちは、リーナーとサリームの結婚式にリーナーを誘拐し、彼女を救う計画を立てる。勘の鋭いラヒーラーはそれを阻止しようとする。リヤーとラヒーラーは戦うが、その中でリヤーは、ラヒーラーが自分のクローンを作るためにリーナーの子宮を利用しようとしていることを知る。リヤーは閉じ込められるが脱出し、婚姻の儀式の直前に公衆の面前でシャー家の秘密を暴露する。リーナーはリヤーの言うことを信じ、一緒に逃げ出す。リヤーはラヒーラーを倒し、脱出に成功する。

 当然のことであるが、印パ系英国人俳優が起用されているものの、インド映画的な文法からは全く外れた作りをしており、インド映画と同列に評価することはできない。ストーリーの持って行き方、家族内の人間関係、道徳観念など、ひとつも南アジアらしさを感じることはない。一昔前に、インド系移民がインド文化と移民先文化の板挟みに遭う様子を描いたNRI映画が流行したことがあったが、それとも全く異なる。英国映画にカンフー的な格闘技を混ぜ込み、印パ風味をまぶしただけである。

 ビジュアル的に面白いのは、典型的な結婚式衣装に身を包んだ姉妹がカンフーアクションをするところだ。しかも、なぜか登場人物の大半も実はカンフーの使い手であり、主人公たちと互角の戦いを繰り広げる。人種を見ると、南アジア人、白人、オセアニア人などがいる。まるで無国籍料理を食べている感覚だ。

 重要な役割を果たすのはほとんどが女性である。これは昨今の世界的なトレンドだといえる。主人公リヤー、その姉のリーナー、そして悪役リハーナーなど、ほぼ女性たち同士のドラマであり、男性キャラは蚊帳の外に置かれている。リーナーの結婚相手サリームにしても母親リハーナーの操り人形であり、主体性は乏しい。さらに、優秀な子宮を求めた陰謀がストーリーの下敷きになっている。セリフの中にも生理に関する話題などフェミニンなものが多い。敢えて中華系の登場人物は出さず、上記の南アジア人、英国人、オセアニア人の女性たちが殴り合い蹴飛ばし合う点もユニークだ。

 「Polite Society」は姉妹愛の物語でもあった。リヤーとリーナーの関係性は、「アナと雪の女王」(2013年)のアナとエルサを思わせる。結婚し、シンガポールへ移住しようとするリーナーをリヤーは必死で止めようとする。リヤー曰く、リーナーは芸術家になるべきであり、結婚はその妨げになるとのことだった。なぜリヤーがそんなにリーナーに芸術家になってもらいたかったのかはよく分からなかったが、彼女のその病的な執念が最終的に彼女を救い、奇妙な実験の犠牲にならずに済む。

 音楽の使い方も完全に南アジアの文脈を脱却していた。一応、「The Train」(1970年)の挿入歌「Gulabi Aankhen」や「Devdas」(2002年)の「Maar Daala」などが使われていたが、他にも古今東西の曲が使われており、一定の色に染まっていなかった。驚いたのは日本語の曲も使われていたことだ。浅川マキの「ちっちゃな時から」である。どうしてこの曲を使うに至ったか、是非監督に聞いてみたいところである。ちなみに、空手の道場らしいシーンはあったものの、日本人らしきキャラは登場しない。

 もっとも疑問に感じたのは結婚式のシーンである。イスラーム教の結婚式のはずだが、そのような特徴はほとんど見られなかった。会場を男女別に分けることもしていなかったし、カーズィーによる結婚の意思の確認もキリスト教的であった。もしかしたら英国の移民社会ではこのような形態の結婚式が行われているのかもしれないが、そうでなければフェイクだ。

 言語は基本的にスラング混じりの英語である。英語字幕の助けを借りて観たが、スラングまで理解が追いつかず、細かい部分の理解度は低い。時々、「マーシャー・アッラー」や「インシャー・アッラー」のようなアラビア語の定型フレーズや、ヒンディー語・ウルドゥー語の単語が入る。

 「Polite Society」は、普段インド映画に慣れ親しんでいる者の目からすると異色の作品に映る。おそらく英国映画としてもかなり奇をてらった作品だと思われる。この映画自体に対して個人的にはあまり高く評価していないが、英国の移民社会の中からニダー・マンズールのような新たな面白い監督が出て来たことは歓迎したい。今後の活躍に期待である。