「インド神話のスーパーカップル」と呼ばれるラーダーとクリシュナは、インド映画を理解する上でも最重要な存在だ。この二人が映像で、もしくは歌詞や台詞の中で登場する機会は非常に多い。彼らの逸話はインドの全ロマンス映画の下敷きになっているといっても過言ではないほどである。もちろん、この二人を祀った寺院はインド国内外に多く存在し、北インドを中心に篤く信仰されている。
勘違いしやすいのだが、ラーダーとクリシュナは夫婦ではない。ラーダーは「アヤーン」などと呼ばれる別の男性と結婚し、クリシュナもルクミニーなど複数の妃を持っている。よって、ラーダーとクリシュナのカップルは、彼らがそれぞれ配偶者を持つ前の未婚のカップルか、それとも不倫ということになる。それでも、二人は世俗的な関係を超えたカップルとして、寺院や家庭などで祀られている。
まずはクリシュナとラーダーについてそれぞれ簡単に説明し、その後、この二人について、映画での表象も踏まえながら解説する。
クリシュナ
ヒンドゥー教三大神の一人ヴィシュヌ神は、様々な化身(アヴァターラ)となって地上に降り立ち、世界を救済する。「アヴァターラ」はネット用語「アバター」の由来になった言葉だ。ヴィシュヌ神の化身は主に10あり、それらは「ダシャーヴァターラ(十化身)」と呼ばれる。地域によってその内訳は異なるのだが、北インドでヴィシュヌ神の8番目の化身とされているのがクリシュナである。
クリシュナには多くの異名がある。カーナー、カナイヤー、ギールダーリー、キシャン、キショール、ケーシャヴ、ゴーパール、ゴーヴィンダー、シャーム、ビハーリー、マーダヴ、ムラーリー、ランチョールなどなど、枚挙に暇がない。オリシャー州プリーに位置する有名なジャガンナート寺院に祀られているジャガンナート神もクリシュナの別の姿とされている。
現在見られるクリシュナは、インド各地で信仰されていた異なる信仰対象が複数習合したものと考えられているが、少なくとも2つには大別できる。ひとつは幼少時のクリシュナであり、もうひとつは成人してマハーバーラタ戦争で英雄として活躍したクリシュナである。この二者の間には大きな断絶があるようにも見え、元々異なるものがどこかの時点でひとつに習合したと考えた方が理解しやすい。
クリシュナは、現在のウッタル・プラデーシュ州マトゥラー近辺で生まれ育ったとされている。この地域は伝統的に「ブラジ」と呼ばれている。現在でも当地には、ヴリンダーヴァンやゴーヴァルダンなど、クリシュナ関連の聖地や史跡が点在しており、巡礼路も存在する。この地域性もあって、クリシュナ信仰は北インドの方が盛んである。
クリシュナの出生は複雑だ。実の両親はヴァスデーヴァとデーヴァキーであるが、育ての親は、ヴァスデーヴァの従兄弟ナンダとその妻ヤショーダーだ。どちらも「ヤーダヴァ(ヤーダヴ)」と呼ばれる牧畜民カーストに属しており、クリシュナ自身の所属カーストも一般的にはヤーダヴァと考えられている。マトゥラー城に幽閉されていたデーヴァキーが産んだクリシュナは、マトゥラーで悪政を敷いていたカンサ王に殺害されそうになったため、父親のヴァスデーヴァによって運び出され、ナンダとヤショーダーによって育てられることになったのだった。
幼少期のクリシュナは、愛らしい赤ちゃんの姿や、ハンサムな青少年の姿で描写される。牧童なので牛を連れていることが多く、横笛を奏でるのが得意である。悪戯好きであり、小さい頃はヤショーダーに悪戯し、大きくなるとゴーピー(牧女)たちを困らせた。それでも、クリシュナはヤショーダーから愛情たっぷりに可愛がられ、ゴーピーたちのアイドルであった。女性にちょっかいをかける割には女性から愛されて止まない存在としてのクリシュナは、現代のインド映画の男性ヒーロー像にもかなり色濃く受け継がれ、果てはインド人男性の女性に対するアプローチ方法にまで影響を与えている。
女性を虜にするチャーミングさを持つ一方で、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナは神がかったスーパーパワーも持っている。この時期のクリシュナは、ヤムナー河を支配する竜王カーリヤや、鳥の形をした悪魔バカなどを退治している。また、インドラ神と対立し、怒ったインドラ神が降らせた大雨を、ゴーヴァルダン山を持ち上げて防ぎ、村民を守ったりもしている。最終的にクリシュナは、実の両親を幽閉し自分を殺そうとしたカンサ王を倒す。クリシュナ神の幼少期のエピソードは、カンサ王の退治でもって一旦区切られることが多い。
インド二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」には、成人したクリシュナが登場し、重要な役回りを演じる。しかしながら、幼少期のクリシュナとはだいぶ異なったキャラだ。
クリシュナは、マハーバーラタ戦争前にも度々登場する他、戦争が起こると、善玉であるパーンダヴァ五王子の三男アルジュナが乗る戦車の御者を務める。また、戦争直前に戦意を喪失したアルジュナに対し、クリシュナは戦士としての義務を説き、戦意を奮い起こさせた。このときの彼の言葉は「バガヴァドギーター」としてまとめられ、ヒンドゥー教徒たちの心の拠り所になっている。戦争中、彼は善玉であるパーンダヴァ五王子に、相手より優位に立つためにルール違反をそそのかす一面も覗かせる。
マトゥラー地方で生まれ育ったクリシュナだが、マハーバーラタ戦争を生き抜き、最終的には現グジャラート州のドワールカーの統治者になった。しかしながら、ドワールカーでは内紛が発生し、クリシュナ自身は森林で猟師に鹿と間違えられてアキレス腱を撃たれ死ぬという、意外にあっけない最期を迎える。繁栄を極めたドワールカーの都市も海中に沈み、跡形もなくなってしまう。
ラーダー
ラーダーはブラジ地方で生まれ育った。彼女の故郷はバルサーナー村で、クリシュナが育ったヴリンダーヴァンからそう遠くない。彼女もヤーダヴァの首領の娘とされるが、素朴な牧女の姿で描写されることが多い。クリシュナがヴィシュヌ神の化身であるのに対応し、ラーダーはヴィシュヌ神の妃ラクシュミーの化身とされる。ラーデー、ラーディカーなど、いくつか異名もある。
「ラーマーヤナ」に登場するスィーターに比べると、ラーダーは自由奔放な女性の印象が強い。スィーターが戦士階級であるクシャトリヤに属する「武家の女」であるのに対し、ラーダーは牧畜や酪農を生業とするヤーダヴァの女性という違いもある。王族としての尊厳を保ち、感情をコントロールしている印象の強いスィーターと異なって、感情豊かな描写がされることも多く、クリシュナが他のゴーピーと仲良くしているのを見て嫉妬したりする。
ラーダーとクリシュナは「ラースリーラー」と呼ばれる遊戯を繰り広げるとされる。夜にクリシュナが横笛を吹くと、その音に誘われてゴーピーたちが森林に集まり、クリシュナと踊る。クリシュナは自らの分身を作り出してゴーピー一人一人と同時に踊るのだが、ゴーピーのリーダーであるラーダーとは自ら踊る。このミステリアスな饗宴の様子は、文学、舞踊、そして映画など、様々な文芸の格好の題材になってきた。
前述の通り、ラーダーはクリシュナと恋仲にはなるものの、婚姻関係には至らなかったとされることがほとんどだ。ラーダーはクリシュナよりも年上だったとされることも多い。ラーダーもクリシュナも他の配偶者と結婚するが、彼らの名前はあまり話題に上らない。インド人にとっては、ラーダーといえばクリシュナ、クリシュナといえばラーダーなのである。
いまだに恋愛結婚が主流ではないインドでは、自分の好きな相手と結婚するのは難しい。結婚は家族と家族の結びつきであり、家系の存続のためのものであり、社会的なものであると割り切って、結婚を超越したスーパーカップルであるラーダーとクリシュナに、個人と個人の結びつきとしての理想の男女関係像を求め、信仰しているように感じることもある。
クリシュナがヴリンダーヴァンにいる間は、二人が常に一緒にいる姿がよく描かれるが、クリシュナがカンサ王を倒してからは、ラーダーの消息はほとんど途絶える。一説によれば二人は再会したともされるし、また別の説によれば、ラーダーは消え去ったともされる。ラーダーは、クリシュナの親友スダーマーによって、クリシュナと100年間離れ離れになるという呪いを掛けられたともされており、その呪いが解けた後にようやくクリシュナと会えたという伝承もある。
文学
ラーダーとクリシュナに対する信仰は、伝承を含む文学によって形成されていった。ただし、クリシュナは「マハーバーラタ」に最重要人物の一人として登場するものの、ラーダーについての言及は全くない。この点からも、「マハーバーラタ」に登場するクリシュナは、ブラジ地方で信仰されるクリシュナとは元々異なっていた可能性があることが分かる。
ラーダーとクリシュナについて書かれた最初期の本は、12世紀にジャヤデーヴァが著したサンスクリット語の恋愛詩集「ギータ・ゴーヴィンダ」である。ジャヤデーヴァの出生地については諸説があるが、現在のオリシャー州という説が有力である。「ギータ・ゴーヴィンダ」では、ヴリンダーヴァンで過ごすラーダーとクリシュナの恋愛が、豊かな感情表現と共に描写されている。元々クリシュナの恋人には名前がなかったのだが、「ギータ・ゴーヴィンダ」はその恋人に「ラーダー」という具体的な名前を与えた最初期の例ともされている。
その後、インド各地でラーダーとクリシュナを描写する詩が多く作られた。ヒンディー語圏においては、スールダースとミーラーバーイーの二人が重要だ。16世紀の盲目の詩人スールダースは、子供の頃のクリシュナのあどけない様子をヒンディー語のブラジ方言で生き生きと描いたことで有名だが、ラーダーとクリシュナの間の恋愛感情も多くの詩にしている。同じく16世紀の詩人ミーラーバーイーは、この時代には珍しい女性の詩人である。王族の生まれながらクリシュナ信仰に身を捧げ、自らをラーダーやゴーピーと重ね合わせて、クリシュナへの愛情を情熱的かつエロティックに歌い上げた。
祭礼
毎年8月~9月に祝われるジャナマーシュタミーはクリシュナの生誕祭である。この日はクリシュナを祀った寺院を中心に、各地で盛大にお祝いがされる。祝い方は様々だが、デリーでは、子供がクリシュナのコスプレをしたり、軒先にクリシュナに関するジオラマを作ったりする習慣がある。
映画の中で目を引くのが、ダヒー・ハンディーと呼ばれる行事である。ヨーグルトやバターが入った壺を高所に吊るし、人々が組体操のピラミッドのように組み合わさって土台を作り、リーダーとなる人がそれを登って壺を壊す。これは、クリシュナが友人たちと協力して、高所に吊されたバター壺を盗んだというエピソードに由来している。ヒンディー語映画の本拠地であるムンバイーを含むマハーラーシュトラ州で特に行われるため、ヒンディー語映画に登場する機会が多い。
「OMG: Oh My God!」(2012年)の「Go Go Govinda」もダヒー・ハンディーをテーマにしたダンスソングであり、歌の最後でソーナークシー・スィナーが人間ピラミッドをよじ登って壺を割る。
ラーダーの誕生日はクリシュナの誕生日の約15日後とされており、ラーダーシュタミーと呼ばれる。ただ、クリシュナ神話の本拠地であるブラジ地方限定の祭りであり、他の地域ではそれほど祝われない。
ラーダーとクリシュナととても所縁が深いのがホーリーだ。ホーリーの由来はいくつかあるのだが、この日に水や色粉を掛け合うようになったきっかけとして、二人が引き合いに出されることが多い。ホーリーの詳細についてはリンク先をご覧いただきたい。
ブラジ地方特有のホーリーとして有名なのが、バルサーナーとナンドガーオンのラトマール・ホーリーである。バルサーナーはラーダーの故郷であり、ナンドガーオンはクリシュナが幼少時を過ごした場所のひとつだ。伝承によると、クリシュナは友人たちと共に、ラーダーやゴーピーたちとホーリーを遊びにバルサーナーを訪れたが、ふざけたラーダーたちは彼らを棒で叩いて追い払った。この出来事を再現するため、ホーリーの日、ナンドガーオンの男性たちは大挙してバルサーナーを訪れる。バルサーナーの女性たちは棒を持って待ち構えており、ナンドガーオンの男性たちを叩きまくる。「奇祭」と呼ばれるホーリーの中でも輪を掛けて「奇祭」であるラトマール・ホーリーは、今や一大観光行事になっている。
映画の中のラーダーとクリシュナ
インド映画の基本ジャンルはロマンスである。現実世界の物語を神話に投影させて語る手法はインド映画の得意技だが、ロマンスについては、ラーダーとクリシュナが引き合いに出される確率が非常に高い。二人は未婚のカップルであるという点で、結婚前の男女の恋愛を語るのに都合がいいのに加えて、お互いに別の配偶者がいるという意味では、不倫を匂わせることも可能であり、重層的な使い方ができる。インドのロマンス映画は、ラーダーとクリシュナの理解なしには語れない。
やはりラーダーとクリシュナが引き合いに出されるのは歌詞の中であることが圧倒的に多い。ヒーローとヒロインの人間関係や感情の動きを、この二人のエピソードに載せて歌うことで、文学的な深みが出るのである。
例えば、大ヒット映画「Lagaan」(2001年)には、「Radha Kaise Na Jale」というダンスシーンがあった。ジャナマーシュタミーの夜に、主人公ブヴァン(アーミル・カーン)とヒロインのガウリー(グレーシー・スィン)が、英国人女性エリザベスの前でクリシュナとラーダーに扮して踊りを踊る。ブヴァンに片思いをしていたガウリーは、彼が最近エリザベスと仲良くしているのを見て嫉妬する。その思いを、「ラーダーはどうして嫉妬せずにいられようか」という題名の歌に託し、怒りを交えて踊りを踊るのである。
実際にラーダーは、ゴーピーと仲良くするクリシュナを見て嫉妬していたことがあった。それを踏まえて、「Radha Kaise Na Jale」の歌詞でクリシュナは、「ゴーピーはたくさんある星に過ぎないけど、ラーダーはひとつしかない月」と言ってラーダーを諭すのである。これは、エリザベスに嫉妬するガウリーに対してブヴァンが投げ掛けている言葉にもなる。歌詞のこういう深みを掴めるようになると、インド映画の楽しさはグッと増す。
また、「Lagaan」の最後では、ブヴァンはガウリーと結ばれ、エリザベスは英国に帰る。だが、インド文化に触れ、ラーダーとクリシュナの特別な関係について知ったエリザベスは、自身をラーダーになぞらえ、ブヴァンへの恋心を貫き通しながら、一生独身を通したと語られる。つまり、途中からラーダーがガウリーからエリザベスに入れ替わったのである。
やはり大ヒットとなった映画「Devdas」(2002年)の複数の挿入歌でも、ラーダーとクリシュナが登場する。娼婦チャンドラムキー(マードゥリー・ディークシト)がカッタクダンスを踊る「Kahe Chhed Mohe」では、クリシュナに悪戯されるラーダーの気持ちが歌われ、恋破れて娼館を訪れたデーヴダース(シャールク・カーン)を誘惑すると同時に、その後のデーヴダースとチャンドラムキーの関係性が暗示される。「Morey Piya」では、デーヴダースと幼馴染みパーロー(アイシュワリヤー・ラーイ)の深夜の密会が、クリシュナとラーダーのラースリーラーになぞらえて歌われる。
インド映画においてラーダーとクリシュナについて台詞や歌詞で言及された場合、必ず何らかの深い意味があるものと思って観た方がいい。また、インド映画の英語字幕や日本語字幕を見ると、時々クリシュナとラーダーを「ロミオとジュリエット」などで置き換えてしまっているものがある。字幕の特性もあり、万人に理解されやすい翻訳を求めての結果かもしれないが、インド映画の深みを破壊する行為であり、好ましくない。是非そのまま「クリシュナとラーダー」にしておいてもらいたい。