Quaid-e-Azam Zindabad (Pakistan)

4.0
Quaid-e-Azam Zindabad
「Quaid-e-Azam Zindabad」

 インドの全ての紙幣に「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーの肖像が印刷されているのと同じように、隣国パーキスターンの全ての紙幣には「パーキスターン建国の父」ムハンマド・アリー・ジンナーが印刷されている。ジンナーは「Quaid-e-Azam」の尊称で呼ばれることが多いが、これは「偉大なる指導者」という意味である。

 2022年7月7日に中東でプレミア上映され、10日にパーキスターンで一般公開された「Quaid-e-Azam Zindabad(偉大なる指導者万歳)」は、ジンナーの伝記映画ではなく、ジンナーが印刷された紙幣にまつわる汚職撲滅系コメディーファンタジー映画だ。

 監督は「Khel Khel Mein」(2021年)のナビール・クライシー。主演は「Na Maloom Afraad」(2014年)のファハド・ムスタファーとヒンディー語映画「Raees」(2017年)のマーヒラー・カーン。他に、「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)のジャーウェード・シェーク、メヘムード・アスラム、ナイヤル・エジャーズ、カヴィー・カーンなどが出演している。また、クライシー監督自身が「Loota Rey」のダンスシーンで一瞬だけカメオ出演している。

 カラーチー在住のグラーブ・ムガル警部補(ファハド・ムスタファー)は、貧しいが正直な退役警察官ムニール(カヴィー・カーン)に育てられたものの、収賄をして裏金を稼ぐ汚職警察官になってしまっていた。グラーブ警部補は子供の頃から父親に、「紙幣のジンナーがお前を見張っているから悪いことをしてはいけない」と教えられてきたが、そんなことはどこ吹く風だった。上司のバーバル・ジーラーニー警視長(メヘムード・アスラム)や部下のローナク・アリー巡査(ジャーウェード・シェーク)と結託して裏金を貯め込んでいた。また、グラーブ警部補は美しい獣医ジヤー(マーヒラー・カーン)と出会い、恋仲になる。

 ある日、ムニールは息子が貯め込んだ裏金を発見してしまう。それを責めると、グラーブ警部補は開き直り、正直な人生に何の価値もないと口答えをする。ショックを受けたムニールは神に奇跡を祈りながら息を引き取る。

 そのときからグラーブ警部補の所有物となった紙幣に印刷されていたジンナーが消えてしまう不思議な現象が起こり始めた。ジンナーが印刷されていない紙幣は偽札だとして受け取ってもらえず、何の価値もなくなってしまった。その話を聞いたローナク巡査の身にも同じことが起こり始める。どうやら「紙幣のジンナーがお前を見張っているから悪いことをしてはいけない」という戒めを信じない人にこの現象が起きるようであった。

 ジヤーから助言を受けたグラーブ警部補とローナク巡査は、今まで賄賂を受け取った人物に金を返し始める。紙幣は、正当な持ち主に返されることで正常に戻った。二人は全ての裏金を元の持ち主に返す。それだけでは飽き足らず、グラーブはバーバル警視長にも不正を止めるように進言する。バーバル警視長は怒って彼を追い出す。

 バーバル警視長も汚職にまみれていたが、彼を操っていた政治家ラーナー・スィカンダル(ナイヤル・エジャーズ)はさらなる巨悪であった。グラーブ警部補はラーナーとバーバル警視長の前で、悪いことをするとジンナーの肖像が紙幣から消える話をする。二人とも信じなかった。そのせいで二人が持っていた現金からジンナーが消えてしまう。

 グラーブ警部補はラーナーとバーバル警視長に、まずはジンナーに謝罪をさせる。その後、裏金を元の持ち主に返すように言う。ところが悪知恵の働くラーナーは、ジンナーの肖像がない新しい紙幣を発行し、自分が持っているジンナーの肖像画消えてしまった裏金を使える状態にしようとする。それを知ったグラーブ警部補はラーナーの邸宅に家宅捜索に入ろうとするが、阻止される。ラーナーは邸宅に火を付け、裏金を飛行機で国外に持ち出そうとするが、グラーブ警部補の活躍により、その多額の現金は空中でばらまかれる。地上の人々の手に渡った紙幣は正常に戻った。

 ラーナーは国外脱出を図ろうとするが、心を入れ替えたバーバル警視長の計らいにより、刑務所に連れて行かれる。ラーナーは遂に投獄される。一方、グラーブ警部補は昇進し、ジヤーとも結婚する。

 「Quaid-e-Azam Zindabad」を観て真っ先に感じたのは、ヒンディー語映画との類似性だ。ジンナーなどへの言及がなければ、これがパーキスターン映画であることを忘れてしまうほど、ヒンディー語映画と共通の文法で作られていた。アップビートなダンスシーンもあるが、その使い方もヒンディー語映画と全く同じである。おそらく優れたヒンディー語映画をよく研究し、その手法に倣ってこの映画を撮っていることと思われる。詰まるところ、ヒンディー語映画と同じ感覚で普通に楽しめる娯楽映画だった。

 汚職撲滅映画というトレンドは、インドでは2011年のアンナー・ハザーレーによるジャン・ロークパール運動から本格的に始まった。汚職した政治家や官僚などを悪役とし、主人公が世直しをするという筋は昔からあったのだが、2010年代はそれが最高潮に達した時代だった。「Quaid-e-Azam Zindabad」からは、その時代のインド映画で見られたそのトレンドの影響すら感じる。

 また、インドでは「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)がガーンディーの哲学を現代に蘇らせる効果があった。「Quaid-e-Azam Zindabad」において、肖像以外にジンナーは登場しなかったが、パーキスターン建国の父が汚職を見張っているというメッセージは、「Lage Raho Munna Bhai」のパーキスターン版だと評価することもできるだろう。

 さらに、憎めない汚職警官が主人公という点では「Dabangg」(2010年/邦題:ダバング 大胆不敵)に通じるものがあった。

 紙幣からジンナーの肖像が消えてしまうという奇跡がこの映画の肝になっている。もちろん、現実世界ではそんなことは起こり得ないだろうが、とても風刺に富んだ現象だ。そのアイデアは賞賛したい。だが、それよりも面白かったのは、裏金を貯め込んだ政治家ラーナーの取った行動である。彼が大量に貯め込んでいた紙幣からもジンナーの肖像が消えてしまい、主人公グラーブ警部補から元の持ち主に返すように言われるのだが、彼はそれをそのまま実行するほど単純な悪人ではなかった。悪知恵を働かせ、驚くべき手段に出る。それは、ジンナーの肖像のない紙幣を新紙幣として発行するというものだった。この展開には仰天した。

 新紙幣発行というと思い当たる出来事がある。インドのナレーンドラ・モーディー首相が2016年に突如として強行した高額紙幣廃止である。モーディー首相は当時最高額の紙幣であった1,000ルピー札と500ルピー札を法定通貨から外してしまった。その第一の理由は汚職撲滅であった。その後、新しく2,000ルピー札を発行した他、その他の紙幣も順次刷新していった。ちょうど「Quaid-e-Azam Zindabad」でもラーナーは自らが汚職政治家であるにもかかわらず汚職撲滅を掲げて紙幣のデザイン変更を提案していた。これも無関係とは思えない。

 大部分はほとんど引っ掛かるところもなく鑑賞できたが、終盤で見られたアクションシーンのCGにはまだ未熟な点が見られた。特にバイクに乗って飛行機に飛び移るシーンや、飛行機が海に墜落するシーンは、安っぽさを感じた。それでも、ダンスシーンは一般的なヒンディー語映画と比べて遜色ないものだったし、主演を演じたファハド・ムスタファーやマーヒラー・カーンも好演していた。ローナク巡査を演じたジャーウェード・シェークも相変わらず上手い俳優だ。

 実際にカラーチーで撮影されており、マザーレ・カーイド(ジンナー廟)でもロケが行われていた。パーキスターン映画の本拠地といえば伝統的にはラホールだったが、近年ではカラーチーでも映画製作が行われるようになっているようである。

 「Quaid-e-Azam Zindabad」は、汚職に手を染めた人物が持つ紙幣からジンナーの肖像が消えてしまうという不思議な現象を核にして、汚職撲滅を訴え、建国の父ジンナーへの尊敬も呼び覚ます、世直し系の映画である。コメディータッチで描かれているので楽しんで観ることができるし、父子の絆を通してホロリとする場面も用意されている。興行的にも成功している。ヒンディー語映画とあまりに似すぎている点がもしかしたら否定的に評価されることもあるかもしれないが、ヒンディー語映画ファンにとっては、ヒンディー語映画と同じ感覚で楽しむことができる映画の地平が広がることの方がありがたい。必見のパーキスターン映画である。