The Daughter

3.5
The Daughter
「The Daughter」

 2022年3月11日にJio MAMIムンバイー映画祭でプレミア上映された「The Daughter」は、イーラー・ドゥベーがプロデューサー、脚本、主演を務める16分の短編映画である。イーラーは、ヒンディー語映画によく派手なおばさん役で登場するリレット・ドゥベーの娘である。また、この映画はリレットの亡き夫ラヴィ・ドゥベーが書いた詩を原作としているようだ。

 監督はソウミヤク・カーンティ・デービシュワース。劇作家・監督として活躍してきた人物で、過去には「Tasher Desh」(2013年)などで俳優をしたこともある。映画を撮るのは初めてだ。キャストは、ナスィールッディーン・シャー、イーラー・ドゥベー、ジテーンドラ・シャーストリー、チトラーンガダー・サタルーパなどである。

 映画は、インドゥ(イーラー・ドゥベー)が苦悩に満ちた表情をし、太陽を見つめながら煙草を吸うシーンから始まる。舞台はウッタル・プラデーシュ州の田舎町のようだが、町では何らかの理由で暴動が起こっており、戒厳令が敷かれていた。インドゥはそんな混沌とした町の中を自動車を運転して駆け抜ける。彼女が辿り着いた先にいたのはモグリの医者みたいな人物だった。彼女はその医者を家に連れ帰る。

 ポイントになるのは、インドゥが運転する自動車に、彼女の父親が乗っていたことだ。それを名優ナスィールッディーン・シャーが演じている。彼は決して自動車から降りない。インドゥが医者に遅れて家に入ると、そこには父親が病床に横たわっていた。このとき初めて、医者は安楽死のために呼ばれたことが分かる。それは父親の最期の願いだった。インドゥが落ち着かなかった理由も、父親がこれから死ぬこと、そして父親の願いとはいえ、安楽死のために自分が医者を呼ぶ役割を果たさざるをえなくなったことを思い悩んでいたからだ。

 また、自動車に乗っていた父親は、彼の魂か、またはインドゥ自身の記憶に刻まれた父親の姿だったに違いない。途中、彼女は自動車を止めて、「私にはできない」と口走るが、父親に諭されて、再びエンジンを掛ける。このときは何を話し合っているのか分からないが、後から、あれは安楽死について父娘がせめぎ合いをしていたのだということが分かる。

 おそらくラヴィ・ドゥベーが書いた詩というのは、車中でナスィールッディーン・シャーが口にしていたものであろう。会話と詩が渾然一体となっていたが、冒頭の一節は以下の通りである。

देखते ही देखते निगाहें कितनी दूर हो जाती हैंデークテー ヒ デークテー ニガーヘーン キトニー ドゥール ホー ジャーティー ハェン
बोलने से पहले ही कुछ बातें दस्तूर हो जाती हैंボールネー セ ペヘレー ヒ クチュ バーテーン ダストゥール ホー ジャーティー ハェン
いつの間にか眼差しは遥か遠くに行ってしまうものだ
口に出す前にいくつかの話は習慣になってしまうものだ

 この映画は、イーラー・ドゥベーの父親にあたるラヴィ・ドゥベーの死と強い関連性があると思われる。

 安楽死を望む父親にインドゥは心をかき乱されていたが、その心情は、戒厳令が敷かれた町という形でも表現されていた。また、ラヴィ・ドゥベーが死んだのは2015年である。その時代を考えると、この戒厳令というのは、牛の屠殺を巡ってウッタル・プラデーシュ州で発生した暴動を指しているのかもしれない。父親の安楽死は、崩壊に向かうインド社会の象徴だと捉えるのは穿ちすぎであろうか。

 「The Daughter」は、限られた時間内に、主に映像によって象徴的に物事を語っており、短編映画の醍醐味を体現している。さらに、プロデューサー、脚本、主演を務めたイーラー・ドゥベーの個人的な想いが込められた映画のようにも見える。父親の死がこの作品を作るきっかけになったことは容易に予想できる。名優ナスィールッディーン・シャーの演技も大きな見所である。