2022年3月4日公開の「Jhund(群れ)」は、体育教師がスラム街に住む少年たちを組織してサッカーチームを作る物語で、ヴィジャイ・バールセーという実在の人物の半生をベースにして作られた伝記映画である。
監督はマラーティー語映画「Sairat」(2016年)で有名なナーグラージ・マンジュレー。主演はアミターブ・バッチャン。スラム街出身のサッカー選手たちを演じるのは新人俳優たちばかりだが、その中でも主役級の通称「ドン」を演じるのは、実際にスラム出身の俳優アンクシュ・ゲーダームである。ただし、「Sairat」に出演していたリンクー・ラージグルとアーカーシュ・トーサルも出演している。
マハーラーシュトラ州ナーグプルの学校セント・ジョンズ・カレッジで体育を教えるヴィジャイ・ボーラーデー(アミターブ・バッチャン)は、学校敷地に隣接するスラム街で無為に過ごす少年たちにサッカーを教え始める。「ドン」と呼ばれるアンクシュ(アンクシュ・ゲーダーム)をはじめ、スラム街の少年たちはすぐにサッカーにのめり込み、ギャンブル、窃盗、シンナーなどの不良行為を止めるようになる。スラム街のサッカーチームは、セント・ジョンズ・カレッジのサッカーチームと対戦し引き分ける。 ヴィジャイは、インド中のスラム街からサッカー少年少女を集め、トーナメントを開催する。この試合はメディアの注目も浴び、国際試合に招待される。だが、スラム街の子供たちにとって、パスポートの作成は大きな難関だった。アンクシュも傷害事件を起こして警察に厄介になっており、容易にパスポートを出してもらえなかった。何とか他のメンバーにはパスポートが下りるが、アンクシュだけは警察からの証明書が出ず、期限までにパスポートを入手できなかった。 チームメンバーを見送ったアンクシュは失意の中で、警察官を刺し殺そうとするが、仲間たちに止められる。翌日、アンクシュの家にパスポートが届き、空港に向かう。そしてチームの一員として国際試合に出場する。
ムンバイーのスラム街ダーラーヴィーなど、スラム街を舞台にした映画は「Slumdog Millionaire」(2008年/邦題:スラムドッグ$ミリオネア)以降増えた。「ABCD: Any Body Can Dance」(2013年)や「Gully Boy」(2019年/邦題:ガリーボーイ)などが代表例だ。だが、この「Jhund」ほどスラム街で生まれ育った子供たちのリアルな日常を赤裸々に描いた作品は今までなかったかもしれない。ひったくり、シンナー、飲酒喫煙、喧嘩などをして自堕落な生活をし、全く明るい未来が見えない。しかも、スラム街の少年たちを演じる俳優たちはおそらく実際のスラム街出身者であり、見た目から話し方までとことんリアルである。
だが、そんなスラム街の少年たちに才能を見出した一人の人物がいた。主人公のヴィジャイである。ヴィジャイは引退間近の体育教師であった。彼は元々スラム街在住者に読み書きを教えたりして、彼らの地位向上のために献身していたが、自堕落な生活を送る子供たちのためにも何かをしたいと考えていた。ある日、彼らが空の容器を蹴って遊ぶ様子を見てサッカーをさせてみたらどうかと思いつき、だましだましサッカーの世界に引きずり込む。果たしてヴィジャイの目論み通り、彼らはサッカーに没頭するようになる。そして、自然と悪い習慣から足を洗う。
一応スポーツ映画に分類されるだろうが、サッカーの試合が集中して描かれていたのは中盤のセント・ジョンズ・カレッジ戦のみだ。ヴィジャイのたっての願いにより、裕福な家庭の子供が通うセント・ジョンズ・カレッジのサッカーチームと、隣接するスラム街の少年たちのサッカーチームの親善試合が実現する。前半はセント・ジョンズ・カレッジが圧倒し、5-0で折り返すが、後半になると気持ちを入れ替えたスラム街チームが本領発揮し、一挙に5点を得点して同点とする。PK戦でも決着が付かずに引き分けとなるが、スラム街チームにとっては大きな成果だった。
後半は、国際試合に招待されたスラム街のサッカー選手たちがパスポートを取得する苦労が描かれる。戸籍制度のないインドでは、パスポート作成時にその人の存在と経歴を証明するいくつもの書類の提出を求められるが、貧困層の人々にとってはそういう書類を揃えるのが至難の業である。主役級のアンクシュも、前科があったためにパスポート作成に苦労した。
その過程でヴィジャイは裁判所にもアンクシュの件を持ち込んで何とかパスポートを発行してもらおうとする。そこでヴィジャイは、持つ者と持たざる者が高い壁によって分断されたインド社会の現状に警鐘を鳴らす。オリンピックでもインドは人口に比してメダルの獲得数が少ないが、それは生活に余裕のある限られた人しかスポーツ選手になれていないからだ。もし、その壁を取っ払って、純粋に才能に基づいて代表を選び、訓練を施せば、インドはすぐにスポーツ大国になれるとの強い主張が感じられた。
カースト制度にも触れられていた映画だった。スラム街に住む人々は押し並べて低カーストか不可触民だと考えていいだろう。不可触民出身で、カースト制度の廃止のために活動した政治家、BRアンベードカルの写真が象徴的に使われていた。彼らは潜在的な犯罪者としてインド社会から今でも排除されがちな存在だが、ヴィジャイは彼らを社会の一員として取り込み、誰も取り残さずに発展していくインドの未来を思い描いた。
全体として、リアリスティックな映像と迫真の演技により、優れた映画に仕上がっていた。ただ、上映時間が3時間近くと長く、それを正当化するような内容があったかといえば、少し疑問だ。不必要または冗長と思われるシーンがいくつかあり、もう少しコンパクトにまとめることもできたのではないかと感じる。
「Jhund」は、スラム街から端を発し、サッカーを通して、インドのスポーツの発展、そしてカースト問題の解決を訴える、非常に広範な問題を扱った映画になっていた。この種の映画としては異例といえるほど上映時間が長く、冗長なシーンもないではなかったが、アミターブ・バッチャンやアンクシュ・ゲーダームなどの絶妙な演技もあって、リアリスティックかつグリップ力のある映画に仕上がっていた。観て損はない映画である。