Cinemaa Zindabaad

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Cinemaa Zindabaad

 2022年1月8日にMX Playerで配信開始された「Cinemaa Zindabaad」は、ほぼスターキャストがなく、低予算で、作りも未熟な作品である。だが、ヒンディー語映画界で名を成そうとする、いわゆる「ストラグラー(Struggler)」が主人公の映画で、業界の裏舞台を垣間見ることができるのが特徴だ。題名は「映画万歳」を意味する。

 監督は新人のアジャイ・カイラーシュ・ヤーダヴ。キャストは、ラージパール・ヤーダヴ、ムケーシュ・シヴシャンカル・バット、ピナル・バーブー、マウシャミー・ウデーシー、ヘーミーン・パテール、スワプニル・ジャルバデー、ウィアム・ダーマニーなど。ラージパール・ヤーダヴ以外は無名の俳優たちである。また、パンカジ・ベーリーやランジートなど、意外な俳優が特別出演している。

 ヴィール(ピナル・バーブー)はスターになるためにムンバイーに上京してきた青年だった。同じく映画界に飛び込んで役を得ようとするアクシャイ(ヘーミーン・パテール)、サムラート(スワプニル・ジャルバデー)らと同じ部屋に住んでいた。

 サムラートは、映画への出演を夢見てリハーナー・ミルザーの事務所で働き出すが、彼女の性欲を満たす毎日を送るだけでなかなか映画の話が進まなかった。故郷では姉が自殺をしてしまい、母親から責められる。サムラートは自分のした行いを悔いて自殺する。

 格闘技の経験があったアクシャイはアクションスターとしての才能を見出され、トップ女優メーガー(ウィアム・ダーマニー)と共演することになるが、映画のプロジェクトが途中で頓挫してしまい、傷心のまま故郷に帰ることになる。

 ヴィールは、大富豪の娘ジャーンヴィー(マウシャミー・ウデーシー)と恋仲になり、彼女の父親に主演作を出資してもらえることになるが、雇った監督が新人を主演にすることに難色を示し、映画の話は立ち消えになってしまう。だが、シャーム・カプール監督(ラージパール・ヤーダヴ)から主演作をオファーされ、ノーギャラでの出演を快諾する。「Tum Hi Ho」は完成するが、配給業者が見つからなかった。プロデューサーのラヴィ・シュクラー(ムケーシュ・シヴシャンカル・バット)とシャームは仲違いする。映画の権利がシュクラーに取られそうになるが、シャームは腎臓を売って映画を買い戻し、なんとかリリースする。

 「Tum Hi Ho」は口コミでヒットとなり、シャームとヴィールは受賞もする。

 純粋に映画を楽しみたいと思ったら、この映画は全く適していない。無名の映画監督が無名の俳優たちを集め、ストラグラーの映画を撮っただけある。本物のストラグラーによる安っぽい映画になっていた。この種の素人映画は地方言語でよく作られているが、ヒンディー語で作られてしまうと、メインストリームの娯楽映画や高品質の社会派映画と直で比較をされてしまうため、質の悪さが目立ってしまう。

 だが、ヒンディー語映画界に「アウトサイダー」として乗り込んできた人々の苦闘はよく描けていた。前半は主に俳優たちのエピソード、後半は主に監督のエピソードに分かれていた。ムンバイーには映画業界で一旗揚げようと地方から多くの若者たちが集ってくるが、彼らの多くは、残酷な現実に直面し、心を打ち砕かれて退場していく。「Cinemaa Zindabaad」の登場人物はほぼ男性だったため、男性視点でその苦労の様子が描かれていたが、興味深かったのは、男性も性的搾取の対象となっていることであった。また、大富豪の娘と恋仲になることで、その父親の潤沢な資金にアクセス可能になり、主演作の道が拓けそうになる一幕もあり、映画スターになるための様々な道が暗示されていた。とはいえ、俳優を目指そうとする青年たちを演じた俳優たちが大根役者で、前半は苦しかった。

 より興味深かったのは、一本の映画を何とかリリースしようと苦労する監督のエピソードだ。コメディアン俳優として知られ、高い演技力も持つラージパール・ヤーダヴが演じていたこともあって、物語にも重みがあった。彼に焦点が移る後半になると、グッとグリップ力が増す。

 シャーム・カプール監督は、ラクナウーの名士シュクラーから資金提供を受け、念願の監督作を作り始める。その主演に抜擢されたのが主人公のヴィールであった。撮影は進行し、映画は完成するが、それだけではまだ道半ばだ。映画はビジネスである以上、映画館で上映してもらわなければならない。だが、プロデューサーと映画館の間には仲介者として配給業者がおり、映画を配給業者に配給してもらわなければリリースに漕ぎ着けない。シャームとシュクラーは、適切な配給業者を見つけるのに苦労した。

 また、シャームとシュクラーの間にはある契約が結ばれていた。完成した映画は二人の共同所有物となるが、もし二人の間でもめ事が起きた場合、1ヶ月以内にシャームが製作費をシュクラーに返すことで映画の完全な権利を得ることができた。そうでなければシュクラーのものになる契約だった。果たして現実のヒンディー語映画界でこのような契約が存在するのか分からないが、作られてもリリースされなかった映画の中には、当事者同士で何らかの不和が生じたという可能性もある。インドにおいて映画というビジネスは非常にトリッキーであり、特にアウトサイダーが飛び込んで自分の場所を作り出そうとした場合、苦難の連続であることがこの映画からもうかがえた。

 インドの映画業界ではムフーラト・ショットという習慣がある。何らかの映画のプロジェクトを始動する際、吉祥な日時を選び、そこで神様への礼拝をした後、儀式的に最初の1ショットを撮影するのである。それをムフーラト・ショットと呼ぶ。ムフーラト・ショットには、メディア関係者や配給業者なども呼ばれることが多い。映画の宣伝を行うと同時に資金調達もするのである。「Cinemaa Zindabaad」でもムフーラト・ショットの様子が描写されていた。

 「Cinemaa Zindabaad」は、映画業界での成功を夢見てムンバイーにやって来た人々の苦闘をリアルに描いた作品である。ラージパール・ヤーダヴの演技は素晴らしいが、基本的には経験の浅い監督や俳優たちによる映画であり、純粋な娯楽映画としては全く力不足である。だが、ヒンディー語映画業界に興味がある人にとっては、舞台裏を垣間見ることのできる貴重な作品になり得る。