
2021年12月2日公開のテルグ語映画「Akhanda」は、生き別れになり、それぞれ数奇な運命をたどった双子の兄弟を主人公にしたファンタジー・アクション映画である。
監督はボーヤパーティ・シュリーヌ。ド派手なアクション映画を得意とする映画監督で、専らテルグ語映画界で活躍している。音楽はタマンS。主演はナンダムーリ・バーラクリシュナ。テルグ語映画界の大スター、NTラーマ・ラーオの6番目の息子で、彼が立ち上げたテルグ民族党(TDP)の政治家でもある。彼は一人二役を演じる。ヒロインはプラギャー・ジャイスワールである。
他に、ジャガパティ・バーブー、シュリーカーント、ニティン・メヘター、プールナー、アヴィナーシュ、ヴィジ・チャンドラシェーカル、シャラト・ローヒトアーシュワ、スッバラージュ、プラバーカル、アイヤッパ・P・シャルマーなどが出演している。
森林の奥深く、警察に追われ重傷を負った山賊ガジェーンドラ・サーフー(ニティン・メヘター)は、命を救ってくれた宗教指導者を殺し、彼の宗教団体を乗っ取る。そして、部下のヴァラダラージュル(シュリーカント)を使って、銅鉱山採掘を装ってウラニウムを採掘し、巨万の富を得る。
所変わってアナンタプルではラーマチャンドライヤー(アヴィナーシュ)とダラニー(ヴィジ・チャンドラシェーカル)の間に双子の兄弟が生まれた。だが、片方は死産だった。そこへアゴーラー(ジャガパティ・バーブー)が現れ、死んだ子供の方を連れていく。ヴァーラーナスィーでその子はシヴァ神の加護によって息を吹き返し、アゴーラーたちによって育てられることになる。
もう片方の子供はムラリー・クリシュナ(ナンダムーリ・バーラクリシュナ)と名付けられ、地域に平和をもたらし、無料の学校や病院を経営する慈善活動家として人々から慕われる立派な人物に成長した。ムラリーは、新しく赴任してきた県長官サランニャー(プラギャー・ジャイスワール)に言い寄られ、結婚することになる。二人の間にはジャナニーという娘が生まれた。
ヴァラダラージュルによるウラニウムの違法採掘は続いており、周辺地域の子供たちが原因不明の奇病によって命を落としていった。サランニャーの下で働く筆頭書記官パドマーヴァティー(プールナー)はその原因をヴァラダラージュルが行っているウラニウム違法採掘だと断定する。ムラリーはヴァラダラージュルのところへ殴り込むが、バラト・レッディー大臣(スッバラージュ)に制止され、政治の力で何とかすることにする。ところがガジェーンドラは報復としてムラリーの経営する病院に爆弾を仕掛け、爆発させる。この爆発で多くの患者が亡くなり、バラト大臣も命を落としてしまう。大臣が死んだことでムラリーは関連を疑われ、国家捜査局(NIA)のクリシュナマーチャーリヤ・ペルマール(シャラト・ローヒトアーシュワ)に連行される。また、ジャナニーも病気になってしまったため、サランニャーは彼女を連れてバンガロールの病院まで行こうとする。ヴァラダラージュルの弟や部下たちがサランニャーを追うが、謎のシヴァ信徒に撃退される。それは、ムラリーの生き別れの兄弟アカンダ・ルドラ・スィカンダル・アゴーラー(ナンダムーリ・バーラクリシュナ)であった。アカンダは、死んだジャナニーを蘇らせる。
アカンダはサランニャーとジャナニーを自宅まで送り届ける。ヴァラダラージュルのもう一人の弟ランジャン警部(プラバーカル)はムラリーの家族を尋問しようとするが、再びアカンダによって助け出される。ムラリーの母親ダラニーはアカンダの顔を見て、自分のもう一人の息子だと直感する。アカンダは去って行くが、ジャナニーと共に過ごした時間は彼にジャナニーに対する執着を残していた。
アカンダは道中でパドマーヴァティーを救い、彼女の身に起こったことを知覚する。パドマーヴァティーはヴァラダラージュルのウラニウム採掘について報告書をまとめていたが、ヴァラダラージュルに強姦され河に捨てられていた。アカンダはヴァラダラージュルの鉱山に現れ、彼を殺す。
アカンダの力を思い知ったガジェーンドラは、呪術師プラチャンダー(アイヤッパ・P・シャルマー)に助けを求める。プラチャンダーはジャナニーがアカンダの弱点であると見抜き、彼女に呪いを掛ける。その呪いを解くためにアカンダはシヴァ神への祭祀を行わなければならなかった。祭祀中はいかなる反撃もできなかった。その隙を突く形でガジェーンドラとプラチャンダーは襲い掛かる。だが、クリシュナマーチャーリヤの信頼を勝ち取って釈放されたムラリーが助けに入り、ガジェーンドラとプラチャンダーは殺される。一件落着した後、危機には必ず戻ってくるとジャナニーに約束し、アカンダは旅に出る。
主演のナンダムーリ・バーラクリシュナが双子の兄弟を一人で演じる。兄のアカンダは死産だったがシヴァ神の加護によって生き返り、シヴァ神の信徒として俗世間から離れて育つ。おかげで彼はシヴァ神そのものの力を獲得するに至った。一方、弟のムラリーは慈善活動家に成長した。どちらも戦闘モードになると強いが、やはり神の力を得たアカンダの強さは別格である。
生き別れの兄弟の物語はマサーラー映画の典型である。この二人をどのように配置し、どのタイミングで引き合わせ、どのようにストーリーを盛り上げるのか。それが監督の腕の見せ所となる。その点で「Akhanda」は物足りなかった。なぜなら前半と後半で焦点が当たるキャラが入れ替わるだけだからだ。前半はムラリー中心にストーリーが進むが、ムラリーが逮捕されて以降、彼の出番は激減し、代わりにアカンダの出番となる。映画の題名も彼の名前になっているので、真の主人公はアカンダの方なのだろう。だが、アカンダが登場した途端、ムラリーが脇に追いやられるのはうまい脚本ではない。アカンダと母親の再会も割と淡泊に描かれていたし、アカンダとムラリーについては、生き別れの兄弟のはずなのに、ほとんど絡むことがなかった。一体何のためにムラリー主体の前半があったのか、疑問に感じる。
後半登場のアカンダが全て持って行ってしまう映画であり、バーラクリシュナ自身が演じたムラリーすらも脇に追いやられるくらいなので、その他のキャラにさらに出番が与えられないのは当然のことである。ヒロインのサランニャーも、登場シーンだけは勇ましいが、ムラリーに恋してからは泣く子も黙るインド行政職(IAS)の肩書きが泣くような低落振りであった。
アクション映画なのでアクションシーンの時間帯が長いことは織り込み済みなのだが、それでもアクションシーンばかりという印象を受けた。しかもスローモーションを多用しているため、ひとつひとつのアクションまで冗長である。特に代わり映えのしないアクションをこう延々と見せつけられると飽きてしまう。
テルグ語映画らしく、悪は片っ端から追いつめられ、最後には残酷な死を遂げる。処刑を実行するのはアカンダだ。罪人は法律に従って裁かれるべきだという真っ当な主張もなされていた。だが、アカンダはそれを否定する。そして、インドが誇りとする「非暴力主義」の真の姿を提示する。一般に、非暴力主義は以下のサンスクリット語シュローカ(詩句)で裏打ちされている。
अहिंसा परमो धर्मः।
非暴力は最上のダルマ(法)である。
だが、アカンダはこの詩句には続きがあると言う。
अहिंसा परमो धर्मः।
धर्म हिंसा तथैव च॥非暴力は最上のダルマである。
ダルマのための暴力も同様である。
つまり、常時は非暴力こそ最上のダルマであるが、非暴力でダルマが守り切れなくなった場合には暴力こそが最上になるということである。どちらかといえばムラリーは非暴力を象徴しており、アカンダは暴力を象徴していた。ムラリーの非暴力が役に立たなくなったとき、アカンダの暴力が解き放たれるというのが「Akhanda」の構成になっていたといえる。
バーラクリシュナは撮影時60歳前後だったはずである。だが、彼が「Akhanda」で演じたムラリーとアカンダはもっと若いキャラだったと思われる。30歳前後が理想的だ。何しろ母親役のヴィジ・チャンドラシェーカルとそう年齢差がないのだ。だから、母親がアカンダを「息子」扱いするのにはどうしても違和感があった。ヒロインのプラギャー・ジャイスワールとも釣り合っていない。本来ならばもっと若い俳優が演じるべき役柄だったのではなかろうか。
「Akhanda」は、ナンダムーリ・バーラクリシュナ演じるシヴァ神の化身アカンダが悪を一網打尽にするアクション映画であるが、アカンダ登場前の前半に、同じバーラクリシュナが演じる双子の兄弟ムラリーが前座になるような構成であった。決してきれいにまとまった映画ではない。アクションシーンも長すぎた。だが、新型コロナウイルス感染拡大の影響がまだ残る中で公開されたにもかかわらず、興行的には成功を収めた。確かに勢いはある映画で、それに身を委ねることができれば楽しめる作品だ。
