Dybbuk

2.5

 ヒンドゥー教とホラー映画の相性がどうもよくないためか、インドのホラー映画は、キリスト教的な世界観を土台に作られることが多い。だが、2021年10月29日からAmazon Prime Videoで配信開始されたヒンディー語映画「Dybbuk」は、モーリシャスを舞台に、ユダヤ教やカバラを主題にして作られた変わり種のホラー映画である。米国映画「ポゼッション」(2012年)のリメイクであるが、マラヤーラム語映画「Ezra」(2017年)で先にこの映画のリメイクが行われている。「Ezra」を撮ったジャイ・K監督自身が「Dybbuk」の監督を務めている。

 主演はイムラーン・ハーシュミーとニキター・ダッター。他に、マーナヴ・カウル、イマード・シャー、ダルシャナー・バニク、ガウラヴ・シャルマー、ユーリー・スーリー、デンジル・スミスなどが出演している。

 題名の「Dybbuk」は「ディッブク」と読む。ユダヤ教では、死体から抜き出された魂のことをディッブクと呼ぶようである。ディッブクは生きている人に取り憑くことがある。ただ、この映画を観ていると、魂が閉じ込められた箱のことをディッブクと呼んでいたように感じられた。

 核廃棄物処理企業に務めるサム・アイザック(イムラーン・ハーシュミー)は、妻のマーヒー(ニキター・ダッター)を伴ってモーリシャスに転勤した。マーヒーはアンティークショップで不思議な箱を手に入れるが、それはユダヤ教でディッブクと呼ばれる呪われた箱だった。マーヒーはその箱を空けてしまう。以来、行動が変になった。

 サムの育ての親であるガブリエル神父(デンジル・スミス)がサムを訪ねてモーリシャスにやって来る。ガブリエル神父はサムの家でディッブクを見つけ、レユニオン島に住むユダヤ教のラビ、ビンヤミンに連絡を取る。ベンヤミンは、マーヒーが妊娠しているのを知り、ディッブクに閉じ込められていた魂がマーヒーの胎児に取り憑いたと診断する。しかし、ベンヤミンは翌日死んでしまい、その息子マルカス(マーナヴ・カウル)がサムとマーヒーを助けるようになる。

 対策をするためには、胎児の性別を知る必要があった。そこでサムは、マーヒーにディッブクのことは話さずに様子を見続ける。

 また、マルカスは、ディッブクの出所を調べ、モーリシャス最後のユダヤ教徒の家で関連する書物を見つける。そこには、ディッブクに閉じ込められた魂の正体が書かれていた。それは、かつてモーリシャスに住んでいたユダヤ教の青年エズラ(イマード・シャー)だった。エズラは、キリスト教徒ノラ(ダルシャナー・バニク)と恋に落ち、彼女を妊娠させるが、ノラに別れを切り出したため、ノラは自殺してしまう。その理由を知ったノラの父親や近所の人々はエズラに瀕死の重傷を負わせる。エズラの父親ヤクーブ(ユーリー・スーリー)はカバラの秘術に通じており、復讐のため、ディッブクにエズラの魂を閉じ込め、モーリシャスからユダヤ教徒がいなくなったときに、島を滅亡させる呪いを掛けたのだった。

 マルカスは、エズラの魂が、一旦はマーヒーの胎児に取り憑いたものの、途中でサムに移動したことを察知する。サムはモーリシャスに運び込まれる核廃棄物の責任者であり、核廃棄物によってモーリシャスを滅ぼすことができた。そこでエズラの魂はサムに取り憑いたのだった。マルカスはサムを気絶させ、魂を抜き出す儀式を行う。エズラの魂は激しく抵抗するものの、最後にはディッブクに戻って行った。

 ユダヤ教の世界観に立脚したインド製ホラー映画という点はユニークだったのだが、モーリシャスを舞台にしたことで、原作の米国映画にインド映画らしさを加味することが難しくなっていた。核廃棄物処理の問題に触れるインド映画というのも初めて目にしたが、50年前に死んだ人の魂が核廃棄物という現代的な事物を使って人々に復讐しようと思い付くという設定にもかなりの無理を感じた。結局、何のためにリメイクしたのかよく分からない映画で終わってしまっていた。

 この映画のストーリーで工夫されていたのは、魂が取り憑く相手が途中から切り替わることである。それが観客に明かされるのはラスト手前で、意表を突かれる。しかしながら、観客を怖がらせるという点において成功していたとは言いがたく、陳腐な心霊表現に終始していた。

 ストーリーに弱さはあったものの、主演のイムラーン・ハーシュミー、ニキター・ダッター共に誠実な演技をしていた。マーナヴ・カウルは、登場シーンこそ少しお茶目ではあったが、その後はユダヤ教のラビとしてサムやマーヒーを手助けするために真摯に協力するキャラとなり、ガラッと雰囲気が変わる。イマード・シャーは今回は端役であった。

 インド洋に浮かぶモーリシャスやレユニオン島が舞台となるのだが、これらの島では基本的にフランス語が話されている。ただ、インド系移民も多く、モーリシャスでは7割、レユニオン島では2割がインド系だとされている。よって、登場人物がヒンディー語を話すことはあり得る。

 今回はユダヤ教がクローズアップされていたが、インド映画でユダヤ教徒を見たのは「Mr. and Mrs. Iyer」(2002年)以来かもしれない。インドにはかつて多くのユダヤ教徒が住んでいたが、イスラエル建国に伴って流出が続き、現在はもうほとんど残っていないとされる。ただ、ジャイ・K監督の地元であるケーララ州は比較的ユダヤ教の足跡が残っている場所であり、そういうこともあってこの映画が作られたのかもしれない。どこまで正しいものかは分からないが、ヘブライ語の台詞が結構出て来たのも、インド映画としては珍しいことである。

 「Dybbuk」は、ユダヤ教の世界観に立脚した、インド映画としては変わり種のホラー映画である。最近はヒンディー語映画でも優れたホラー映画が目立つようになって来たが、残念ながらこの映画に関しては、ユダヤ教が題材になっていることを除けば、目新しい点に乏しかった。