Hum

 ヒンディー語映画の題名はほぼ必ずアルファベットで表記されるが、その中に「Hum」を見ることは多い。これは「ハム」と読む。読み慣れていない日本人はついローマ字読みして「フム」と呼んでしまうかもしれないが、「ハム」が正しい。デーヴナーグリー文字(ヒンディー語の表記に使われる文字)で書くと「हम」である。

 ヒンディー語学習者ならすぐに分かるが、これは「私たち」「我々」という意味の、1人称複数代名詞である。ちなみにヒンディー語の代名詞の主格を表にすると以下のようになる。

単数複数
1人称मैं/Main/マェン/私हम/Hum/ハム/私たち
2人称तू/Tu/トゥー/お前तुम/Tum/トゥム/お前、お前たち
आप/Aap/アープ/あなた、あなたたち
3人称近称:यह/Yeh/イェ/これ
遠称:वह/Voh/ヴォ/あれ
近称:ये/Ye/イェ/これら
遠称:वे/Ve/ヴェ/あれら

 どのヒンディー語文法書でも、2人称複数代名詞の「トゥム」と「アープ」が、文法上は複数形だが、実際の場面では一人の相手に対してもよく使われることは書かれているだろう。ヒンディー語の2人称単数代名詞「トゥー」は非常に使いどころが限定された単語なので、日常生活ではほとんど使われず、代わりに「トゥム」や「アープ」が使われるのである。

 ヒンディー語の初歩的な文法をマスターした上で、ヒンディー語映画の題名や歌詞などを眺めていると、ふと変だな、と思うことがあるだろう。それは、「ハム」の用法である。

 ヒンディー語映画の題名には、「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)や「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年)など、「ハム」がよく使われる。歌詞にもよく出て来る。だが、2人称複数代名詞「トゥム」や「アープ」を慣用的に単数の相手にも使うのと似たことが「ハム」でもある。つまり、主語が単数であっても、「私たち」という意味の代名詞「ハム」を使うことがあるのである。こちらは、ヒンディー語文法書で明示されることは少ない。

 上に例として挙げた2つの映画の題名の中の「ハム」は、全て単数で理解すべきである。「Hum Aapke Hain Koun..!」は、「ハム」を文法通り複数で捉えると「私たちはあなた(たち)の何..!」になるが、これは実際には「私はあなたの何..!」である。「Hum Dil De Chuke Sanam」は、「ハム」を文法通り複数で捉えると「私たちは心を与え尽くした、愛しい人よ」になるが、これは実際には「私は心を与え尽くした、愛しい人よ」になる。

 「Hum Dil De Chuke Sanam」のタイトルソングには、さらに「ハム」が出て来るので、そのサビの部分を映像と共に見てみよう。

Hum Dil De Chuke Sanam (Video Song) - Hum Dil De Chuke Sanam

हम दिल दे चुके सनमハム ディル デー チュケー サナム
तेरे हो गए हैं हमテーレー ホー ガエー ハェン ハム
तेरी ख़समテーリー カサム

私は心を与え尽くした、愛しい人よ
あなたのものになった、私は
あなたに誓って

 「ハム」を単数の主語に対しても使う用法は19世紀のウルドゥー語詩などでも見られるもので、現代になって起こった新しい変化ではない。また、ウッタル・プラデーシュ州東部やビハール州のヒンディー語など、日常的に「ハム」を単数の主語に使う方言も存在する。

 「私」と言いたいところで敢えて「私たち」という単語を使うのは、謙譲表現でもある。「私」という意味の代名詞「マェン」は響きが強いこともあり、あまり「マェン、マェン」言い過ぎると自己主張が強い印象を相手に与えることもある。よって、改まった場など、「ハム」が好まれる場面がある。また、詩の中では「ハム」を使うことでジェンダー・ニュートラル(と言うより一律に男性複数形)になり、韻を揃えやすくなるという利点もある。

 応用編となるが、「ハム」の単数表現は、「ハム」が明示されていない題名でも使用され得る。例えば「Tumko Na Bhool Paayenge」(2002年)という映画があったが、この題名には「ハム」が使われていない。直訳するならば、「(私たちは)君(たち)を忘れられないだろう」になる。文末の「Paayenge」は男性複数形の活用をしており、その主語として考えられるのは「ハム」だからである。しかし、ここでも「ハム」の単数表現と考えることで、「(私は)君を忘れられないだろう」と理解する必要がある。実際に映画の内容からしても、後者の方が正しい訳だということが分かるだろう。

 このように、ヒンディー語の「ハム」の用法は少しトリッキーだが、一度この知識が頭に入ってしまえば、もう戸惑うことはないだろう。