インドは世界でもっとも野生虎の保護に力を入れている国である。インド各地に野生虎の保護区が作られ、森林局によって管理が行われている。インド亜大陸にはかつて10万頭もの野生虎がいたとされるが、乱獲により急減し、1972年に虎の猟が禁止されたにもかかわらず減少は止まらず、2006年には1411頭まで減少した。この頃、インドでは動物愛護運動が活発となったこともあり、危機感を覚えたインド政府は野生虎の保護に本腰を入れ始め、以後、野生虎の頭数は回復に転じた。2019年にナレーンドラ・モーディー首相が発表したところでは、現在およそ3,000頭に至るまで野生虎は増えた。全世界の野生虎の7割がインドに生息すると言われている。
2021年6月18日にAmazon Prime Videoで配信開始された「Sherni」は、虎の保護を担当する森林局員の奮闘を描いた作品である。「Newton」(2017年)で一躍注目を浴びたアミト・V・マスルカル監督の作品である。「Newton」は、ナクサライト影響下にある森林地帯を、選挙を行うために訪れる役人の物語で、これら2作の雰囲気はだいぶ似通っている。彼はこの後も森林を舞台にした映画を撮り続けるつもりなのだろうか。そうしたら、「ジャングル映画」という新たなジャンルが誕生しそうだ。
主演はヴィディヤー・バーラン。単独で稼げる女優としてヒンディー語映画界では一目置かれた存在である。題名の「Sherni」は「雌虎」という意味で、森林地帯の村人を襲う雌虎が中心的な話題となるが、この題名には、ヴィディヤー・バーラン演じる男勝りの森林局員の姿も重ねられているのだろう。他に、シャラト・サクセーナー、ヴィジャイ・ラーズ、ニーラジ・カビーなどが出演している。
ヴィディヤー・ヴィンセント(ヴィディヤー・バーラン)は森林局の局員として野生虎保護区に赴任した。家畜が虎に襲われる事件が発生し、遂には人間の犠牲者も出始めた。襲っているのはT12と呼ばれる雌虎だった。法律により、虎を殺すことができないため、ヴィディヤーはT12を捕獲し、国立公園に逃がす計画を立てる。 ところが、ちょうどこの地域では州議会選挙が近づいており、現職の議員GKスィンと対立候補PKスィンの間で激しい選挙戦が行われていた。人食い虎は政争の道具となり、問題が複雑化していた。また、地元の猟師ピントゥー・バーイー(シャラト・サクセーナー)は虎を射殺しようと躍起になっていた。 T12を追う中で、2匹の子虎がいることも分かる。3人目の犠牲者が出たことで、この田舎の出来事はインド中の関心事となり、メディアも押し寄せて来る。
森林の奥深くに分け入り、主人公が人食い虎と対峙する活劇、と思いきや、実際には、虎を巡って人間同士が争い合う政治ドラマであった。開発と環境保護のバランスを取る難しさも指摘されていた。娯楽の要素を失わず、インドの自然がどのような危機に直面しているのかを巧みに浮き彫りにしており、前作「Newton」に勝るとも劣らない作品となっていた。
虎が人里に現れて家畜や人間を襲う、という出来事だけを見ると、虎が完全に悪者のように思える。だが、実情は異なる。人間が森林を開発し、虎の生息地域を分断したことで、虎が森から森へ移動する間に、どうしても村や畑を通らざるを得なくなり、人間と接触する機会が増えている。村人たちも、森に入らなければ滅多に虎に襲われないのだが、彼らの生活は先祖代々森林に依存しており、生活の必要性から森に入らざるを得ない。また、小作人は虎を理由に仕事を休ませてもらえない。このような事情から、人食い虎の犠牲者が次々に出て来る。
また、州議会選挙が近づいていることで、村では現職議員と対立候補の間で火花が散っており、虎を巡って票の奪い合いが起こっていた。現職議員は猟師を雇って虎を射殺し問題を解決しようとするし、対立候補は犠牲者が続くことを現職議員のせいにして議席を奪おうとする。
一方、森林局の局員たちは、法律で縛られており、人食い虎に対してなかなか有効な手立てを打ち出せない。科学的な調査をして虎の行動を見極めることに終始しており、犠牲者の発生を防げなかった。それが村人たちの不満を駆り立てていた。いっそのこと、この辺り一帯を保護区として、村人たちを外に移住させるというプランも出て来たが、それこそ森と共に生きて来た村人たちにとっては残酷な仕打ちであった。
ヴィディヤー・バーラン演じる森林局員ヴィディヤーは、T12と呼ばれる人食い虎の命を助けるために奮闘する。だが、政治色に染まった村人の妨害に遭ったりしてなかなか成功しない。最終的には猟師ピントゥー・バーイーに仕留められてしまう。しかも、ピントゥーを裁くことは困難だった。この一連の出来事はヴィディヤーにとって大きな敗北で、彼女が辞表を提出するだけの理由になり得たが、ひとつだけ希望があったのは、2匹の子虎が助かったことである。その虎たちがどうなったかは映画では語られていなかった。
エンドクレジットでは、ヴィディヤーが次に職を得たと思われる自然史博物館に展示される剥製の動物たちの悲しげな眼差しが次々に映し出される。監督がもっとも雄弁に物を語らせていた部分だった。人間はどこまで発展のために開発を許されるのか、どこまで環境を保護しなければならないのか、この難しい問いに答える映画ではなかったが、沈黙の問題提起が行われていた。
劇中で、「100回森に入っても虎にお目にかかれるのは1回だが、99回は虎に見られている」という台詞があった。それを映像化するように、人食い虎を追って森林に分け入って行く森林局のレンジャーたちを、虎の視線になぞらえたカメラでじっと捉えたシーンが何回もあり、スリルがあった。映画の大部分は、なかなか会うことのできない虎の追跡に費やされ、やや単調な印象も受けたが、足跡や糞によって虎の行動を予測し、追跡して行く様子は興味深かった。
ヴィディヤー・バーランはいつも通り安定していた演技を見せていたが、彼女と同じくらい良かったのが、ヴィジャイ・ラーズ演じる昆虫学者ハサン・ヌーラーニーである。彼はDNAテストなどの科学的手法で虎を追跡しようとする一方、村人たちに演劇で、森林との共存を訴えかける活動も行っていた。彼は村の子供たちに、「森の中で虎にあったらどうするか」と問いかけ、「直立不動になれ」と言っていた。そうすると虎は去って行くらしい。「熊に会ったら死んだ振り」と似ているが、いざとなったら実行してみようと思う。
「Sherni」は、「Newton」で国際的に高い評価を得たアミト・A・マスルカルの新作で、前作と同様に森林が舞台の映画である。人食い虎を追う女性森林局オフィサーが主人公だが、人間対虎の戦いではなく、虎を巡って人同士が争い合い、足を引っ張り合う、政争劇になっていた。開発と環境保護の問題なども扱っており、多様な解釈のできる作品にまとまっていた。ヴィディヤー・バーランやヴィジャイ・ラーズの演技にも注目したい。