RK/R kay

3.0
RK/R Kay
「RK/R kay」

 ラジャト・カプールは、アミターブ・バッチャンやシャールク・カーンといったスターたちのリーグにいる監督・俳優ではないが、インテリ受けする知的な映画を撮ることで一目置かれた人物である。「RK/R Kay」は、彼が脚本を書き、監督・主演した上に、映画の中で彼自身を演じるという一風変わった作品だ。しかも映画の登場人物が現実世界に逃げてしまうというファンタジーである。米国やカナダでは2021年5月14日に公開され、本国インドでは同年6月22日に公開された。

 キャストは、ラジャト・カプール、マッリカー・シェーラーワト、ランヴィール・シャウリー、クブラー・セート、チャンドラチュール・ラーイ、マヌ・リシ・チャッダーなどである。ラジャト、マッリカー、ランヴィールが、現実世界の役と映画の中の役を演じる、事実上一人二役になっている。

 ところで「RK/R Kay」という題名は、アーミル・カーン主演の「PK」(2014年/邦題:PK ピーケイ)から取られているのではないかと思われる。いうまでもなくラジャト・カプールの頭文字であり、劇中で彼が演じる役も「RK」と呼ばれていた。

 映画監督・俳優のRK(ラジャト・カプール)は、建築業から映画プロデューサーに転身したゴーエル(マヌ・リシ・チャッダー)の出資を受け、自身が主演の古風なサスペンス映画を撮っていた。役名はメヘブーブ・アーラム(ラジャト・カプール)であった。ヒロインにはネーハー(マッリカー・シェーラーワト)を起用した。わがままばかり言うネーハーを何とかカメラの前に立たせて撮影を行い、映画を完成させた。ただ、結末はメヘブールが悪役KNスィン(ランヴィール・シャウリー)に殺されるというもので、ゴーエルは気に入っていなかった。

 撮影終了後、RKは編集作業に入っていた。ある程度指示を出した後、編集者に編集を任せ妻のスィーマー(クブラー・セート)と外食をしていたところ、編集室から緊急の電話が入る。なんとフッテージからメヘブーブが消えてしまったという。RKが駆けつけて見ると、確かに映像の中からメヘブーブだけが消えていた。

 メヘブーブはどういうわけか現実世界にやって来ていた。映画の中で、ネーハー演じるグラーボー(マッリカー・シェーラーワト)と待ち合わせをしたバーンドラー駅に行ってみるとメヘブーブがいた。RKはメヘブーブを自宅に連れて行く。現実世界にやって来たメヘブーブはRKが書いた古風なウルドゥー語のセリフをしゃべるだけだったが、それが現代人には受ける。しかも彼は料理が上手だった。スィーマーもメヘブーブのことを気に入ってしまう。また、メヘブーブは映画の結末で自分が死ぬということを知り、映画の世界に戻りたくないと言い出す。RKは困ってしまう。

 そうこうしている内に悪役のKNスィンまでも、50万ルピーを持ち逃げしたメヘブーブを追って現実世界にやって来ていた。KNスィンは、自分たちを創造したのがRKだと知り、彼を敬うようになる。その一方でRKは編集室でモニターの中にいるグラーボーと会話ができるようになっていた。あるとき彼はグラーボーに誘われ映画の世界に入り込んでしまう。金を返されたKNスィンも映画に戻る。

 RKが作った映画は完成し試写が行われた。そこでスィーマーの横に座って満足そうに映画を観ていたRKは、実はメヘブーブであった。

 物語を生み出すことをなりわいとする創作者によって創作された架空のキャラは、普通に考えたら、創作者の人格や能力を超えることはない。神は自身よりも優れた創造物を作らないし、作れないだろう。だが、改めてこの世の中を注意深く見回してみると、創作者をはるかに超えた存在になってしまった架空のキャラクターが多く見受けられる。たとえば、鳥山明が創り出した孫悟空は今や世界的なスーパーヒーローであり、鳥山明よりも有名になっているといえる。さらに、創作者のアイデンティティーは創作したキャラによって形成されることを考えると、どちらの立場が上なのか分からなくなってくる。

 「RK/R Kay」は、創作者の立場から創造物との微妙な関係性からヒントを得て作られた作品ではないかと思われる。主人公であり、ラジャト・カプール自身である監督・俳優のRKは、メヘブーブを主人公にしたサスペンス映画を撮り、自ら主演もする。メヘブーブは彼自身であった。だが、不思議なことにメヘブーブが映画の世界を抜け出して現実世界にやって来てしまった。RKはメヘブーブと相まみえる。当初、メヘブーブはRKが書いたセリフをそのまましゃべっているかに見えた。だが、普段仏頂面をしていることの多いRKを尻目に、人懐っこい性格のメヘブーブは現実世界の人々とすぐに親しくなり、RKの妻スィーマーもメヘブーブを気に入ってしまう。メヘブーブの産みの親であるはずのRKよりもメヘブーブの方が人間的に魅力があった。

 メヘブーブはRKが創り出したキャラであるため、RKの能力を超えた存在ではないはずで、RKが望めばメヘブーブのように魅力的になれるはずだった。だが、今更そうすることもできないのも分かる。徐々にフラストレーションを募らせていく。そんなRKの逃避先は、まだフッテージ内に留まりメヘブーブの帰りを待ちわびていた恋人グラーボーであった。RKはグラーボーと会話できるようになり、最終的には彼女に誘われて映画の世界に入ってしまう。つまり、メヘブーブは現実世界に留まってRKと入れ替わり、RKは映画の世界に入ってメヘブーブになった。

 映画監督が映画の世界に入り、映画のキャラが現実世界にやって来て入れ替わるという結末は、「世にも奇妙な物語」的な味付けにして、バッドエンドとすることもできただろう。だが、「RK/R Kay」ではそれは、両者にとって不幸な状態とはされていなかった。むしろ、お互いに幸せそうであった。RKは自らが創り出した世界に入り、自らが創り出したメヘブーブとなって、自らが創り出したヒロインのグラーボーと一緒になった。メヘブーブは最後に死ぬという結末から逃れることができ、現実世界で新たな人生を歩み始めることができた。もしかしたら多くの創作者にとって、自らの創作世界に入って主人公と一体化するというのはこの上ない幸せなのかもしれない。

 どうやって映画と現実世界がつながったのか、おそらくわざと詳しい説明が排除されていた。メヘブーブやKNスィンが現実世界に迷い込むシーンにも特別な視覚効果が使われていたわけではなかった。極力お金を掛けずに作っていることが見て取れ、地味な見た目になっているが、着想や脚本に深みがあり、非常に高尚な作品だと感じた。しかしながら、映画のキャラが現実世界にやって来てファンタジーな展開になるのが中盤であり、それまでは一体何が中心的なトピックなのか分からず、目的なくダラダラとストーリーが進んでいるように感じ、正直いって退屈な時間帯だった。

 マッリカー・シェーラーワトは久々にスクリーンで観た。2000年代、「セックスシンボル」としてもてはやされた女優の一人だったが、全盛期は2012年までで、それ以降は出演作が激減し、過去の人になっていた。おそらく彼女を起用したのも出演料が安かったからだと思うのだが、渋いキャスティングをしたものである。ランヴィール・シャウリーはラジャト・カプールの盟友であり、彼の起用は当然のものだ。

 「RK/R Kay」は、メインストリームとは距離を置いたところで独自の地位を築き尊敬を受けているラジャト・カプールが、創作者として日頃考えている妄想のようなものを映像化した作品だ。彼の作品としては珍しくファンタジー映画の部類に入る。だが、あくまで地味にファンタジーを描いており、しかも考えさせる最後になっている。分かる人だけ分かってください、という作品でもあるが、響く人には響くはずである。