インド映画界にて同性愛を主題にした映画が作られるようになって久しい。ディーパー・メヘター監督の「Fire」(1996年)は厳密にはインド映画ではないが、インド映画に同性愛というテーマを持ち込んだ映画として記念碑的作品だ。その後、「Mango Souffle」(2003年)、「My Brother…Nikhil」(2005年)、「Chitrangada」(2012年)、「Dedh Ishqiya」(2014年)、「Aligarh」(2016年)、「Shubh Mangal Zyada Saavdhan」(2020年)など、様々なLGBT映画が作られて来た。
2021年5月9日からDisney+ Hotstarで配信開始された「Hum Bhi Akele, Tum Bhi Akele(私も一人、君も一人)」も、LGBT映画である。監督はハリーシュ・ヴャース。主演はアンシュマン・ジャーとザリーン・カーン。他に、ラヴィ・カーンヴィルカル、グルファテーシュ・ピールザーダー、ニティン・シャルマー、ジャーンヴィー・ラーワト、デンジル・スミスなどが出演している。
チャンディーガル在住のマーンスィー(ザリーン・カーン)はレズビアンで、大学時代の後輩ニッキー(ジャーンヴィー・ラーワト)と付き合っていた。マーンスィーはお見合いをさせられそうになり、家出してデリーに辿り着く。 一方、メーラト在住のヴィール(アンシュマン・ジャー)は、婚約式から逃げ出し、デリーに来ていた。彼もゲイで、恋人のアクシャイ(グルファテーシュ・ピールザーダー)を頼ってデリーに来た。アクシャイは1年前に結婚していたが、妻のミターリーは夫の性的指向を知らず、結婚生活に不満を抱いていた。 アクシャイはヴィールをLGBTパーティーに連れ出す。そこでヴィールはマーンスィーと出会う。二人は意気投合し、連絡先を交換し合う。やがて、マーンスィーはヴィールの下宿先に転がり込んで来る。ヴィールはアクシャイが頑なにカミングアウトしないのを見て、結婚生活が彼を変えてしまったと思い、心を砕かれる。 マーンスィーは、マクロードガンジにいるニッキーに会いに行こうとしており、落ち込むヴィールを誘う。二人は珍道中を繰り広げながらマクロードガンジに到着するが、ニッキーは両親から結婚の圧力を受けており、実家から身動きが取れなくなっていた。ニッキーは厳格な父親(デンジル・スミス)の前でカミングアウトすることができなかった。マーンスィーはニッキーを置いてヴィールと共にデリーに帰る。 ヴィールとマーンスィーは、この旅路の中で馬が合うことに気付き、一緒に住むことを決める。ヴィールは両親にカミングアウトする。二人は同棲し始めるが、マーンスィーは不足を感じていた。それは恋人の存在だった。ヴィールは気を利かせてニッキーに連絡を取り、彼女をデリーに呼び寄せる。再会を祝うパーティーを開くが、その夜、ヴィールは上階から落下して意識不明の重体となる。 マーンスィーはニッキーを選ばず、ヴィールを選び、植物人間となった彼と共に過ごすようになる。
インドでは2017年に同性愛が合法化され、LGBTに対する理解も進んで来ている。だが、同性愛に対する嫌悪感はまだまだ根強く、特に自分の子供が同性愛者だと進んで受け容れられる親は少ない。同性愛者を異常者と見なす偏見の解消には時間が掛かりそうだ。
「Hum Bhi Akele, Tum Bhi Akele」は、レズビアンとゲイが意気投合し同棲し始めるという、現代のインドの世相を反映した物語だった。ただ、同性愛の問題の根幹まで切り込もうとする意欲のある作品とは言えず、どちらかというと、レズとゲイを主演にしたら面白いんじゃないか、というアイデア一本で作られた映画だと感じた。
主人公のマーンスィーとヴィールは同性愛者で、二人ともそれぞれの恋人から心を傷付けられ、お互いにその傷を癒やす内に近い関係となる。男勝りの性格のマーンスィーと、気弱な性格のヴィールは気が合った上に、異性の同性愛者同士が一緒に住むことで、世間から奇異な目で見られることもなくなると思い付き、同棲を始める。しかしながら、これは同性愛者への偏見に立ち向かう行為ではなく、まだまだホモフォビア根強いインド社会において、同性愛者が、世間の人々の目をくらませて生きるという消極的な選択をしたに過ぎない。
LGBT映画においては、家族が同性愛を受容する瞬間が重要だとされている。同性愛者にとって、何より家族にカミングアウトすることがもっとも困難なことで、その瞬間がリアルに描かれている映画は評価が高くなる傾向にあるようだ。「Hum Bhi Akele, Tum Bhi Akele」においては、そういうシーンがほとんど飛ばされており、マーンスィーとヴィールの両親が彼らの性的指向をどこまで受け容れたのか、よく分からなくなっている。この点もLGBT映画としては不誠実だと感じた。
ラストも唐突だった。果たしてヴィールの落下は自殺未遂だったのか事故だったのか、これも明らかにされていなかったが、どちらにしろ、同性愛者同士が同棲するという消極的な選択肢すら、ハッピーエンドにつながっていなかったことは、同性愛者観客にとって何とも後味の悪いものとなっていたのではなかろうか。ラストから強いメッセージ性が感じられなかったため、映画全体がぼやけたものになってしまっていた。
主演のザリーン・カーンは、サルマーン・カーンによって発掘され、カトリーナ・カイフのそっくりさんとして「Veer」(2010年)でデビューした女優だが、大した活躍の場もなく10年が過ぎてしまった印象がある。「Hum Bhi Akele, Tum Bhi Akele」では男勝りのレズビアンを溌剌と演じていたが、こういう作品がもっと早くもらえていれば、今頃上位の女優になっていたかもしれない。既に30歳を越えた女優がわざわざ演じるような役ではないと感じた。もっと若い女優が演じていれば、映画の印象もだいぶ変わっただろう。
もう一人の主演アンシュマン・ジャーも同じ2010年に「Love Sex Aur Dhokha」でデビューした男優だ。「X: Past Is Present」(2015年)など、いくつか主演映画があるが、やはり伸び悩んでいる俳優の一人ということになる。今回、彼の演技からは重みが感じられず、なかなかこの業界に留まり続けるのは難しいのではないかと感じさせられた。もっとも、「Hum Bhi Akele, Tum Bhi Akele」で演じた役柄が弱虫のゲイだったので、故意にそういう演技をしたのかもしれないが、少なくともこの作品からは将来性を感じなかった。
北インドの具体的な都市名―チャンディーガル、メーラト、デリー、マクロードガンジ―が登場し、舞台が変遷する。特にヴィールとマーンスィーがジープに乗ってデリーからマクロードガンジを目指す中盤はロードムービー的な旅情がある。ちなみに、二人がデリーで居を構えたのはハウズ・カース・ヴィレッジである。デリーの中では、コロナ禍前まではレストランやバーが集まる「ハプニング・プレイス」として人気の場所であった。
パンジャーブ地方で崇められている18世紀のスーフィー詩人ブッレー・シャーの有名な詩「Bullah Ki Jaana」がモダンな音楽に乗せて印象的な使われ方をしていた。この詩は「ブッレーよ、私が誰なのか分からない」という意味であり、同性愛者が直面する「自分は何なのか」という問いとシンクロさせていた。
「Hum Bhi Akele, Tum Bhi Akele」は、同性愛が合法化されたインドにおいて新たに作られたLGBT映画である。レズとゲイの主人公が出会い、友情が育まれるという作品だが、LGBT問題に深く切り込む意欲のある映画ではなく、それを期待して観るとがっかりするだろう。