21世紀に入り、ヒンディー語映画は劇的な変化を遂げてきたが、その中でも大きな変化のひとつが、女性のエンパワーメントであった。それ以前にはヒーローの添え物に過ぎなかったヒロインは映画の中心的な存在となり、女性中心の映画が集客を見込めるようになり、そして女性監督が急増した。それに伴って、相対的に男性が弱く描写されるようになった。強気なヒロインに振り回されるヒーローは日常茶飯事となった上に、父親役からも威厳が徐々に消え去り、代わりに「優しいパパ」が定番となった。
2020年10月9日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Ginny Weds Sunny」も、女性にほぼ全てのパワーが集中している作品である。同様のタイトルの映画に「Tanu Weds Manu」(2011年)があったが、それとは直接関係ない。しかしながら、ヒロインに振り回されるヒーローという点では、どちらも似たプロットの映画だと言える。
監督はプニート・カンナー。助監督として下積みをしてきた人物で、本作品がデビュー作となる。主演は「Vicky Donor」(2011年)などのヤミー・ガウタム。その相手役は「Dolly Kitty Aur Woh Chamakte Sitare」(2020年)のヴィクラーント・マシー。他に、スハイル・ナイヤル、アーイシャー・ラザー・ミシュラーなどが出演している。
題名が示す通り、インド映画の十八番である男女の結婚を巡る物語である。これに「三角関係」という情報を加えれば、これだけで大体筋書きが読めてしまうだろう。ヤミー・ガウタム演じるギニーには、元彼ながら腐れ縁が続いているニシャーント(スハイル・ナイヤル)がいたが、母親ショーバー(アーイシャー・ラザー・ミシュラー)は彼女を、近所に住むサニー(ヴィクラーント・マシー)と結婚させようとしていた。サニーも幼い頃からギニーに恋をしていたが、勝ち気で派手なギニーに対して、彼は内気な性格だったため、片思いのままであった。ショーバーの助言に従って動いている内にギニーと親密になったサニーはプロポーズ寸前まで行くが、そのとき突然現れたニシャーントが先にギニーにプロポーズしてしまう。ギニーの心はニシャーントとサニーの間で揺れ動く。このようなストーリーである。
この映画に登場するのは弱々しい男ばかりである。サニーにしろ、ニシャーントにしろ、ギニーに振り回されるばかりであるし、サニーの父親にも威厳らしきものはない。ギニーはギニーで、周囲の人々への当たりがきついわがまま娘である。この映画に目新しい点があるとしたら、ギニーの母親ショーバーの存在くらいだ。結婚斡旋を仕事としており、ギニーに思いを寄せるサニーに様々な助言を与える。自分のお目当ての女の子の母親が味方になってくれたら、成功したようなものだが、つっけんどんなギニーにはなかなか通用しない。とうとうその裏工作がギニーにばれてしまい、ギニーはサニーもニシャーントも母親も拒絶するようになる。
映画全体の雰囲気は明るく、クスッとした笑いや、適度なダンスを交えて、ドタバタと進行する。だが、まだ監督が未熟なのか、ストーリーやキャラクターのまとまりに欠け、観客の心をグリップする力が弱かった。エンディングも、インドではこの種の三角関係映画にありがちなものとなっており、かなりあっさりと解決されてしまったように感じた。
舞台はデリーで、登場する家族はパンジャービー語やハリヤーンヴィー方言混じりのヒンディー語を話す。明示されてはいなかったと思うが、主人公の家族はパンジャーブ人移民の多い西デリーの住宅街在住という設定だと感じた。映像の端々に、デリーメトロやオートリクシャーなど、デリーの日常生活が垣間見られて懐かしかった。
「Ginny Weds Sunny」は、インド映画に典型的な三角関係ロマンスの公式に則って作られており、斬新さはほとんどない。近年のヒンディー語映画にありがちな、完全に女性が主導権を握った作品であるが、その点でも目新しさを感じることはないだろう。新型コロナウイルス感染拡大の影響でNetflix配信となったが、むしろその方が視聴数は多くなったかもしれない。映画館公開ならばほとんど埋もれた作品になっていたのではないかと予想される。