各分野で女性の社会進出が進む中で、チベット仏教界でも女性僧侶の如何が議題に上るようになった。東アジアの大乗仏教では女性の僧侶は認められることが多いのだが、チベット仏教では「ビクシュニー(比丘尼)」と呼ばれる正式な尼僧は認められていない。だが、チベット仏教学において「ゲシェ」と呼ばれる最高学位があり、その女性版である「ゲシェマ」は2012年に認められた。
「The Geshema is Born」は、首席で初のゲシェマになった、ネパールのコパン尼僧院に住むチベット人尼僧ナムドル・プンツォクのドキュメンタリー映画である。監督はインド人女性ドキュメンタリー監督のマーラティー・ラーオ。2020年1月28日にムンバイー国際映画祭でプレミア上映された。アジアンドキュメンタリーズでは「ゲシェマの誕生 -尼僧院の希望-」という邦題と共に配信されている。
このドキュメンタリー映画を一言で表せば、女性が差別されている社会の中で開拓者たる女性たちが努力の末に男女平等を勝ち取って行く過程を描いた作品だといえる。同様の映画は、フィクション映画であれドキュメンタリー映画であれ、古今東西とても多い。最近のヒンディー語映画だと、女性で初めて戦闘ヘリのパイロットになったグンジャン・サクセーナーを主人公にした「Gunjan Saxena」(2020年)が記憶に新しい。
しかしながら、「The Geshema is Born」が取り上げている「ゲシェマ」とそれを取り巻く環境や制度は、一般的な社会と異なり、宗教の話になるため、一般人には容易に口出しできないところがある。最終的にはダライ・ラマ14世の英断で「ゲシェマ」が生まれたようなのだが、彼すらも「ヴィナヤ」と呼ばれる宗教的なルールを変える権限は持っておらず、「ビクシュニー」を誕生させることはできなかった。
ダライ・ラマ14世が語っていたところでは、ブッダは女性の出家僧である「ビクシュニー」の存在を認め、インドにおいてはビクシュニーが生まれたものの、8世紀以降、チベットにビクシュニーが入って来なくなり、チベット仏教においてビクシュニーの系統が途絶えてしまったようだ。ビクシュニーの得度を行うのはビクシュニーでなければならないとの規定があるが、チベットにはビクシュニーがいなくなってしまったため、新たなビクシュニーがずっと生まれなかったのである。ナムドル・プンツォクが高僧たちに、ビクシュニーを認めるように直談判している映像もあったが、これは実らなかったようだ。
チベット仏教にビクシュニーが存在しないということは分かったが、それではチベット仏教文化圏に存在する尼僧院や、そこで信仰生活を送る尼僧たちは一体どういう存在なのだろうか。彼女たちは出家した僧と在家の信者の中間に位置した中途半端な存在ということだろうか。このドキュメンタリー映画ではそこまで詳しく説明はされていなかった。
「ゲシェマ」を認めるまでも相当な紆余曲折があったことがうかがわれる。何人かの高僧へのインタビューがあったが、「女性は感情的で暗記や問答が苦手であり、詠唱や読経をしていればいい」などという差別的な発言も見られた。
尼僧院での日常生活を描いたドキュメンタリー映画「Tsunma, Tsunma: My Summer with the Female Monastics of the Himalaya」(2017年)では、尼僧院で教えていたのは男性ばかりであった。基本的に男子禁制であるはずの尼僧院に男性教師が入り込むことに違和感を感じたのだが、尼僧は学位を取れないために、男性教師を呼ぶしかないという裏事情があるのだと思い当たった。
しかしながら、ダライ・ラマ14世が英断し、現在では学問の世界において女性に「ゲシェマ」の学位が与えられることになった。勉強熱心な尼僧たちにも目標ができたし、今後は尼僧院で女性教師が教えることも出て来るのだろう。
「The Geshema is Born」は、男尊女卑的なチベット仏教界において、「ゲシェマ」が認められたことによる小さな、しかしとても大きな一歩と、それを開拓した一人の優秀な尼僧のドキュメンタリー映画である。チベット仏教の世界はあまりに深く、この映画だけでは完全な理解をしたとは言いがたいのだが、閉鎖的な宗教の世界においても一歩一歩、男女平等が実現している様子を垣間見ることができるのは喜びである。