ヒンディー語映画を作っている人々は、まず十中八九、映画好き、もっと言えば映画オタクである。よって、映画の中に映画オタク振りがひしひしと感じられる作品は少なくない。過去のヒンディー語の名作へのオマージュが散りばめられた作品はその典型例である。
2019年3月15日公開の「Milan Talkies」は、正に映画が主人公のような映画だ。「~トーキーズ」とは、インドの映画館によく使われる名称で、「ミラン」は「出会い」という意味になる。監督は「Saheb Biwi aur Gangster」(2011年)や「Paan Singh Tomar」(2012年)のティグマーンシュ・ドゥーリヤー。主演はアリー・ファザルとシュラッダー・シュリーナート。シュラッダーは南インド映画界で活躍する女優で、ヒンディー語映画出演はこれが初となる。他に、アーシュトーシュ・ラーナー、リチャー・スィナー、サンジャイ・ミシュラー、スィカンダル・ケール、ディープラージ・ラーナーなどが出演している。また、ドゥーリヤー監督自身も重要な脇役を演じている。
時は2010年、舞台はウッタル・プラデーシュ州イラーハーバード。試験問題漏洩斡旋業をして金を稼ぎ、映画製作に打ち込んでいたアンヌー・シャルマー(アリー・ファザル)は、ジャナールダン・パンダー(アーシュトーシュ・ラーナー)の娘マイティリー(シュラッダー・シュリーナート)と恋に落ちる。だが、マイティリーは大学卒業後に親の決めた相手と結婚させられることになっていた。また、地元のチンピラ、グル(スィカンダル・ケール)もマイティリーを狙っていた。アンヌーの父親(ティグマーンシュ・ドゥーリヤー)や、映画館「ミラン・トーキーズ」の映写技師ウスマーン・バーイー(サンジャイ・ミシュラー)はアンヌーとマイティリーの恋愛の良き理解者であった。 マイティリーの身に異変を感じ取ったジャナールダンはマイティリーの携帯電話を預かり、外出も禁止する。そこで、マイティリーは親友バブリー(リチャー・スィナー)を通してアンヌーと連絡を取り合い、駆け落ちすることを決める。だが、駆け落ちはばれてしまい、マイティリーは連れ戻される。また、アンヌーはグルに撃たれ、命からがら逃げ出す。以降、アンヌーは行方不明となった。 3年後。ムンバイーに渡って映画監督として成功したアンヌーは、イラーハーバードに撮影にやって来る。マイティリーはグルと結婚していたが、日々暴力を受けており、幸せではなかった。アンヌーとマイティリーは密会するようになる。また、アンヌーと旧知のマフィア、カプターン・スィン(ディープラージ・ラーナー)が撮影現場を訪れ、自分に役を与えるように言う。アンヌーがイラーハーバードに帰って来たことを知ったグルはアンヌーに暴行を加え撮影を妨害するが、何とか映画は完成し、アンヌーはイラーハーバードを発つ。 アンヌーの初監督作「Saabit(証明)」が公開された。マイティリーは映画の鑑賞を禁止されていたが、ある日、家を抜け出してミラン・トーキーズへ行き、映画を観る。そこにはアンヌーからマイティリーに向けたメッセージがあった。マイティリーは6月7日にミラン・トーキーズでアンヌーを待つ。果たして、アンヌーはイラーハーバードに舞い戻るが、自分のシーンを大幅にカットされて怒ったカプターンに拉致される。だが、次回作の主演はサルマーン・カーンだと知ってカプターンは態度を変える。ミラン・トーキーズに到着したアンヌーはマイティリーと再会する。二人はジャナールダンに会いに行くが、グルが待ち構えており、アンヌーに暴行を加える。だが、ジャナールダンはアンヌーの味方をし、二人は今度こそ一緒逃げ出すことに成功した。
映画監督となった主人公アンヌーが、意中の女性マイティリーに、映画でメッセージを伝えるという、いかにも映画好きが妄想しそうなロマンス映画だった。ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督はドライな映画を作るのは得意なのだが、コテコテのロマンス映画には必ずしも長けていない。演出のしようによっては、映画に込められたメッセージは感動的なシーンになっただろうが、意外にあっさりと描かれていた。
また、ヒロインがインターミッションを挟んで既婚になってしまうという展開も、ロマンス映画としては異色である。インド映画では、結婚を神聖視する考えが根強く、普通は既婚となったら、その後はいかなる恋愛も成就しないのであるが、この法則は既に2000年代に打ち破られており、この「Milan Talkies」のように、既婚の女性がDV夫から逃げ出して意中の男性と結ばれるというストーリーは、突拍子もない物語ではなくなった。ただ、それでも少し違和感が残る実感はある。
それ以上に違和感があったのは、序盤の不正行為である。アンヌーは、大学の教授から試験問題を買い取り、それを学生に売って、暴利を貪っていた。アンヌーがマイティリーと出会ったのも、この試験問題漏洩ビジネスの中でであった。不正がばれて大変なことになる、という方向には進まず、アンヌーは罰せられることはなかった。日本人観客から見たら非常に違和感のある導入部である。しかも、この試験漏洩のシーンが非常に長かった。これだけ長ければ、後の展開の伏線になっているのだろうと考えてしまうのだが、全くそういうこともなかった。これでは、インドの大学では試験の不正がまかり通っているという印象を与えてしまうだろう(実際にまかり通っているのだが・・・)。
ヒロインが不正をして学位を取得しようとしていたため、ヒロインの魅力が半減してしまっていた。また、近年のヒンディー語映画ではスタンダードになった、自立した女性像も、マイティリーからは感じなかった。家父長的な父親に抑圧され、自分の意思を通すことができておらず、一昔前のヒンディー語映画によくいた、無力なヒロイン像を引きずっていた。
アンヌーが足繁く通う映画館「ミラン・トーキーズ」は、いわゆるシングルスクリーン館であり、セルロイドフィルムを回して映写する、昔ながらの映画館だ。インドの映画館の様子が割と忠実に再現されており、日本の観客にとっては物珍しいかもしれない。インド映画名物、物語の途中で差し挟まれるインターミッションも見られた。2010年のシーンでは「Badmaash Company」(2010年)が上映されていたし、2013年に時間軸が移る後半では、実在する映画のポスターが次々と入れ替わって行くことで時間の流れが表現されていた。ミラン・トーキーズは、アンヌーとマイティリーの密会の場であり、思い出の場所であった。
「Milan Talkies」の物語はまとまりが悪かったが、映画を様々な角度から物語に組み込んでいた点については評価できる。「旅情」ならぬ「映画情」を感じさせられる映画になっていた。間違いなく、玄人好みする映画を作るティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督の趣味であろう。彼が自分で演じていたアンヌー父役もいいアクセントになっていた。
主演のアリー・ファザルとシュラッダー・シュリーナートは、悪くはなかったのだが、スクリーン上の相性が良かったわけでもなく、化学反応に欠けていた印象だった。脇役の方が光っている映画で、サンジャイ・ミシュラー、アーシュトーシュ・ラーナー、ディープラージ・ラーナーなど、曲者俳優の個性的な演技が面白かった。
「Milan Talkies」は、渋い映画を作るティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督が、映画愛を込めて作ったロマンス映画である。ドゥーリヤー監督が作るからには捻りのある物語になっているのだが、それが成功しているとは言いがたい。主演二人の相性もいまいちだった。興行的にも失敗に終わっている。だが、インド映画好きな人なら、いろいろ発見のある映画だと言える。