The Lift Boy

3.5
The Lift Boy
「The Lift Boy」

 2019年1月18日にNetflixで配信開始された「The Lift Boy」は、その題名の通り、リフトボーイを主人公にした映画である。インドでは英国式にエレベーターのことを「リフト」といい、そのリフトでボタンなどを押す仕事をする人を「リフトボーイ」「リフトワーラー」などと呼んでいる。日本のデパートなどには「エレベーターガール」という職業があるが、インドで女性がこの仕事をしているのを見たことはない。おそらくエレベーター内は密室になるので、女性がすべき仕事とは考えられていない可能性がある。

 監督は新人のジョナサン・オーガスティン。キャストは、モイーン・カーン、ナイラー・マスード、サーガル・カーレー、アニーシャー・シャー、ダミアン・デスーザなど。ヒンディー語映画界ではほぼ無名の俳優たちばかりである。

 舞台はムンバイー。工科大学の卒業試験に4回連続で落ち続けていたラージュー・ターワーデー(モイーン・カーン)は、心臓発作を起こして入院した父親クリシュナ(サーガル・カーレー)の代わりに、ギャラクシー・アパートメントのリフトボーイとして働き出す。ギャラクシー・アパートメントのオーナーは、マウリーン・デスーザ(ナイラー・マスード)というキリスト教徒の老婦人だった。

 英語教育を受けてきて、エンジニアを目指す身でありながらリフトボーイをしなければならないことにラージューは不満を持っていたが、マウリーンをはじめ、ギャラクシー・デパートメントで出会う人々から優しく接してもらえたことで、リフトボーイの仕事に楽しみを感じ始める。思いのほか早くクリシュナは退院したが、ラージューは引き続きリフトボーイの仕事を続ける。

 クリシュナは息子に、エンジニアになって欲しかった。だが、ラージューは機械製図を苦手としていた。絵描きでもあったマウリーンは機械製図を勉強し、仕事が終わった後にラージューに機械製図を教え出す。今まで勉強に身が入っていなかったラージューも、マウリーンと過ごす内に自主的に勉強をするようになる。ラージュー親友ショーン(ダミアン・デスーザ)は、6万ルピーを払えば試験問題を漏洩してもらえるツテを知っていると提案するが、ラージューは実力で受験する道を選ぶ。

 ラージューは5回目の試験に臨んだ。手応えを感じ、早速マウリーンのところへ報告に行こうとしたが、父親から彼女が今朝亡くなったことを知る。彼らは身寄りのないマウリーンの葬儀を執り行う。

 人生の壁にぶち当たっていた青年が、父親の代理として臨時で働き出したリフトボーイの仕事を通して何人かの人々に出会い、人生の方向が微妙に前向きに変わっていく様子を静かに、かつウィットと共に描いた作品だった。中盤まではとてもいい雰囲気で進んでいたが、エンディングがあまりに唐突すぎたのが台無しにしていた。

 登場人物は何かしら問題を抱えていた。共通するのは、自分がやりたいこととしていることが異なっていたことである。主人公のラージューは、本当は作家になりたかったが、父親の強制によりエンジニアを目指し、留年し続けていた。ギャラクシー・アパートメントで出会った美女プリンセス(アニーシャー・シャー)は、何か社会に貢献したいと考えていたが、母親に押しつけられ、女優の道を歩んでいた。ギャラクシー・アパートメントの女主人マウリーンは、前年に夫を亡くし、生きる目的もなく毎日を過ごしていた。絵描きでもあった彼女の夢は、ひとつ傑作を残して死んでいくことだった。

 これらの人々が出会い、お互いに影響を与え合うことで、それぞれの人生が上向く。ラージューは、マウリーンから可愛がってもらえたことで勉強にも身が入るようになる。また、夫の死後、孤独に暮らしていたマウリーンも、ラージューの受験という目的ができたことで、生活に張り合いが出る。そんな人間関係の化学反応がとても控えめに上品に描写されるのが終盤直前までの展開である。上品さが付け加わっていたのは、ナイラー・マスード演じるマウリーンの影響によるところが大きい。

 ギャラクシー・デパートメントのエレベーターには、黄色いロリポップ(ペロペロキャンディー)の絵が掲げられていた。おそらくマウリーンが描いた絵なのだろう。これには伏線があった。どうも幼少時代のラージューがクリシュナに連れられてギャラクシー・アパートメントに来たことがあったようで、そのとき悲しみに沈むマウリーンにラージューが、自分の持っていた黄色いロリポップを彼女に差し出したことがあったようだ。マウリーンは子供が欲しいと思いながら子供を授からなかったと言っていたが、おそらく子供を生むことをあきらめたときのエピソードなのだろう。マウリーンがラージューに優しかったのも、そんな過去のエピソードがあったからなのであろう。

 ギャラクシー・アパートメントにもっと多くの住人が住んでいれば、もっと多くのエピソードが生まれたのだろうが、このアパートは1階に1世帯という贅沢な作りで、マウリーンを除けば、住人はカプール家とミストリー家の2家族しか住んでいなかった。カプール家の娘プリンセスとはある程度絡みがあったが、ミストリー家との絡みは上手に展開されていなかった。

 だが、ラストは何だかよく分からなくなってしまった。マウリーンの急死と彼女の葬儀が終わると、時間軸は突如3年後に飛ぶ。一体ラージューは試験に受かったのか、観客には提示されない。夫も子供もいなかったマウリーンの死後、ギャラクシー・アパートメントがどうなったかも、観客の気になるところであったが、なぜかラージューの家族が住んでいる。彼らが相続したのだろうか。しかも、父親のクリシュナは未だにリフトボーイとして働いている。そしてラージューは何の仕事をしているかというと、どうもスラム街の子供らしき人々に何かを教えていた。そこでは、彼の親友ショーンや、ギャラクシー・アパートメントの住人プリンセスも教えている。一体何が起こったのか、観客は全く置いてけぼりにされてしまう。

 言語は基本的に英語だった。マウリーンはキリスト教徒という設定で、ほとんど英語でしゃべっていたし、ラージューも英語ミディアムの学校で教育を受けてきたために英語が流暢だった。他に、ヒンディー語とマラーティー語の台詞も混じっていた。

 「The Lift Boy」は、ひょんなことからリフトボーイになってしまった青年を主人公にした、新人監督による都会的で上品な物語である。ラストまでしっかり描ききれば文句なくいい作品になっただろうが、詰めが甘かった。それでも、観て後悔することはない作品だ。