The Last Color

3.0
The Last Color
「The Last Color」

 「The Last Color」は、2019年1月4日に米国のパームスプリングス国際映画祭でプレミア上映された、主にインドの寡婦問題(参照)を取り上げた作品である。

 監督はヴィカース・カンナー。国際的なインド料理シェフで、本作は彼にとって映画監督デビュー作となる。この映画は、彼自身が書いた同名小説(2018年)を原作としている。

 キャストは、ニーナー・グプター、ルドラーニー・チェートリー、アクサー・スィッディーキー、ラージェーシュワル・カンナー、アスラム・シェーク、ネーハー・ガルグ、プリンシー・スダーカラン、ヴァージド・アリーなどである。

 題名は英語であり、「最後の色」という意味になるが、「color」のつづりが気になった。インドでは英国植民地だった影響でイギリス英語が教えられており、一般的には「colour」というつづりを使う。「color」はアメリカ英語だ。だが、カンナー監督は米国での生活が長いため、あえてアメリカ英語の方の「color」を題名に持って来たのだと思われる。

 1989年、ウッタル・プラデーシュ州の聖地ヴァーラーナスィーで大道芸をして生計を立てる孤児チョーティー(プリンシー・スダーカラン)は、ヴィドワーシュラム(寡婦ホーム)に住むヌール(ニーナー・グプター)と出会い、仲良くなる。寡婦として色のない人生を送っていたヌールは、小さな友達ができたことで毎日が楽しくなる。チョーティーはヌールに、ホーリー祭のときに彼女に色を掛けると約束する。

 悪徳警官ラージャー(アスラム・シェーク)は、チョーティーの良き理解者だったヒジュラーのアナールカリー(ルドラーニー・チェートリー)を手込めにしていた。あるときアナールカリーはデリーからジャーナリストのレーカー・サクセーナー(ネーハー・ガルグ)を呼び、不正を暴こうとする。ラージャーら警官たちはアナールカリーを殺害し、チョーティーはそれを目撃する。チョーティーは逃げ出し、ラージャーは彼女を犯人に仕立て上げる。

 ヌールは行方不明になったチョーティーを見つけ出し、ヴィドワーシュラムにかくまう。だが、警官にばれてしまい、チョーティーは捕まる。良心的な警官の手引きによってチョーティーは脱出に成功するが、ヌールが死んだことを知らされる。チョーティーはヌールの遺体に彼女の大好きなピンク色の粉を掛け、彼女を見送る。

 24年後、チョーティー(アクサー・スィッディーキー)はヌール・サクセーナーを名乗る弁護士になっており、寡婦の権利のために法廷で戦って、寡婦たちがホーリー祭を祝う権利を勝ち取る。チョーティーは24年ぶりにヴァーラーナスィーを訪れ、ヌールが住んでいたヴィドワーシュラムで寡婦たちとホーリー祭を祝う。そこにはチョーティーの幼馴染みチントゥー(ラージェーシュワル・カンナー)もおり、立派な警官になっていた。

 ヴァーラーナスィーの象徴であるガートを舞台に、インド社会において辺縁に追いやられている人々が結び付き合う物語である。また、2012年に最高裁判所が寡婦の地位向上を命じる判決を出しており、実際に2013年3月に寡婦たちが初めてホーリー祭を祝ったという出来事があった。この映画は、この歴史的な出来事を脚色を交えて映画化した作品でもある。

 「The Last Color」には主に3人の弱者が登場する。まずはチョーティー。彼女はヴァーラーナスィーのガートで生まれ育った孤児であり、大道芸をして生計を立てていた。インドにおいて大道芸に従事する者は不可触民と見なされる。彼女は警官やチャーイ屋などから当然のように差別を受けていた。次なる弱者はヌール。寡婦である。インドでは夫を亡くした女性は不吉な存在として忌み嫌われる。ヒンドゥー教の聖地には寡婦が集住するヴィドワーシュラムがあり、家を追い出された寡婦が流れ着く。ヌールの場合は、かなり年上の男性と結婚し、結婚式後すぐに死んでしまったということで、かなり若い時期から寡婦として生きてきたことがうかがわれる。やはり彼女も世間から差別を受けて暮らしていた。3人目の弱者はヒジュラーのアナールカリーである。「第三の性」であるヒジュラーは、生殖を司る現人神として畏敬される一方で差別の対象にもなっている。アナールカリーはラージャーの性のはけ口となっており、ひどい扱いを受けていた。

 もしもう一人付け加えるとしたら、悪徳警官ラージャーの妻である。彼女は続けて3人女の子を産んでおり、婚家から「男の子を生め」という脅迫に近い圧力を受けていた。もちろん、ラージャーから暴力も受けていた。それにもかかわらず彼女自身は、第二のラージャーを作りたくないと考え、男の子が生まれないように祈っていた。

 幼いチョーティーには、なぜヌールがいつも白いサーリーを身にまとっているのか理解できなかった。だが、彼女はヌールの好きな色がピンクであることを聞き出す。寡婦はホーリー祭で遊んではいけないというタブーを知らないチョーティーは、次のホーリー祭で絶対にヌールにピンク色の粉を掛けようと決意する。

 だが、ラージャーによってアナールカリーが殺されたことで物語が急転回する。目撃者となったチョーティーはラージャーから命を狙われることになり、アナールカリー殺しの濡れ衣まで着せられる。ヌールはチョーティーをかくまおうとするが見つかり、ヌールはヴィドワーシュラムの管理人にベランダから突き落とされて殺される。チョーティーは警察に捕まり、男性たちと同じ牢屋に入れられる。脱出に成功したチョーティーは、ヌールにピンク色の粉を掛けるという約束を果たすため、警察の追っ手をかいくぐって彼女の遺体の上から色粉を降らす。

 それだけにとどまらなかった。24年後、彼女は弁護士になっていた。名前もヌール・サクセーナーになっていた。元々賢く、学校で学びたいという気持ちが強かったチョーティーは、ヌールの死後、運良く教育を受けることができたようだった。アナールカリーに呼ばれてデリーからヴァーラーナスィーにやって来たジャーナリスト、レーカーと同じ名字を名乗っていたため、レーカーによって育てられたと推測することができる。もちろん、ファーストネームは寡婦のヌールから取ったのだろう。

 複数の問題が一度に取り上げられていたためごった煮感が否めなかった。不可触民の少女と寡婦の老婆を同じ土俵に上げたのは、寡婦の地位が不可触民に等しいということを言いたかったのだろう。だが、この映画で感動するのはむしろ不可触民の少女が立派に成長して弁護士となり、寡婦の権利のために戦うというサクセスストーリーの方である。ヌールがチョーティーに語りかけた、「誰かに『アチュート(不可触民)』と呼ばれたら、誰も触れないほど高みまで上がりなさい」という言葉はとても感動的だった。

 ヴィカース・カンナー監督はマルチタレントな人物で、シェフでもあり作家でもあり映画監督でもある。だが、少なくとも映画監督としては中途半端であり、編集が雑だと感じた。何のために差し挟まれたのだか分からないような短い映像の切れ端がいくつかあり、混乱した。

 子役の起用が成否を分ける映画であったが、少女時代のチョーティーを演じたプリンシー・スダーカランが素晴らしく、その点では成功していた。もちろん、ベテラン女優ニーナー・グプターの落ち着いた演技も称賛に値する。

 「The Last Color」は、寡婦問題や不可触民問題など、インド社会が抱える広範な問題についてひとつのプラットフォームで取り上げようとした野心作である。ただ、編集の未熟さもあって、それぞれが中途半端になってしまっていたのは残念だ。それでも監督が伝えたかったメッセージは明確であり、古都ヴァーラーナスィーの持つ魅力も相まって、ホロリとできる作品に仕上がっている。