Nude: Chitraa

3.5
Nude: Chitraa
「Nude: Chitraa」

 2018年4月27日に公開された「Nude: Chitraa」は、ヌードモデルを主人公にした、インド映画としては一風変わった作品である。Zee5で鑑賞したのは「Nude – International Cut」とされているもので、言語はヒンディー語であったが、WikipediaやIMDBの情報によると、マラーティー語映画ということになっている。

 監督はラヴィ・ジャーダヴ。マラーティー語映画界で活躍している映画監督である。キャストは、カリヤーニー・ムレー、チャーヤー・カダム、マダン・デーオダル、キショール・カダム、オーム・ブートカルなど。また、ナスィールッディーン・シャーが特別出演している。

 マハーラーシュトラ州の田舎町に住んでいたヤムナー(カリヤーニー・ムレー)は、浮気性で暴力的な夫を捨てて、息子のラクシュマン(マダン・デーオダル)と共にムンバイーに出て来た。叔母のチャンドラッカー(チャーヤー・カダム)の家に身を寄せ、職探しを始める。

 チャンドラッカーは夫に内緒で美術学校でヌードモデルをしていた。彼女はヤムナーにもそのことを隠していたが、ある日彼女に知られてしまい、彼女もヌードモデルに誘う。報酬が良かったためにヤムナーも引き受け、いやいやヌードモデルを始めたが、次第に生き甲斐になって来る。

 ヌードモデルの報酬のおかげでヤムナーはラクシュマンを学校に通わせられるようになった。だが、ラクシュマンは絵に興味があり、このままでは彼女がヌードモデルをする美術学校に進学して来る怖れがあった。そこで彼女はラクシュマンをアウランガーバードの学校に送る。このことがきっかけでヤムナーとラクシュマンの母子関係は悪化する。

 ヤムナーは、大学外でもヌードモデルをするようになった。あるとき、高名な画家マリク(ナスィールッディーン・シャー)のヌードモデルに抜擢され、高い報酬を得る。だが、ラクシュマンは急に羽振りが良くなった母親を見て、怪しい仕事をしているのではないかと疑うようになり、ますます母親に反発するようになる。

 数年が過ぎ、ヤムナーのお気に入りの学生だったジャイラーム(オーム・ブートカル)も美術大学の教授となった。ヤムナーはあるとき行方不明になってしまうが、ラクシュマンが展覧会を見に来て、自分の母親のヌード絵であることに気付く。

 まずは、インドの美術学校にヌードデッサンの時間があるのは驚きだった。ただ、やはりヌードモデルのなり手がいないようで、チャンドラッカーやヤムナーのようなヌードができるモデルは重宝されていた。また、保守的な活動家たちがヌードデッサンをする大学に乗り込んで来るシーンがあり、世間体は良くないことがうかがわれる。ちなみに、ヌードモデルの報酬は1日300ルピーとのことだった。日本円にして500円ほどである。はっきり言ってその額から言って全くおいしい仕事ではないのだが、それでも田舎町から出て来た女性にとっては、仕事が終わると確実に300ルピーの現金がもらえる仕事はありがたいのだと想像できる。

 主人公のヤムナーは、金のためにヌードモデルを始めた。インドのような保守的な社会において、好き好んでヌードモデルになろうとする女性はあまりいないだろう。ヤムナーは、特に息子の教育のために金が入り用だった。だから、息子が学校に通っている間はヌードモデルをしていた。最初は恐る恐る裸になっていたヤムナーだったが、次第にポーズも堂々として来て、やがてベテランのヌードモデルとなる。さらに、家庭では夫から抑圧され続けて来ていたヤムナーは、美術学校において生徒たちから一目置かれ、人から尊敬されるということを初めて知る。ヌードモデルというと、一見すると恥も外聞も捨てた職業のように思われがちだが、ヤムナーにとっては自尊心を芽生えさせるきっかけとなった。

 ただ、ヤムナーが海へ消えて行く最後については議論を呼ぶだろうし、息子のラクシュマンが、ヤムナーのヌード画を描いたジャイラームに殴りかかるシーンもあまりに解釈の余地がありすぎる。

 個人的な解釈としてはこうだ。結局ヤムナーは、ヌードモデルは次々に忘れ去られて行く存在であることを悟るようになる。先輩のヌードモデルであるチャンドラッカーは、身体を悪くした後、引退したが、誰も彼女のことを気に掛けなかった。ヤムナー自身もそうして引退したら忘れられる存在であることを感じ、ヌードモデルという職業の虚しさを知った。新しく若いヌードモデルがやって来たことで彼女は使命を終えたことを感じ、海に消えて行ったのだった。

 多くの学生たちにとって、ヤムナーが悟った通り、ヌードモデルは単なるオブジェに過ぎなかったのかもしれない。だが、ジャイラームだけは違った。ヤムナーとジャイラームの間には、無言の中に何か通じ合うものが生じていた。その気持ちは、絵の中によく表れていた。ヤムナーが行方不明になった後、ラクシュマンはたまたまジャイラームの展覧会を訪れ、母親のヌード画を見る。彼はすぐにそのモデルが母親であることに気付く。しかも、そこに単なるヌードモデルとアーティストの関係以上のものを感じ取ったに違いない。それに怒ったラクシュマンはジャイラームに殴りかかり、そこで映画が終わる。だが、この二人の間では、ヤムナーは単なるオブジェではなかった。だからこういうぶつかり合いが生じたのであるし、それこそヤムナーが生きた証拠であった。こんな解釈の仕方はどうだろうか。

 ただ、ジャイラームが最後に叫んだ「チトラー!」という呼びかけは意味不明だった。劇中にそんな名前の登場人物は登場しない。だが、副題には使われている。何か重大な見落としがあったかもしれない。

 「The Lunchbox」(2013年/邦題:めぐり逢わせのお弁当)でもワールカリーというヒンドゥー教徒の一派が聖者トゥカーラームなどを讃える歌を歌うシーンがあったが、この「Nude」でも彼らの賛歌が印象的に使われていた。また、ナスィールッディーン・シャーが演じていた画家は、インド人画家としては最も有名なMFフサインをモデルにしていることは明らかだ。

 「Nude: Chitraa」は、ヌードモデルを主人公にした、一風変わった映画である。Zee5で配信されている「International Cut」では乳首も映し出されていたが、インド公開版はもしかしたら異なるかもしれない。写実的な映画だが、詩的な終わり方をする佳作であった。