Mrityubhoj

3.0
Mrityubhoj
「Mrityubhoj」

 インドは、現代から原始時代まで様々な時代が不思議な併存をしている国である。アンダマン&ニコバル諸島の絶海の孤島には、文明を拒否し、原始時代と同じ生活をする人々がいる一方、月面探査や火星探査を成功させた宇宙大国として名乗りも上げている。主要各都市では急ピッチでメトロ網が整備されているところで、キャッシュレス社会化も急速に進行しているが、その裏では、中世の延長のような悪習や因習がはびこっている。夫の遺体が燃やされる火の中に妻が飛び込んで自殺するサティー(参照)のような極端な悪習は既に根絶されているが、まだまだ多くの問題が残っている。

 インドの社会問題というと持参金を巡る結婚絡みの問題が多く、映画で取り上げられることもあるのだが、葬儀に関する問題は今まであまり触れられてこなかった気がする。ドキュメンタリー映画「Mrityubhoj」は、人の死から13日目に行う「死の饗宴」問題を主題にしている。監督はアーカーンクシャー・スード・スィン。ドキュメンタリー映画監督である。2017年11月12日にデリーのウッドペッカー国際映画祭でプレミア上映された。日本では2019年にNHKの「BS世界のドキュメンタリー」で、「お葬式破産」という邦題と共に放送されたことがあるようだ。アジアンドキュメンタリーズで配信中である。

 「Mrityubhoj」をヒンディー語で書くと「मृत्युभोजムリティユボージ」になるが、これは「死」という単語と「食事でもてなすこと」を意味する単語から成っている。インドでは、人が死ぬと遺族は13日間喪に服すことになるが、その最後の日である13日目のことを「तेरहवींテーラーヴィーン」などと呼ぶ。伝統では、この日に13人のブラーフマンを食事でもてなすことになっている。だが、この習慣がいつの間にかエスカレートし、近隣の村々から何千人もの客を呼んでもてなす行事になってしまっている地域がある。もちろん、貧しい家庭にそんな資金があるわけがなく、借金をしてこのテーラーヴィーンを乗り切ることになる。後に残るのは莫大な借金のみで、生きている家族は路頭に迷うことになるのである。

 エスカレートの理由は見栄である。テーラーヴィーンで多くの客人を呼べば、その家の名誉は高まり、社会的に認められる存在になる。一方、もてなされておいてテーラーヴィーンのときにムリティユボージをケチると、その家は後ろ指を指されることになる。このような意識が人々を派手なムリティユボージにかき立てるのである。

 ドキュメンタリー映画「Mrityubhoj」のカメラが入っていったのはチャンバル地方である。これは、ラージャスターン州、ウッタル・プラデーシュ州、マディヤ・プラデーシュ州に挟まれた地域で、女盗賊プーラン・デーヴィーなどの盗賊が跋扈していた地域として悪名高い。かつては盗賊が人々から金品を巻き上げていたが、現在ではこのムリティユボージが人々を貧困に追いやっているという。

 この映画には2つの軸がある。ひとつはクシュワー家である。クシュワー家は農民カーストの一種だが、この家の主であるシュリーラーム・クシュワーが死に、葬儀を行うことになった。生前の父親は社交的な人物で友人が多く、世間から尊敬も受けており、その息子たちは父親の名誉を守るため、盛大にムリティユボージを執り行うことを決める。招待客の数は2,000人以上に及んだ。

 もうひとつの軸は、チャンバル地方においてムリティユボージの撲滅活動を行う社会活動家たちである。リーダーとして取り上げられているのは、本業はアリーガル刑務所の監督官であるヴィーレーシュ・ラージ・シャルマーである。ヴィーレーシュは、ムリティユボージの悪習が貧しい農民たちを借金地獄に陥れている実態に気付き、ボランティアを組織して、誰かが死ぬと、無理なムリティユボージを止めさせるために説得に赴く活動をしている。彼はクシュワー家も訪れていた。

 しかしながら、クシュワー家は既に大量の招待状を送付してしまっており、ムリティユボージを行わないわけにはいかなかった。結局、ムリティユボージは行われる。当然、クシュワー家は多額の借金をしており、1年経った後も返済できていなかった。しかしながら、ヴィーレーシュは子供たちの教育資金は請け負っている。ムリティユボージは止められなくても、親のその行為によって子供たちの将来が閉ざされないようにしているようであった。

 映画を観ていて非常に疑問に感じたのは、どのように上記2軸の映像を撮影したかということである。ヴィーレーシュの活動はカメラに収めることは容易だろう。だが、結婚式などと違って、人の死は予想できるものではない。撮影中にそんなに都合良く死者が出るものなのか。仮に出たとしても、この映画で見られるような密着取材は可能なのだろうか。ドキュメンタリー映画にしては事が上手く運びすぎていて、現実感が希薄だった。

 また、クシュワー家のムリティユボージを止めることができなかったことも、無力感を感じさせる原因になっている。徐々にムリティユボージ撲滅運動の輪は広がっているようだが、前途多難なように感じた。

 「Mrityubhoj」は、今まで映画の中で取り上げられてこなかったムリティユボージ(死の饗宴)に焦点が当てられたドキュメンタリー映画である。必ずしも完成度の高い作品ではないが、人々の関心をこの問題に向けることには十分成功している。