
「Village Rockstars」は、新進気鋭の女性映画監督として知られるリーマー・ダース監督がアッサム州にある故郷の村にて家族や親戚をキャスティングし、キヤノンの一眼レフEOS 5Dと一本のレンズのみを使って、ほぼ独力で作り上げたアッサム語映画である。
「Village Rockstars」は2017年9月9日にトロント国際映画祭でプレミア上映された。低予算ながら高く評価され、2018年には国家映画賞の最優秀長編映画賞を受賞した。また、2019年のアカデミー賞国際映画賞にインドから公式出品された作品でもある。
舞台となるのはダース監督の故郷カラルディヤ(Kalardiya)村である。一面に水田が広がる美しい村であるが、毎年雨季になると洪水で水浸しになってしまう。最近できた堤防のおかげで水の量は一昔前に比べて減ったが、洪水になると作物は全て台無しになってしまう。主人公となる10歳の少女ドゥヌー(バニター・ダース)の父親は堤防ができる前に洪水でおぼれて死んでしまった。以来、母親(バサンティー・ダース)が女手ひとつでドゥヌと兄のマーナベーンドラを育てていた。
ドゥヌーは女の子よりも男の子たちと一緒に過ごすのが好きで、彼らと一緒にバンドを組もうと思い立つ。当初は発泡スチロールでギターの形を作って演奏の真似事をしていたが、やがて本物のギターが欲しくなる。だが、村の市場で聞いてみるとギターの値段は5,000ルピーはするという。とてもドゥヌーが買えるような値段ではなかった。それでも、強く念じれば必ず願いはかなうという言葉を信じ、何とかギターを手に入れようとする。木登りが得意だったドゥヌーはビンロウジュの樹に上って実を取る仕事をし始め、小遣いを稼ぎ始める。
ドゥヌーがかわいがっていた子ヤギがいなくなってしまう。ドゥヌーは夜遅くまで村中を探すが見つからなかった。雨季が来て、カラルディヤ村は水没し、橋は流されてしまった。ドゥヌーは作物を失って悲しむ母親に稼いだお金を渡し、生活費の足しにするように言う。その頃、ドゥヌーは初潮を迎え、儀式が行われる。ドゥヌーは男の子と行動を共にしたり木に登ったりすることを禁じられた。母親はドゥヌーにギターを買い与える。
まず目に入ってくるのはアッサム州の農村の光景だ。一面に水田が広がり、その中を子供たちが自由自在に遊び回る。村の一角に立つ木は子供たちのアッダー(集会所)になっており、彼らは思い思いの枝の上に寝そべって子供時代特有の永遠に続くとも思われる時間を過ごしていた。空の広さも印象的だ。子供たちは何かと寝そべって空を見上げていることが多かったが、それもアッサム州のどこまでも広がる空を強く印象づける要因になっていた。監督が自らの故郷で撮影を行っているだけあって、カメラから醸し出される眼差しは、フィクション映画というよりもドキュメンタリー映画に近いものを感じる。美しくも厳しい自然、そこで暮らす人々を、なるべくそのまま真空パックしようと努力している。
各シークエンスがリニアにつながるタイプの映画ではなく、どちらかといえば断片的な映像のコラージュになっている。ひとつひとつのシーンは絵画のような構成になっており、それらを組み合わせることでゆっくりとストーリーが前へ進んでいく。
物語の原動力になっている小道具はギターである。主人公ドゥヌーの当面の夢は本物のギターを手に入れることだった。ドゥヌーは木登りが得意だったりしてトムボーイ的な少女だと思われ、女の子よりも男の子たちのグループにいる方が心地よかった。彼女は彼らと一緒にバンドを組むことを思いつき、自分はギタリストになろうとした。だが、そのためにはギターが必要だったのである。
見渡す限り田んぼばかりで、文明の利器といえば自転車くらいしか見当たらない。そんな村でギターを手に入れるのは簡単ではなかった。そもそも楽器屋がない。だが、村の市場にはかろうじて楽器修理屋があった。そこには誰かが置いていったギターが一本だけあった。ドゥヌーは羨望の眼差しでそのギターを眺める。だが、たとえそれを売ってもらえたとしても、その値段はドゥヌーの手の届く範囲ではなかった。それでもドゥヌーは何とかギターを手に入れようと努力する。
そこまでは割と筋の通ったストーリーになっていたのだが、その後は多少の揺らぎが見られた。村に洪水が来たり、ドゥヌーが初潮を迎えたりして、ギターとは直接関係ない出来事が続く。「少女」から「女性」になったドゥヌーは男の子たちと遊ぶことを禁じられたりしており、彼女の夢は潰えてしまったのかとも思われた。
だが、映画の最後で母親が突然ギターを持って現れる。それは市場でドゥヌーが見たギターであった。母親がどうやってそのギターを手に入れたのかは映画中では説明されない。思い付くのは、母親が子ヤギを売ってそのギターを買ったという可能性である。それより前に子ヤギが行方不明になっていた。ただ、母親も子ヤギを探していたので、この解釈は間違っているかもしれない。映画の結末はドゥヌーが喜び勇んで調弦されていないギターをかき鳴らすシーンになっている。
素人を使って作り上げられた作品であり、子供たちを含め、キャスティングした俳優たちに演技をさせたというよりも、彼らの自然な行動をカメラで捉えたような作品だ。ドキュメンタリー映画のような味わいもある。ただ、素人であることを差し引いても、表現力の不足を感じたのが母親役のバサンティー・ダースであった。夫の死後、苦労して子供2人を育てており、その厳しさが出ていたが、その一方で、ドゥヌーをとてもかわいがっており、最後には彼女のためにギターを買ってあげる。そういう厳しくも優しい、言い換えるならば父親と母親を一人でこなす母親の微妙な表現をするには素人には荷が重すぎた。母親だけプロの俳優を起用していたらどうなっていただろうか。
4年を掛けて撮影されたようで、ドゥヌーを演じるバニター・ダースは確かに成長している。映画中で時間の経過は明示されていないが、雨季が2回来たように感じられたため、少なくとも2年の歳月は流れているだろう。
竹の貯金箱は秀逸なシーンであった。ドゥヌーは母親に秘密で稼いだ小遣いを、家の柱に使われている竹に穴を開けて即席の貯金箱にし、その中に保管していた。竹には節があるので、節の上の方に穴を開ければ貯金箱になるのだ。竹と共に生きる地域ならではの工夫であった。
「Village Rockstars」は、アッサム州出身の女性映画監督として注目を集めるリーマー・ダースの出世作である。自身の故郷で自身の家族をキャスティングして作られた自家製映画であり、どうしても限界は感じられたが、アッサム州の美しい農村風景や子供たちの純朴な演技などがそれを補っている。観て損はない作品である。