
2016年9月1日公開のテルグ語映画「Janatha Garage」は、自動車の修理と同時に世直しをするという、ハイダラーバードの「ジャンター・ガレージ」と、それを運営する老人とその甥に焦点を当てたアクション映画である。環境保護や汚職撲滅といった流行のテーマにも触れられているが、基本は勧善懲悪の物語だ。JAIHOで日本語字幕付きで配信されたときの邦題は「ジャナタ・ガレージ」になっている。
題名の「Janatha」はヒンディー語の単語「जनता」と同じもので、アルファベットでは「Janata」と綴られることが多い。「人民」という意味だ。つい「ジャナタ」「ジャナター」などと読みたくなってしまうが、これは一般的に流布しているアルファベット表記と実際の発音が一致しない単語のひとつで、実際には「ジャンター」と読む。よって、「ジャンター・ガレージ」が正しい。
監督は「Mirchi」(2013年)でデビューしたコラターラ・シヴァ。音楽はデーヴィー・シュリー・プラサード。主演はNTRジュニアだが、マラヤーラム語映画界のスーパースター、モーハンラールも主役級で出演している。この二人が共演するのは初である。ダブルヒロイン映画であり、ニティヤー・メーナンとサマンサ・ルース・プラブが主役を取り合う。
他に、サチン・ケーデーカル、ウンニ・ムクンダン、レヘマーン、スレーシュ、サーイー・クマール、デーヴァヤーニー、アジャイ、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ヴィディシャーなどが出演している。また、カージャル・アガルワールがアイテムソング「Pakka Local」にアイテムガール出演している。
1980年代のハイダラーバード。村からハイダラーバードに出て来たサティヤム(モーハンラール)は「ジャンター・ガレージ」という自動車修理工場を立ち上げ、努力してそれを発展させた。サティヤムは正義感あふれる人物で、弱者の悩みを聞き、その悩みを力を使って解決し始めた。いつしかサティヤムは地元の人々に慕われる人物になっていた。サティヤムの親友チャンドラシェーカル警部(サーイー・クマール)は、公的な権力を持っていないサティヤムが力尽くで問題を解決することに批判的だったものの、彼とは親交を保った。
利益を追求する実業家ムケーシュ・ラーナー(サチン・ケーデーカル)はサティヤムと対立し、彼の弟シヴァ(レヘマーン)とその妻を暗殺させる。二人の間にはアーナンドという息子がいたが、彼はムンバイーに住むスレーシュ(スレーシュ)に預けられた。スレーシュと妻の間にはブッジーという娘がいた。
成長したアーナンド(NTRジュニア)は大学で環境学を学び、従妹のブッジー(サマンサ・ルース・プラブ)と共に企業に環境汚染を止めさせる運動をしていた。アーナンドとブッジーは恋仲になった。スレーシュは、アーナンドに彼の両親のことはほとんど伝えておらず、彼をハイダラーバードに送ろうともしなかった。だが、アーナンドが環境保護運動にのめり込むあまり命の危険にさらされていた。そこでスレーシュはアーナンドをハイダラーバードに送る。
アーナンドはハイダラーバードで環境学の研究をしていたが、サティヤムの息子ラーガヴ(ウンニ・ムクンダン)と出会う。ラーガヴは父親に反発しており、ムケーシュの娘リヤー(ヴィディシャー)と結婚して、義父の仕事を手伝っていた。その中で彼は違法採石をしており、サティヤムの目に留まったのである。サティヤムは力尽くで違法採石を止めさせる。これがきっかけでサティヤムはラーガヴの父親サティヤムと出会うことになる。サティヤムは、交通事故をきっかけに引退生活を送っていたが、サティヤムにかつての自分の姿を見出し、彼にジャンター・ガレージを託す。サティヤムはジャンター・ガレージの仲間と共に庶民の悩みを聞き、それを力によって解決し始める。
警視総監に昇進したチャンドラシェーカルは、ジャンター・ガレージが活動を再開したことを知り、その中心人物であるサティヤムの素性を調べる。彼はサティヤムに、アーナンドは彼の甥であることを明かす。スレーシュはアーナンドをムンバイーに連れて行こうとするが、アーナンドはジャンター・ガレージにすっかり溶け込んでおり、去ろうとしなかった。彼は、ブッジーとの結婚を諦めてまでハイダラーバードに残ることを選ぶ。また、ラーガヴとリヤーもサティヤムの存在が気に食わず、家を出て行く。アーナンドは、ムンバイーで出会ったアヌ(ニティヤー・メーナン)と再会し、彼女との間で恋が芽生える。
ハイダラーバードで連続爆破テロが発生し、ジャンター・ガレージの一員ボース(アジャイ)の妻が死ぬ。その後、ボースも遺体で発見され、自殺だと断定される。アーナンドは、ラーガヴがムケーシュと結託して爆弾テロやボースの死に関与したことを知り、それをサティヤムに伝える。サティヤムは、悪の道に走った息子を殺すことを許す。アーナンドは彼らの隠れ家を探し出し、まずはムケーシュを殺す。そこへサティヤムが現れ、自らの手で息子を殺す。その後、アーナンドはアヌと結婚したことが分かる。
行政や司法といった法治国家の既成システムが頼りにならない中、正義感と腕っ節の強い修理工サティヤムや、その甥アーナンドが、力によって悪をくじき世直しをするという内容である。インド映画では、腐ったシステムを変えようとするとき、システムの内部から変えるのか、外部から変えるのかという2つの立場の間で延々と議論が交わされてきているが、「Janatha Garage」の内容は後者の立場を支持するものだった。警察までもがジャンター・ガレージに屈し助けを求める終盤の展開は、それを象徴していた。典型的な救世主志向の映画である。むしろ、各映画界で絶大な人気を誇るモーハンラールとNTRジュニアがキャスティングされた時点で、こういう展開になるのは避けられなかったといえる。
サティヤムの本職はメカニックであり、彼は庶民層や肉体労働者たちを代表している。ハイダラーバード在住ではあるが、田舎から出て来た経緯も語られており、彼は田舎民の代表でもある。社会の下層にいる人々は、自分たちの中から世の中の不正を正してくれるヒーローが登場するのを見て喝采を送る。一方、アーナンドはムンバイー在住の中流階級の大学生だ。彼が代表するのは、都市在住のイマドキの若者であり、テルグ語圏外に住むテルグ人である。この二人を戦略的に配置することで、広範な客層にアピールを行っている。
「Janatha Garage」のプロットで興味を引かれるのは、サティヤムが自分の実の息子ラーガヴではなく甥をジャンター・ガレージの後継者に任命することである。いや、彼はアーナンドが自分の甥とは知らないうちから彼を後継者に指名していた。そして、ラーガヴは後半に悪役と化し、最後はサティヤム自身が彼に引導を渡すことになる。
インド映画は基本的に家族礼賛をモットーとしている。「血は水よりも濃い」という価値観が尊重される傾向にある。だが、「Janatha Garage」ではあえて父親が悪の道に走った息子を自らの手で殺し、悪はたとえ身内であっても許してはならないという強烈なメッセージが発信されていた。確かに、家族至上主義の裏返しである縁故主義は、インド社会の汚職の温床になっている。いつまでも身内を優遇したりかばったりすることを繰り返しては汚職や不正は一掃されない。このようなことから、「Janatha Garage」は、2011年のジャンロークパール運動をきっかけにインド全土で盛り上がった汚職撲滅運動の影響下に作られた映画に数えることができる。
モーハンラールとNTRジュニアはどちらも迫力ある演技をしており、彼らの共演もとても豪華だった。だが、この映画が弱かったのはロマンスだ。アーナンドは幼馴染みのブッジーと結婚しようとするが、ジャンター・ガレージの責任を任されると、あっけなくブッジーを捨ててしまう。また、アーナンドはアヌと出会うが、彼女との間に恋が芽生えるのはブッジーと別れてからで、そこにゴタゴタは全くない。しかも、いつの間にかアヌと結婚したことになっていた。ブッジー役を演じたサマンサ・ルース・プラブとアヌ役を演じたニティヤー・メーナンは二人とも実力ある女優たちだが、全くの無駄遣いだった。
娯楽至上主義のテルグ語映画らしく、歌と踊りは素晴らしかった。特に「Apple Beauty」と「Pakka Local」などは、ストーリーとの関連性は薄かったが、NTRジュニアのダンススキルが存分に引き出されており、映画を盛り上げた。
「Janatha Garage」は、NTRジュニアとモーハンラールの共演が最大の売りになっているアクション映画だ。2010年代に盛り上がった汚職撲滅運動は各映画界にも影響を与えたが、この作品にもそれが見出せる。また、環境保護運動にも触れている。それでも、そちらに偏ることはなく、あくまで娯楽を貫き通していて、説教臭さはあまり感じられない。そこがテルグ語映画のいいところだ。ただ、あまりに多くの要素を詰め込み過ぎという批判は免れないし、サマンサ・ルース・プラブとニティヤー・メーナンももったいない起用の仕方をしている。荒削りな娯楽作品である。