Ludo (Bengali)

3.0
Ludo

 ベンガル語映画は普段あまり観ないが、ベンガル語映画界で活躍するカウシク・ムカルジー、通称「Q」監督の作品だけは何としてでも観ようと思ってしまう。アヌラーグ・カシヤプ監督をさらに過激にしたような、前衛的な映画作りで知られる監督である。

 「Ludo」は、2015年7月17日にカナダのファンタジア国際映画祭でプレミア上映され、その後、ムンバイー映画祭など、世界各地の映画祭で上映された作品である。Q監督が撮ったホラー映画ということで、やはり観ずにはいられない。インドで劇場一般公開はされていないはずだ。

 キャストは、リー・セーン、ジョイラージ・バッタチャルジー、ティロッタマー・ショーム、ロノディープ・ボース、ソウメーンドラ・バッターチャーリヤ、アナンニャー・ビシュワース、スボリナー・セーン、ムラーリー・ムカルジー、カマリカー・バナルジーなど。

 ちなみに題名になっている「ルードー」とは、インド発祥のボードゲームである。スゴロクに似たルールで、サイコロを転がして駒を進めていく。

 舞台は現代のコルカタ。ペレ(ソウメーンドラ・バッターチャーリヤ)はババイ(ロノディープ・ボース)と共に、それぞれの恋人であるリヤー(スボリナー・セーン)とパーヤル(アナンニャー・ビシュワース)を連れ出し、セックスをしようとする。多くのホテルに断られ、やっと一軒のホテルに転がり込むが、そこで異様な光景を見て逃げ出す。夜中のショッピングモールに忍び込んだ4人はそれぞれ事をいたそうとするが、そこへ2人の老人、ミルミ(リー・セーン)とキラマ(ジョイラージ・バッタチャルジー)が現れる。ペレ、ババイ、リヤーとミルミの4人はルードーを遊び出す。そこで他のプレーヤーに捕まったプレーヤーは食べられてしまうことになっていた。ババイはミルミに食べられてしまう。

 ペレ、リヤー、パーヤルは逃げ出すが、ペレもキラマに捕まり、ルードーで負けて食べられてしまう。今度はミルミ、キラマ、リヤー、パーヤルの4人がルードーを遊ぶ。まずは負けたリヤーはキラマに食べられてしまう。

 同時に、ミルミとキラマ、そして呪われたルードーについて明かされる。ミルミとキラマは封印されていたルードーを開封してしまい、父親のファラク・イルム(ムラーリー・ムカルジー)から呪われて、血を求めて彷徨う不死身の存在となってしまった。だが、同じ一族であるオシニ(ティロッタマー・ショーム)に捕まり、ミルミは右目を抜き取られてしまう。オシニとミルミはルードーを遊び出す。

 現代に戻り、パーヤルはルードーに勝つ。

 封印されたルードーの盤に取り憑かれたミルミとキラマのカップルは、血を欲するルードーに絶えず血を提供し続けなければならなくなった。また、彼らは父親の呪いにより死ぬことができなくなっていた。彼らは何世紀も生きながら、出会った人々とルードーを遊び、勝ったら相手を食べて血を得ていた。現代のコルカタにおいて、そのミルミとキラマに、2組の若いカップルが、深夜のショッピングモールで出会ってしまい、次々にルードーに負けて食べられてしまうというストーリーである。

 インド発祥のボードゲームをモチーフにしてホラー映画にしたのはいい着眼点だった。古びたガラス瓶の中にサイコロを入れてカタカタと振るのだが、その渇いた音が恐怖を煽った。しかし、Q監督はこの比較的単純なストーリーにお得意のエロ・グロ・ナンセンスを詰め込み、一辺倒の解釈を拒否する難解な作品に昇華させている。Q監督らしいといえばらしいのだが、不条理すぎて、はっきりいって何が何だか分からなかった場面が多かった。Q節に付いていける人には受けるカルト的な人気が出そうな映画だろうし、そうでない人にとっては最後まで見通すのが苦痛な映画だ。全く評価が分かれるだろう。

 なぜミルミとキラマが深夜のショッピングモールにいたのか、オシニとミルミの勝負の行方はどうなったのか、パーヤルは助かったのか、謎は尽きない。エンディング直前に意味深な映像も流れるのだが、その意味もよく分からない。とにかく観客を突き放すようなストーリーだった。

 Q監督の映画はいつも性描写が過激だ。今回は局部の露出こそなかったものの、エロティックなストーリーな上にセックスのシーンも登場する。さらに、内蔵をえぐられたりするグロテスクなシーンもあり、観る人を極端に選ぶ映画である。

 「Ludo」は、ベンガル語映画界で前衛的な映画作りを推し進めるQ監督のホラー映画である。ホラー映画である前に不条理なサイケデリック映画になっており、意味不明な場面が多く、容易に解釈することができない。それでも、他のQ監督作と同様に、カルト的な人気を博すだけの潜在力はある。ある意味、Q監督がどういう監督か知っている人にとっては、期待を裏切らない作品だといえる。