インドの街角ではよく神様ポスターが売られているのを目にする。安価に手に入る神様ポスターは家や職場などに飾られ、信仰されている。そのポスターのおかげで、今や神様の姿は容易に目にすることができるようになったが、これが登場する前、神様は寺院でのみ目にすることができた。そして、寺院に入ることを許されなかった不可触民たちは、神様の姿を拝むことすらできなかった。
神様ポスターの元になるものを作り出したのが、ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーという19世紀の画家である。西洋絵画の手法を使ったインド神話の図像化を始めた人物であり、後には印刷所を立ち上げ、神様を描いたオレオグラフやリトグラフのポスターを量産した。現在、インド人が一般に思い浮かべる神様のイメージは、ラヴィ・ヴァルマーが作り出したポスターによって作り出されたものである。
ヒンディー語映画「Rang Rasiya(色好み)」は、ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの伝記映画である。監督は「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)などのケータン・メヘター。1980年代のパラレルシネマ時代から映画を作り続けているベテラン監督である。一般公開は2014年11月7日だが、初公開は2008年のロンドン映画祭のようだ。出演している俳優たちを見てもかなり若く見えるため、「Mangal Pandey」の後、あまり時間を置かずに製作された映画だと予想される。
主演はランディープ・フッダー。他に、ナンダナー・セーン、ラシャーナー・シャー、フェレナ・ワズィール、トリプター・パラーシャル、パレーシュ・ラーワル、ダルシャン・ジャリーワーラー、サチン・ケーデーカル、ラジャト・カプール、ガウラヴ・ドゥイヴェーディー、ヴィピン・シャルマー、スハースィニー・ムレー、トム・アルター、チラーグ・ヴォーラーなどが出演している。
トラヴァンコール藩王国の貴族の家系に生まれたラヴィ・ヴァルマー(ランディープ・フッダー)は、幼い頃から絵の才能を発揮し、王家から支援を受けていた。王家の女性と結婚し、賞も手にしたラヴィは「ラージャー」の称号を授かるが、藩王の死により冷遇されるようになり、ボンベイへ移る。 ボンベイでラヴィはスガンディー(ナンダナー・セーン)という女性と出会い、インスピレーションを得る。そして、彼女をモデルにして神話画の制作を始める。また、バローダー藩王国の藩王が彼のパトロンとなる。ラヴィはインド中を旅行し、見聞を広め、さらに神話画を究めて行く。だが、保守的な宗教家チンターマニ(ダルシャン・ジャリーワーラー)はラヴィの絵画を問題視する。 ラヴィは、セート・ゴーヴァルダン・ダース(パレーシュ・ラーワル)の支援を受け、ドイツ人技師フリッツ・シュライヒャーと共に印刷所を立ち上げ、神様ポスターを量産する。だが、印刷所が火事になったことで経営が傾く。また、スガンディーの裸体をモデルにした神話画を印刷したことで、チンターマニによって訴えられる。 裁判の結果、ラヴィは無罪となるが、スガンディーは自殺をしてしまう。ラヴィはフリッツに印刷所を譲り渡し、ドゥンディラージ・ゴーヴィンド・パールケー(チラーグ・ヴォーラー)の映画作りを支援する。
ケータン・メヘターはインド映画界で尊敬を集めるベテラン監督の一人だが、彼の作風は既に時代遅れとなっており、現代の観客の鑑賞に耐えられるレベルに達していない。編集も雑、衣装や美術も安っぽく、BGMも外れている。だが、彼がこの映画で取り上げた主題は、インドの芸術の発展にとって非常に重要なもので、その点からこの「Rang Rasiya」は意義のある映画になっている。
「Rang Rasiya」は、ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの伝記映画とは言え、第一には娯楽映画であるため、フィクションも含まれている。だが、概ね彼の人生を正確になぞっており、この映画を一通り観ることで、ラヴィ・ヴァルマーの人生や業績を知ることができる。
画家と言うととかく貧しい生活を思い浮かべるのだが、ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーは、ケーララ地方で栄えたトラヴァンコール藩王国の貴族家系に生まれており、高貴な出身であることが分かる。しかも、後にはバローダー藩王国の藩王もパトロンになっており、経済的には恵まれていた。また、トラヴァンコール藩王国の支配層は、インドでは稀な女系であることも分かる。
ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーは、水彩画や油絵の技法を使ってインド神話を描いた。それは、インド神話は西洋のものに劣っていないという信念から来ていた。特に彼は、神話を題材にした婦人画に長けており、中には裸婦画もあった。「Rang Rasiya」では、ラヴィ・ヴァルマーはプレイボーイとして描かれており、周囲には複数の女性がいた。特に重要なのは、多くの絵のモデルとなったスガンディーであった。だが、ラヴィとスガンディーの関係は幸せな結末には至らない。
ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーが描いた神様画は人々の信仰の対象となった。それを見て商機を見出す辺り、彼にビジネスマンとしての嗅覚もあったことを示すが、経営の才能には欠けていたようである。印刷所「ラヴィ・ヴァルマー・プレス」を立ち上げ、神様ポスターを大量生産して大儲けするところまでは良かったが、やがて経営は傾き、最終的にはドイツ人技師に譲渡してしまう。だが、彼が生み出した神様ポスターは、今まで神様にアクセスできなかった人々が神様の姿を拝むことを可能とし、インド社会に革命的な変革をもたらした。それを面白く思わない者もいたが、彼を支える人々もいた。
「Rang Rasiya」でもうひとつ重要なのは、ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーが実はインド映画の恩人でもあることが明かされていた点である。初の完全国産映画を作り、「インド映画の父」と呼ばれるダーダーサーヒブ・パールケーは、一時期ラヴィ・ヴァルマーの助手をしていた。映画という最新技術を目の当たりにしたパールケーは、インド人のための映画を作り出すことを志すが、資金を欠いていた。それを援助したのがラヴィ・ヴァルマーであった。この部分はフィクションではなく史実である。パールケーはインド神話を題材にした映画を多数作ったが、その発想はラヴィ・ヴァルマーから受け継がれたものだと見て間違いない。つまり、パールケーが「インド映画の父」であったら、ラヴィ・ヴァルマーは「インド映画の祖父」なのである。
ラヴィ・ヴァルマーを演じたランディープ・フッダーは、現代人的な風貌をしているため、19世紀の人物を演じるには必ずしも適役ではなかったかもしれないが、演技は無難であった。ナンダナー・セーンは、天才的画家に寵愛された女性というおいしい役であり、映画中に出て来る絵の顔も彼女に合わせられていた。
ケータン・メヘター監督の人脈なのか、脇を固める俳優たちは驚くほどベテラン揃いだ。パレーシュ・ラーワル、ダルシャン・ジャリーワーラー、サチン・ケーデーカル、ラジャト・カプール、トム・アルターなど、インド映画界を代表する演技派俳優たちが揃っている。よくこれだけ揃えたと思うし、よくこれだけの端役にわざわざ名のある俳優たちを起用したとも感心する。
ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの絵画には、女性の乳首などが出ているものがある。鑑賞した「Rang Rasiya」では局部にモザイクが掛かったり、女性のヌードシーンがカットされていると思しき部分もあったりする。編集が雑だと感じたが、その一因は検閲によるカットがあるのかもしれない。
「Rang Rasiya」は、インド美術界の巨匠ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの伝記映画である。監督はこれまた巨匠のケータン・メヘター。しかしながら、映画の作りは古風で、編集なども雑であり、質は低い。それでも、インド映画の成り立ちに関係するエピソードもあり、インド映画ファンにとっては容易に見逃せない映画である。