Jigarthanda (Tamil)

4.0
Jigarthanda
「Jigarthanda」

 2014年8月1日公開のタミル語映画「Jigarthanda」は、「Pizza」(2012年)で鮮烈なデビューを飾ったカールティク・スッバラージ監督の第2作である。題名の「ジガルタンダー」とはタミル・ナードゥ州マドゥライ名物の、牛乳をベースに作られた清涼飲料のことだ。「内臓を冷たくする」という意味である。

 主演はスィッダールト、ラクシュミー・メーナン、そしてボビー・スィンハー。他に、カルナカラン、グル・ソーマスンダラム、アードゥカラム・ナレン、ソウンダララージャ、ラーマチャンドラン・ドゥライラージ、ジャヤプラカーシュ、センティル・クマーラン、サンギリ・ムルガンなどが出演している。また、ヴィジャイ・セートゥパティ、ナーサル、ナラン・クマラサーミなどが特別出演している。

 この映画は「ジガルタンダ」の題名と共に日本の映画祭でも上映済みである。インディアン・ムービー・オンラインにおいて日本語字幕付きで有料配信もされている。

 チェンナイ在住で映画監督を夢見るカールティク(スィッダールト)は、プロデューサーからギャング映画を撮るように命令され、マドゥライの有名なギャング、セートゥ(ボビー・スィンハー)を題材にすることを決める。カールティクはマドゥライへ行き、大学時代の友人ウールニ(カルナカラン)と共にセートゥについて調べ始める。

 セートゥはマドゥライで絶大な権力を誇っており、警察すらも従えていた。カールティクは、セートゥの手下ソウンダル(センティル・クマーラン)を突破口にして情報を得ようとするが、ソウンダルはライバルのギャングと密通しており、それがばれて殺されてしまう。カールティクとウールニは共謀を疑われてセートゥに捕まるが、彼の映画を作りたいと正直に話すと、セートゥは乗り気になった。カールティクは直接セートゥから詳細について聞くことができるようになる。

 ところで、カールティクがマドゥライで出会った女性カヤルヴィリ(ラクシュミー・メーナン)の母親はセートゥの家で食事を作っていた。セートゥに気に入られる前、カールティクはカヤルヴィリを通してセートゥに接近しようともしていた。だが、セートゥの仲間に引き入られてからはカヤルヴィリと疎遠になっていた。それまでにカールティクに恋するようになっていたカヤルヴィリは、カールティクへの仕返しとして、セートゥが映画の主演も務めればいいと口走る。それを真に受けたセートゥは、自身の映画の主演を自身で務めると言い出す。

 セートゥは役者としては素人であり、カールティクは頭を抱えてしまう。だが、今更投げ出すこともできず、カールティクは決断する。プロデューサーもセートゥに脅され無理矢理同意させられていた。カールティクはセートゥを主演に映画を撮り始める。だが、その前に彼はセートゥに演技の訓練をさせる。

 ようやく映画が完成した。題名は「Aクマール」になった。カールティクは、セートゥ主演のギャング映画ではヒットしないと考え、コメディー映画に変えてしまっていた。それが大受けし、セートゥは俳優として有名になる。当初、セートゥは騙されたことに憤り、カールティクを殺そうとする。だが、映画俳優として人々から尊敬を受けるようになったことでセートゥの心に変化が起こった。セートゥはカールティクを殺さず、このまま俳優としてのキャリアを続けることを決める。

 この映画の悪役であり、主役の一人でもあるセートゥは、幼少時から暴力と恐怖によって人々を従えてきた人物であった。彼がギャングとして成り上がるのにも時間は掛からず、若くしてライバルを次々に始末し、マドゥライのアンダーワールドを支配するようになる。

 そのセートゥがひょんなことから映画で主演を務めることになる。必ずしもセートゥがそこまでの映画好きだという伏線は敷かれていなかったと思うのだが、監督の卵カールティクから彼の人生を題材にしたギャング映画の脚本を書いていると聞かされると、意外にも子供のように舞い上がってしまう。さらに、その映画の主演を自分で務めることにもなる。

 ここまでの展開は、優れた脚本家でもあるカールティク・スッバラージ監督の本領が発揮されていた部分だ。セートゥの残忍さが強調されると同時に、カールティクが何とかしてセートゥの情報を集めようと奮闘する様子がコミカルに描かれる。セートゥの部下と仲良くなり、彼に盗聴器を仕掛けてセートゥの会話を盗聴しようとするシーンのスリルはたまらない。そしてカールティクはセートゥに捕まってしまう。当然、殺されるかと思いきや、映画の話をしたら急に雰囲気が変わる。この「溜め」と意外性のある転換には唸らされた。

 ただ、中盤、セートゥが演技の特訓をするシーンは冗長で中だるみに感じた。だいぶギャングとしての威厳が失われてしまっており、その後の展開に必要な「溜め」が不足していた。

 それでも、「Aクマール」公開後はまたグリップ力が戻り、意外な結末へ向けて疾走する。演技素人のセートゥを何とか主演俳優として成立させるために、カールティク監督は彼に内緒で「Aクマール」をコメディー映画にしてしまっていた。それが大ヒットするという展開は都合が良すぎると感じたが、映画スターとしての尊敬を勝ち取ったセートゥが心変わりをし、ギャングから俳優への本格的な転身を決める場面は感動的だ。

 これには、マハートマー・ガーンディーの非暴力主義に通じるものもある。ガーンディーは暴力を使わずに抵抗することで、権力者の心変わりを促そうとした。「Jigarthanda」では、映画の持つ力が暴力を抑え込む姿を描き出している。

 ただし、映画の最後では、俳優として研鑽し、自分が殺した部下の妻子を大事にするセートゥとは対照的に、カールティクがセートゥの元部下を従え、人気俳優ヴィジャイ・セートゥパティに映画出演を強要するシーンが提示され、気になった。これではセートゥの代わりにカールティクが暴力主義に走ってしまったことになり、非暴力主義を映画の最終的なメッセージとして素直に受け止めることが難しくなる。最後のシーンは必要だったのだろうか。

 ちなみに、「Jigarthanda」はアクシャイ・クマールとクリティ・サノン主演でヒンディー語でもリメイクされ、「Bachchhan Paandey」(2022年)になった。

 「Jigarthanda」は、新進気鋭のカールティク・スッバラージ監督が送り出した、凝った脚本のギャング映画である。ギャング映画といっても、スリルとサスペンスあり、笑いと涙ありの典型的なインド娯楽映画に仕上がっており、楽しい作品だ。必見の映画である。