Kuku Mathur Ki Jhand Ho Gayi

3.5
Kuku Mathur Ki Jhand Ho Gayi
「Kuku Mathur Ki Jhand Ho Gayi」

 2014年5月30日公開の「Kuku Mathur Ki Jhand Ho Gayi」は、進路に迷う高校卒業前後の若者のコメディー映画である。長ったらしい題名だが、その意味は「(主人公の)ククー・マートゥルがとんでもない目に遭った」のようなニュアンスになる。「झंडジャンド」とは元々「産毛」またはその産毛を剃る「剃髪式」を意味する。だが、この単語はデリー近辺の俗語で「トラブル」などのネガティブな意味で使われる。ヒンドゥー教徒の男児は1歳くらいのときに寺院で剃髪式をし、頭髪を剃り落とす。これは「मुंडनムンダン」とも呼ばれる。大切な身体の一部である髪の毛を神様に捧げることで健康な成長を祈るのである。その後、ヒンドゥー教徒の男性が剃髪を行うのは父親が死んだときだ。当然、父親の死は一家にとって大きな災厄である。そういった理由から、「झंडジャンド」にはネガティブな意味が付きまとうことになった。

 プロデューサーはエークター・カプールやビジョイ・ナンビヤール。監督はアマン・サチデーヴァ。過去にTVドラマを撮ったことがあるが、映画の監督は初である。キャストは、主演はスィッダールト・グプター、助演はアーシーシュ・ジューネージャー。二人とも新人である。他に、スィムラン・カウル・ムンディー、パッラヴィー・バトラー、ブリジェーンドラ・カーラー、スィッダールト・バールドワージ、アミト・スィヤール、ソーメーシュ・アガルワール、アーローク・チャトゥルヴェーディー、ルーパー・ガーングリー、タンヴィー・キショールなどが出演している。

 デリー在住、12年生のククー・マートゥル(スィッダールト・グプター)は、将来の進路に迷っていた。親友のロニー・グラーティー(アーシーシュ・ジューネージャー)は高校卒業後は大学に行かず、家業の衣類屋を継ぎ、自らの店を開店させた。ククーにはロニーがまぶしく見えた。彼は密かにレストランを開きたいと考えていたが、公務員の父親(ソーメーシュ・アガルワール)が認めなかった。

 ククーは大学に入学しようとしたが点数が足りなかった。そこで彼はTVドラマ撮影のアシスタントをするが、監督や俳優たちに叱られてばかりだった。ある日、女優のロージー(パッラヴィー・バトラー)に誘われ、無理矢理ダブルデートに付き合わされるが、相手カップルはロニーの兄ヒマーンシュ(スィッダールト・バールドワージ)と、ずっと片思いしてきたミターリー(スィムラン・カウル・ムンディー)だった。ククーはヒマーンシュから辱めを受け、レストランを飛び出す。その後、ククーはロニーとも喧嘩をし、絶交してしまう。

 人生どん底のククーの前に従兄のプラバーカル・シュクラー(アミト・スィヤール)が現れる。プラバーカルはククーの身に起こったことを聞き、入れ知恵を吹き込む。ククーは、グラーティー家の倉庫で守衛をするスレーシュ(アーローク・チャトゥルヴェーディー)を抱き込み、倉庫に保管されていた衣類を持ち出した後に火を付け、その衣類を売り払って大儲けをした。それを資金源にしてククーはレストランを開店する。自信を持ったククーはミターリーとも仲良くなり、やがて二人は付き合うようになる。

 あるときククーのレストランにロニーがやって来る。ロニーはもう昔のわだかまりを忘れていたようだった。それを見てククーは罪悪感を感じ、落ち着かなくなる。ククーはバーバージー(ブリジェーンドラ・カーラー)に相談する。バーバージーは、その内「悟り」があると言う。ククーは、妹のチョーターや父親が相次いでプラバーカルに騙されたことを知り、ロニーに謝罪しなければならないと気付く。

 ククーがロニーを探している一方で、グラーティー家ではスレーシュがククーと共謀して倉庫に火を付けたことが知れ渡っていた。ロニーは半ば信じられなかったが、ククーが現れ謝罪したことで、その現実を受け入れざるを得なくなる。ククーはヒマーンシュに殴られた上にレストランを失い、しかも父親の退職金も取り上げられてしまう。

 全てを失ったククーの前にロニーが現れ、一緒にケータリングサービスを始めようと提案する。ミターリー、スレーシュ、そして彼の妻(ルーパー・ガーングリー)も協力し、新たなスタートを切る。

 まずは映画全体の雰囲気が良かった。デリーの住宅街で若者たちが生でしゃべっているようなセリフのやり取りでストーリーが進む。それが、デリー在住経験者の自分にとっては非常に懐かしくもあり、そしてリアルにも思えた。実際にデリーで撮影が行われており、ハウズ・カース辺りと思われる風景などが背景に見られたが、これ見よがしにデリーの観光名所でロケを行っているわけでもない。お上りさんではなく、デリーに根ざした地元民の目線でロケ地が選定されたことが予想される。そういうところも好印象であった。

 高校卒業前後のインドの若者の状況や心境が描かれていたが、これは今までありそうでなかったかもしれない。映画開始時、主人公ククーはまだ12年生(高校3年生)であり、12学年の最後に実施される共通テストの結果待ちだった。ククーは90%の好成績を取り、高校卒業の資格を得るが、この点数では自分の行きたい大学に行くことはできなかった。比較的要件の低い体育学科への入学志望に切り替えるが、体力テストで合格できず、路頭に迷うことになる。仕方なく彼はTVドラマの撮影現場でスポットボーイと呼ばれる下働きの仕事をするようになる。

 一方、親友のロニーは大学に行かず、家業の衣類ビジネスを継ぐことになる。子供の頃、サーリーやブラウスを売る家業をロニーは誇りに思っていなかったようだが、一度ビジネスを始めると、店頭に立って立派に商売をしていた。そんな姿を見てククーはますます焦燥感を感じるようになる。

 だが、ククーに夢がないわけではなかった。彼は料理がうまく、いつか自分でレストランを開きたいと考えていた。とはいえ、お人好しで世間知らずのククーはどう見てもビジネスに向いていなかった。

 転機となるのは、従兄プラバーカルの登場である。プラバーカルは悪知恵の働く人物で、周囲を丸め込むのもうまかった。プラバーカルは、片思いの相手ミターリーや親友のロニーを失って落ち込んでいるククーをけしかけて犯罪行為をさせる。ロニーの属するグラーティー家の倉庫から商品在庫を盗み出し、火を放ったのである。そしてその商品を売り払って手にした金でレストランを開く。

 そこからは、インド映画に非常に特徴的な贖罪の物語となる。インド映画では、主人公が何らかの嘘を付いたり人を騙したりして成功を掴むが、良心の呵責から謝罪や贖罪をするという流れのストーリーがよく見られる。だが、十中八九、謝罪や贖罪はうまくいかず、主人公が自ら相手に打ち明ける前に、相手が別の方面からそのことを知ってしまう。「Kuku Mathur Ki Jhand Ho Gayi」でも正にその流れが踏襲されていた。ククーは自身の犯罪行為を打ち明けたことで賠償として何もかも奪われ、全てを失ってしまうが、それでも彼は良心の呵責からは解放された。そして運が巡ってきて、彼は再起するチャンスを与えられた。まるで「道徳」の物語のようだが、インド映画の定番でもある。

 ククー役を演じたスィッダールト・グプターは、長身ながらまだ幼さが残る顔をしており、演技もおぼつかないところがあった。それでも、世間知らずなククーを演じるには適任といえ、この映画に関してはバッチリはまっていた。

 ヒロインはミターリーということになるだろうが、キャラが一貫しておらず、この映画の弱い部分であった。当初は「憧れの人」として描かれるが、途中から高飛車な女性に変化し、いつの間にか主人公を支える健気なヒロインに変貌していた。ミターリー役を演じたスィムラン・カウル・ムンディーは2008年のミズ・インディア・ユニバースである。「Jo Hum Chahein」(2011年)でデビューしたが、あまり女優として定着できていない。

 演技面で注目されるのは、プラバーカル役を演じたアミト・スィヤールだ。うさんくささに関しては、バーバージー役を演じたベテラン俳優ブリジェーンドラ・カーラーに劣っていなかった。ククーの父親を演じたソーメーシュ・アガルワールも老練な演技を見せていた。

 「Kuku Mathur Ki Jhand Ho Gayi」は、デリーを舞台にし、悩める若者の成長の過程を追ったコメディー映画だ。新人監督が新人俳優を起用して撮った映画で、後半はインド映画の定番をなぞるだけになってしまって新鮮味がなかったが、前半には一定の目新しさを見出すことができた。興行的には失敗し、大して話題にもならなかったが、決してつまらない映画ではない。