Tomorrow We Disappear (USA)

4.0
Tomorrow We Disappear
「Tomorrow We Disappear」

 デリーにはカトプトリー・コロニー(Kathputli Colony)という地区がある。「कठपुतलीカトプトリー」とは「操り人形」のことである。1950年代にラージャスターン州からやって来た操り人形師が住み始めたのがこの地区の起源で、それ以降、インド中から各種の大道芸人たちが集まるようになり、世界でも稀なストリートパフォーマーたちの居住区に発展した。

 この居住区は、行政的にはいわゆる「JJクラスター」と呼ばれる違法なスラム街であったが、ここに住むパフォーマーたちは、インド政府の要請を受けてインドの伝統文化を世界に紹介する海外公演を何度もこなし、インドのソフトパワー向上に多大な貢献をしてきた。大統領から表彰を受けたアーティストも多数おり、彼らはただのスラム住人ではなかった。

 当初はデリー郊外の荒れ地に位置していたカトプトリー・コロニーも、急速に拡大してきたデリー市街地に呑み込まれ、やがて一等地として目されるようになった。2010年代にデリー開発公社(DDA)はカトプトリー・コロニーの再開発計画を実行に移し始めた。この土地に高層マンションやショッピングモールなどを建設し、スラム街再開発のモデルケースにしようとしたのである。そのマンションには、元々の住人たちにも部屋が提供されることになった。このマンションが建設されるまで、カトプトリー・コロニーの住人たちは仮住居に移住することになった。

 アジアンドキュメンタリーズで配信されている「Tomorrow We Disappear」は、2011年から14年にかけて、再開発計画に揺れるカトプトリー・コロニーを追ったドキュメンタリー映画だ。監督は米国人のジミー・ゴールドブラムとアダム・ウェバーである。トライベッカ映画祭にて2014年4月19日にプレミア公開された。邦題は「消えゆく芸人コロニー」である。

 カトプトリー・コロニーの家屋は2017年に取り壊されてしまったので、既にこの世にはない。よって、「Tomorrow We Disappear」は、在りし日のカトプトリー・コロニーの姿を記録した貴重な映像作品のひとつになっている。小さな家屋が密集する典型的なスラム街だが、あちこちで住人たちが大道芸の練習に励んでおり、非常にユニークな場所だったことが分かる。主に語り手になるのは、人形遣い師のプーラン・バットであるが、他にも曲芸師のマーヤー・パワールや奇術師のレヘマーン・シャーのインタビューが収められている。さらに、映像のみだが、ジャグラーや竹馬師なども登場する。筆者はデリーに長く住んでおり、カトプトリー・コロニーの存在も知っていたが、中に入り込んだことはなかった。まだカトプトリー・コロニーがある内に一度でも行っておけばよかったと後悔しているが、この映画を観ると、後悔の念がさらに強まる。

 しかしながら、「Tomorrow We Disappear」の題名が示す通り、映画はカトプトリー・コロニーの明るい部分よりも、再開発計画に直面して動揺する住民たちの姿をより克明に映し出している。

 再開発を請け負った民間開発業者のラヘージャー・ディベロッパー社の社長は、カトプトリー・コロニーの住人たちに丁寧に移住計画を説明するが、住み慣れた家、苦労して建てた家を易々と明け渡すことができる住人はほとんどおらず、カトプトリー・コロニーの代表であるディリープ・バットも住人たちの意見をまとめるのに苦労する。やはり年配の住人ほど移住には反対であった。

 それに対し、まだ10代くらいの曲芸師マーヤーは、近代的な住居が提供されるならそちらの方がいいという率直な意見をインタビューで述べる。徐々に住民の中にも、立ち退きの同意書に署名をする選択をしようとする者が現れ始める。結局、代表のバットをはじめ、多くの住民が立ち退きに同意することになる。

 どうしても再開発の方に意識が行ってしまうのだが、もうひとつ、カトプトリー・コロニーに住む住人たちが直面する重大な問題にも触れられていた。それはストリートパフォーマンスの禁止である。実はインドにはボンベイ物乞い禁止法(1959年)という物乞いを禁止する法律が昔から施行されている。インドの路上には数え切れないほどの物乞いがいるのだが、あれは全員違法なのである。ストリートパフォーマンスや大道芸なども物乞いの一種とされ、取り締まりの対象になる。とはいえ、厳しく規制されるようになったのは近年のようである。「Tomorrow We Disappear」の中でも、路上で手品を見せようとしたレヘマーン・シャーが警察からパフォーマンスを止められている様子が映し出されていた。

 路上でのパフォーマンスが禁止されているということは、きちんとした劇場などでの公演という形ならまだパフォーマスが可能だとも考えられる。だが、カトプトリー・コロニーには蛇使いや熊使い、そして猿回し師など、動物を使った大道芸人たちも住んでいる。これらについては、動物愛護の観点から芸が禁止されているため、もはやいかなる場所においても堂々とパフォーマンスをすることができなくなっている。

 インド政府は、一方ではカトプトリー・コロニーに住む大道芸人たちを海外公演に連れて行き、表彰もしているが、他方ではストリートパフォーマンスを禁止し、彼らの食い扶持を奪っている。カトプトリー・コロニーの存続も大きな問題であったが、先祖代々綿々と受け継がれてきた大道芸も今後急速に失われていく可能性が高い。

 映画は2014年で終わっていたが、その後もカトプトリー・コロニーの再開発計画を巡っては何度か新聞沙汰になることがあった。大半の家族はアーナント・パルバトに建設された移住キャンプに引っ越し、カトプトリー・コロニーに建設中のマンションの完成を待つことになったが、工事は遅れに遅れ、ようやく2022年に一部の部屋の引き渡しが実行に移されようとしていた。ただ、続報がないので、果たしてカトプトリー・コロニーの住人たちが無事に部屋を宛がわれているのか不明である。

 「Tomorrow We Disappear」は、ストリートパフォーマーが集住する世界でも稀なカトプトリー・コロニーと、そこに住む住民たちのドキュメンタリー映画だ。既にカトプトリー・コロニーは更地にされ再開発が進められているため、この映画に収められた風景はもうない。カトプトリー・コロニーのかつての姿を収めた映像記録として貴重である。また、再開発計画に揺れる住民たちの葛藤をかなり冷静にカメラに捉えている。優れたドキュメンタリー映画である。