2014年4月18日公開の「Dekh Tamasha Dekh(見ろ、見世物を見ろ)」は、実際に起こった出来事にもとづいて作られた風刺映画である。マハーラーシュトラ州アラビア海沿いの村でヒンドゥー教とイスラーム教のコミュナル暴動が引き起こされていく過程を淡々と映し出している。
監督はフィーローズ・アッバース・カーン。基本的には舞台劇の監督だが、過去に「Gandhi, My Father」(2007年)を撮っている。キャストは、サティーシュ・カウシク、タンヴィー・アーズミー、ヴィナイ・ジャイン、シャラド・ポーンクシェー、サントーシュ・ジューヴェーカル、アプールヴァー・アローラー、アーローク・ラージワーデー、サティーシュ・アレーカル、スディール・パーンデーイ、ジャイワント・ワードカルなど。
舞台はマハーラーシュトラ州の架空の町チャーンダー。地元紙の新聞社を経営する政治家ムッター・セート(サティーシュ・カウシク)を象った巨大な看板が落下し、馬車使いのハミードが死んだ。町のイスラーム教徒たちはハミードを埋葬しようとするが、ヒンドゥー教徒たちがそれを制止し、死んだのはキシャンでヒンドゥー教徒で、ヒンドゥー教式に葬儀を行うと主張する。ハミードまたはキシャンの遺体を巡ってヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で緊張が高まり、一旦遺体は警察署の死体安置所に保管される。 ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で裁判が行われ、ハミードまたはキシャンのアイデンティティーを証明する書類がなかったものの、彼はヒンドゥー教徒であると判決が下る。喜び勇んだヒンドゥー教徒側は、キシャンを追悼するパレードを計画し、わざわざイスラーム教徒居住区を通ると言い出す。 チャーンダーに新しく赴任した警察官僚ヴィシュワースラーオ(ヴィナイ・ジャイン)は面倒な争いへの関わり合いを避け、部下にそのパレードの管理を任せる。だが、インドの歴史を冷静に見つけるシャーストリー教授(サティーシュ・アレーカル)に一喝され、考えを改める。パレードの日、ヒンドゥー教徒たちを主導するバウデールカル(シャラド・ポーンクシェー)とイスラーム教徒たちを主導するアブドゥル・サッタール(ジャイワント・ワードカル)を予防拘禁し、パレードを止め、町に戒厳令を敷く。遺体はハミードまたはキシャンの弟ラクシュマンに返されるが、結局はイスラーム教式に埋葬された。 ヴィシュワースラーオの赴任地にミスがあり、彼は早くも転勤になる。チャーンダーの港を出港するボートには、バウデールカルとアブドゥル・サッタールが仲良く座っていた。
題名になっている「तमाशा」は「ショー」や「見世物」といった意味で、インド人の会話の中によく出て来る単語である。ネガティブなニュアンスで使われることが多く、この映画でも決していい意味では使われていない。
「Dekh Tamasha Dekh」が鋭く突いていたのは、誰がコミュナル暴動を引き起こしているのかという点である。インドでは特に宗教間での衝突をコミュナル暴動と呼んでおり、過去に各地で大きなコミュナル暴動が起こり、多くの人が死んでいる。その原因は宗教対立なのだが、本来ならばインドでは多様な宗教が共存してきており、自然発生とは考えにくい。
「Dekh Tamasha Dekh」で描かれたヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立において、その直接の発端は、一人の男性の死であった。地元の政治家が町の広場に立てた看板が倒れ、たまたまその下を歩いていた酔っ払いが下敷きになって死んでしまった。彼の名前はハミードといい、世間ではイスラーム教徒とされていた。ところが、彼の元々の名前はキシャンで、ヒンドゥー教徒であった。イスラーム教徒の女性と結婚し、一緒に暮らしていた。争点となったのは、彼が改宗したかどうかだった。
また、もう一点重要なのは、ハミードまたはキシャンの出自がダリト(不可触民)だということだ。彼はヒンドゥー教社会の中で差別を受け抑圧されてきたため、イスラーム教に改宗し、イスラーム教徒女性と結婚していた。いざ彼が死ぬと、ヒンドゥー教徒側が彼をヒンドゥー教徒だと主張し始めたのである。
一見すると、映画はヒンドゥー教徒側が無理難題を吹っかけているように感じられる。ダリトとして差別してきた人物を、死んだ途端にヒンドゥー教社会の英雄に祭り上げ、政治利用しようとした。だが、イスラーム教徒側にも対立を煽る人物がおり、批判を免れていない。そして、ラストで明かされるのは、イスラーム教徒の指導者とヒンドゥー教徒の指導者が裏でつながっていたという事実である。結局、政治家や新聞社など、宗教対立を煽った方が得になる人々がおり、彼らが小さな出来事を針小棒大にして、影響されやすい人々を操って、社会に不安定をもたらし、我田引水している。そんな構造をこの「Dekh Tamasha Dekh」は、風刺の効いた作風で、淡々と映し出していた。
独白や会話などが長めの場面がいくつかあり、舞台劇の風味を感じた。もしかしたら舞台劇用に用意した脚本にもとづいた映画なのかもしれない。映像よりも台詞に知的なウィットが込められていた一方、映像の方はコラージュのように断片的で、何を意味しているのか分からない部分もいくつかあった。非常に作家性を感じる作風であった。
「Dekh Tamasha Dekh」は、低予算かつほとんど話題になっていない映画だが、コミュナル暴動がどのような仕組みで引き起こされていくのかが、かなり鋭い筆致で描かれた優れた風刺映画である。メインとなるのは一人の酔っぱらいの死から引き起こされる宗教対立であるが、それ以外にも断片的にインド社会の多くの事象が取り上げられており、噛めば噛むほど味が出て来る。高く評価したい。