Mastram

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Mastram
「Mastram」

 1980年代から90年代にかけて、インドの鉄道駅の売店などで飛ぶように売れていた官能小説があった。その著者は「マストラーム」のペンネームを使っていたが、いつしか官能小説全体が「マストラーム」と呼ばれるようになった。マストラームは一体誰だったのか、その正体は今日まで不明である。後年になると様々な作家が「マストラーム」のペンネームを使って官能小説を書くようになったので、オリジナルのマストラームを特定するのも困難な状態になっている。

 2013年10月17日にムンバイー映画祭でプレミア上映され、2014年5月9日に劇場一般公開された「Mastram」は、謎の官能小説家マストラームの伝記映画である。ただし、マストラームの正体は全くベールに包まれているため、アキレーシュ・ジャイスワール監督が想像で物語を作り上げた。よって純粋な意味での伝記映画ではない。ジャイスワール監督は、アヌラーグ・カシヤプ監督の「Gangs of Wasseypur」シリーズ(2012年/Part 1Part 2)で共同脚本家を務めた人物で、これが初監督となる。

 キャストは、「Luv Shuv Tey Chicken Khurana」(2012年)のラーフル・バッガー、新人ターラー・アリーシャー・ベリー、イシュティヤーク・カーン、ヴィノード・ナハルディー、アーカーシュ・ダーヒヤーなどである。また、ヨー・ヨー・ハニー・スィンが音楽を提供している。

 1980年代、ヒマーチャル・プラデーシュ州の田舎町に住むラージャーラーム(ラーフル・バッガー)は銀行に勤めながら小説を書いていた。彼の夢は小説家になることだったが、地元の出版社は誰も彼の小説を出版してくれなかった。叔父に言われ、ラージャーラームはレーヌ(ターラー・アリーシャー・ベリー)と結婚する。妻の理解も得られたため、ラージャーラームは銀行を辞め、小説家の道を歩み始める。

 あるときラージャーラームはプローヒト出版という出版社を訪ね、自分の書いた小説を預けてくる。だが、出版の可否を決めるバールティー(アーカーシュ・ダヒヤー)は「マサーラー」が足りないと突っぱねる。以後、ラージャーラームは「マサーラー」とは何かについて考え始める。行き着いたのがエロであった。一念発起したラージャーラームは官能小説を書き上げ、プローヒト出版に持って行く。プローヒト社長(ヴィノード・ナハルディー)もバールティーもそれを気に入り、「マストラーム」のペンネームと共に出版する。その官能小説は大ヒットになった。

 ラージャーラームは周囲の人々を題材に妄想を膨らませ、次々に官能小説を書いていった。瞬く間に「マストラーム」の名前は物好きな男性たちの間に知れ渡る。ラージャーラームの手元にはまとまった金が入ってくるようになるが、レーヌにはどんな小説を書いているのかを秘密にしていた。

 「マストラーム」が人気になるにつれて、その模倣品も出回るようになる。それらはもっと過激であり、本家のマストラームの売上は減少する。報酬を巡ってラージャーラームは出版社と喧嘩をし、収入がなくなってしまう。ラージャーラームは真面目な小説を書きたくて、デリーの出版社にも出向くが、誰にも相手にしてもらえなかった。だが、「マストラーム」の名前を出すと食いつく出版社はいた。

 故郷に戻ったラージャーラームは再びプローヒト出版を訪ね、また「マストラーム」を書く契約を結ぶ。だが、彼の親友マヘーシュ(イシュティヤーク・カーン)は行動を怪しみ、彼を尾行していた。マヘーシュはラージャーラームこそが「マストラーム」であることを突き止め、家族の前で暴露する。ラージャーラームは家族からの信頼を失うが、彼の書いた小説はインド全国で広く読まれるようになる。

 映画のポスターには、「もしあなたが彼のことを知らなければ、父親や叔父に聞いてください。すぐに!」と書かれている。マストラームは1980年代から90年代に掛けて一世を風靡した官能小説家であり、もしかしたら現代の若者は既にその名前を知らないのかもしれない。筆者がインドに住んでいたのも2001年から2013年であるため、マストラームについてはこの映画に出会うまで全く知らなかった。

 アキレーシュ・ジャイスワール監督は、「Gangs of Wasseypur」シリーズの製作中にマストラームについて映画を作ることを思いつき、取材を開始したという。彼の故郷ボーパールや首都デリーなどの出版社に問い合わせたが、誰もマストラームについて情報を提供してくれなかった。かつてマストラームの官能小説を出版していた出版社も探してみたが、全て潰れていたという。よって、マストラームはどんな人物だったのかを全くの空想によって創り上げなければならなかった。

 ジャイスワール監督が創り上げたマストラームの正体は、ヒマーチャル・プラデーシュ州の田舎町に住む純朴な青年であった。ラージャーラームは小説家になる夢を抱きながら、銀行で退屈な仕事をしている。彼が一生懸命書いた小説や詩が少しだけ紹介されていたが、素人でも分かるくらいにいまいちで、当然、出版社からは相手にされなかった。そこで彼が書き始めたのが官能小説だった。これが大ヒットしたのである。

 1980年代のインド社会は非常に保守的だった。官能小説家をしていると家族や近所に知れたら村八分に遭ってしまう。ラージャーラームは自分がマストラームであることをひた隠しにしながら官能小説を書き続けた。

 もちろん、マストラームの知名度が上がれば上がるほど、彼の正体がばれるリスクは上がった。しかも、ラージャーラームは周囲の人々を登場人物にして卑猥な妄想を膨らまし、官能小説を書いていたため、ますますばれるリスクがあった。最後には親友の裏切りに遭って家族にばれ、彼は行き場を失ってしまう。

 その後、彼がどうなったのか、特に妻のレーヌとの関係はどうなったのか、映画では曖昧にされていた。彼の正体が暴露されることで映画はエンディングを迎えている。この辺りをしっかりまとめることができれば、より完成度の高い作品になっていたことだろう。

 官能小説家が主人公の映画であるため、性描写はインド映画レベルでは激しい方である。局部の露出はないものの、小説の内容が映像化されるときにエロティックな描写がある。特に新人のターラー・アリーシャー・ベリーにとってはハードルの高い役柄だっただろうが、体当たりの演技でこなしていた。

 「Mastram」は、1980年代から90年代のまだ娯楽が少なかったインドにポルノを持ち込み、静かなセンセーションを巻き起こしたマストラームを題材にした映画だ。しかし、マストラームの正体は全く不明であり、アキレーシュ・ジャイスワール監督が空想によって創り上げた完全なフィクション映画になる。うまくまとまっていなかったが、映像は美しく、ストーリーテーリングも悪くない。観て損はない映画である。