ヒンディー語映画界が本格的に子供向け映画を作り始めたのは21世紀に入ってからで、その先駆けといえるのは、ヴィシャール・バールドワージ監督の「Makdee」(2002年)だった。その後、初の国産アニメ映画「Hanuman」(2005年)などを経て、キッズ映画がジャンルとして完全に確立した。ただ、やはり子供向け映画ということで、大人の鑑賞に耐えるような質の作品はなかなか出て来なかった。
2011年7月8日公開の「Chillar Party」は、おそらくヒンディー語映画史上、子供向け映画の最高傑作に数えられる一本である。プロデューサーはロニー・スクリューワーラーとサルマーン・カーン、監督はニテーシュ・ティワーリーとヴィカース・ベヘル。多数の子役俳優たちがキャスティングされている他、ラージェーシュ・シャルマー、アーカーシュ・ダヒヤー、シャシャーンク・シンデー、パンカジ・トリパーティー、スワーラー・バースカルなどが出演している。また、ランビール・カプールがエンドクレジットでサプライスゲストとして「Tai Tai Phish」を踊っている。
ムンバイーの団地チャンダンナガル・ソサイエティーには、エンサイクロペディア、アフラトゥーン、アクラム、ジャンギヤー、セカンドハンド、パナウティー、サイレンサー、シャオリンなど、個性的な子供たちが徒党を組み、「チッラル・パーティー」と呼ばれていた。団地の自治会長LNタンダン(ラージェーシュ・シャルマー)とは犬猿の仲だった。 ある日、チャンダンナガル・ソサイエティーに、ファトカーという少年と、彼の飼い犬ビールーがやって来る。当初、チッラル・パーティーはファトカーに悪戯をしていたが、クリケットの試合をきっかけにしてファトカーもチッラル・パーティーの一員になる。ビールーもみんなに可愛がられるようになる。 しかし、福祉大臣のシャシカーント・ビーレー(シャシャーンク・シンデー)の秘書ドゥベー(パンカジ・トリパーティー)がビールーに襲われたことをきっかけに、ビーレー大臣は野良犬排除に乗り出す。ビールーを救うには、団地に住む住民から過半数の「NOC(異議なし証明書)」を集めなければならなかった。 チッラル・パーティーは、ファトカーの助言のおかげでラジオジョッキーになれたグーグリー(アーカーシュ・ダヒヤー)の協力を得たりして、あの手この手を尽くしてNOCを集めようとするが、なかなか過半数には届かない。子供たちはパンツ一丁でデモ行進まで行う。 見かねたビーレー大臣はTVの公開討論会にチッラル・パーティーを招待する。そこで子供たちは自分の行動を堂々と正当化し、人々の共感を得る。最後までビールーを追い出そうとしていたタンダン自治会長もNOCを出し、過半数が集まった。こうしてビールーはチャンダンナガル・ソサイエティーにいられるようになる。
野良犬が主人公の映画は、何かと野良犬を排除しようとする保健所などが敵として提示されやすい。ディズニーの「わんわん物語」(1955年)からヒンディー語の3Dアニメーション映画「Roadside Romeo」(2008年)まで、見事にこのパターンである。「Chillar Party」も、基本的には子供の集団が主人公の映画なのだが、ビールーという名の犬が重要な役割を果たし、やはり野良犬駆除が物語の原動力となっていた。
だが、あくまで野良犬の問題は子供たちが直面した課題であって、映画が本当に焦点を当てていたのは、子供たちが自分たちで知恵を絞り、力を合わせて課題を解決しようとする姿であった。その演出のため、主人公として個性的な子供たちが用意された。頭脳明晰なアフラトゥーン、映画の物真似がうまいジャンギヤー、アンラッキーなパナウティーなど、それぞれが見せ場を持っている。また、舞台となっているチャンダンナガル・ソサイエティーに住む住民は基本的に中産階級で、その子供たちは何不自由ない生活を送っているのだが、そこへ身寄りのない少年ファトカーがやって来ることで、化学反応が起きる。ファトカーは、団地の自動車を洗う仕事をすることになった。
チッラル・パーティーの子供たちは、ファトカーから大切なことを教わる。例えば、彼らは両親から叱られる恐れがなく、学校にも行っていないファトカーを羨ましがる。だが、ファトカーは、たとえ親や先生に叱られるとしても、勉強をしないといけなくても、両親がいて、学校に行っている方が幸せだと答える。食べたくないものを食べさせられることへの不満を漏らす子供もいたが、ファトカーは、毎日食べ物の心配がないこと以上の何を求めるのかと言う。ストリートチルドレン同然の人生を送ってきたファトカーの何気ない言葉は、恵まれたチッラル・パーティーの子供たちの価値観を大いに揺さぶる。
また、何かの課題を解決しようと団結する子供たちに対し、大人がどういう態度を取らなければならないかも示されていた。ビールーの問題が大事になり、子供たちがTVで大臣と公開討論をしなければならなくなったことで、親たちは集まって相談し、子供たちを行かせないようにしようとしていた。敗北は明らかだったからだ。しかし、親たちの中でもっとも理解のあった、エンサイクロペディアの父親は、子供たちに、戦う前に負けを認めることを教えてはいけないと主張する。負けるなら、戦って負けるべきだ、と。それはたとえ負けでも、負けではない。特に、インドの未来を担う子供たちにとって、それは大きな学びとなる。
ファトカーは、故郷に帰省する祖父に代わりにチャンダンナガル・ソサイエティーで洗車の仕事をしていた。何とかチッラル・パーティーを潰したいビーレー大臣は、団地の人々が児童労働をさせていると告発する構えも見せる。政治家らしい策略に見えるが、確かにファトカーがしていることは児童労働である。ファトカーは解雇され、団地を去ることになる。だが、チッラル・パーティーはファトカーを引き留めるために奇策に打って出る。大人が子供を働かせたら児童労働だが、子供が子供を働かせたら児童労働にならないと主張し、お小遣いを出し合ってファトカーを雇ったのである。
脚本がよく出来ており、子役のキャスティングにも成功していて、観ていると、子供はもちろんのこと、大人もついつい童心に返ってチッラル・パーティーを応援してしまう。キッズ映画とはいうものの、本当に優れたキッズ映画は、大人も子供も等しく楽しめるものだ。「Chillar Party」は、その要件を十分に満たす作品であり、ヒンディー語映画が誇る傑作キッズ映画の一本である。