本日(2011年5月20日)には数本のヒンディー語映画が公開されたが、その中から「Pyaar Ka Punchnama」を選んだ。新人監督と新人俳優による全くノーマークだった映画であるが、ポスターを見る限りお気楽なラヴコメだと予想されたのが、この作品を選んだ理由であった。ところが意外にヘビーなロマンスであった。
監督:ラヴ・ランジャン
制作:アビシェーク・パータク
音楽:クリントン・セレジョ、ヒテーシュ・ソーニク、ラヴ・ランジャン、アド・ボーイズ
歌詞:ラヴ・ランジャン
振付:レモ・ディスーザ
出演:カールティク・アーリヤン、ラーヨー・バキルター、ディヴェーンドラ・シャルマー、ソーナーリー・セヘガル、ヌスラト・バルチャー、イシター・シャルマー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
デリーに住むラジャト(カールティク・アーリヤン)、ヴィクラーント(ラーヨー・バキルター)、ニシャーント(ディヴィエーンドラ・シャルマー)は同じフラットに住むルームメイトで、気心の知れた仲間であった。三人は別々の職場で働いていた。
ある日ラジャトはカラオケバーでネーハー(ヌスラト・バルチャー)という女の子と出会い、二人は付き合い出す。ネーハーはラジャトの家に入り浸るようになったが、ヴィクラーントとニシャーントが二人に気を遣うようになったため、ネーハーは彼らの家の近くに家を借り、親に内緒でラジャトと一緒に住むようになる。
また、同じ頃ニシャーントは新入社員のチャールー(イシター・シャルマー)と出会い、恋に落ちる一方、ヴィクラーントはリヤー(ソーナーリー・セヘガル)とデートをするようになる。ところがチャールーにはハイダラーバードに住むアビシェークというボーイフレンドがおり、遠距離恋愛をしていた。また、リヤーにはヴァルンという元彼がおり、別れた後もリヤーに付きまとっていた。
ラジャトは当初ネーハーとラヴラヴの生活を送っていたが、次第にネーハーの我がままさや高圧的な態度に辟易するようになる。ヴィクラーントとニシャーントもチャールーやリヤーとのゴタゴタで忙殺され、三人はしばらく一緒にエンジョイしていなかった。そこで三人は男だけで週末にゴアへ行くことを決める。ところがそれを聞きつけたネーハーが一緒に行くと言い出し、なし崩し的にチャールーとリヤーも行くことになってしまう。ゴアではラジャト、ヴィクラーント、ニシャーントは女たちから逃れて男だけで楽しもうとするが、なかなかチャンスはなく、徒労に終わる。
ラジャトとネーハーの関係は次第に冷え込んで行く。ネーハーは親からお見合いを強要されており、それもラジャトを悩ました。最初はネーハーの我がままに合わせていたラジャトであったが、とうとう我慢し切れなくなり、同居していた家を飛び出す。
ニシャーントはチャールーとは「友達」と言うことになっていたが、彼女が思わせぶりな態度を取っていたために、関係の進展を期待していた。お人好しのニシャーントは、チャールーがアビシェークに会いにハイダラーバードへ行ったときにも、美容院や買い物に付き合ったり、仕事を代行したりしていた。しかもチャールーはアビシェークとの関係に悩み自殺を考えるといち早く彼女の家に駆けつけたりして精一杯ケアしていたのだが、最終的にチャールーはニシャーントをストーカー扱いし絶交を突き付ける。
ヴィクラーントはリヤーと付き合っていたのだが、リヤーは未だに元彼のヴァルンのことを忘れられていなかった。しかもリヤーはヴァルンとの関係についてヴィクラーントの干渉を嫌い、何の助言も忠告も受け容れなかった。また、ヴァルンはヴィクラーントの職場に来てまで脅して来た。さらにリヤーはある晩ヴァルンと寝てしまう。これを聞いたヴィクラーントは耐えきれなくなり、リヤーのもとから立ち去る。
結局ラジャト、ヴィクラーント、ニシャーントの三人は恋愛を物にできなかった。だが、不思議と三人は爽快感に溢れていた。そして前のようにダーバー(安食堂)でビールを飲み交わす。
「ノー・ガールフレンド・ノー・テンション」という言葉があるが、正にそれを具現化していた映画であった。主人公は3人の若い男性。大の仲良しで、お互いに冗談を言い合いつつ、和気藹々と暮らしていた。ところが三人はほぼ同時期にそれぞれ恋に落ち、人生を大いに狂わされる。三者三様のもがき方をするが、結局三人とも恋に破れ、元の気ままな「独身」生活に戻る。そういう内容の映画であった。題名の「パンチナーマー」とは大修館ヒンディー語=日本語辞典によると「裁定書、調停書」とのことだが、内容からすると「検死報告書」と訳した方が内容に近い。三人とも恋愛において死人となり、映画を通してその検死が行われるからである。特に映画のメッセージが出ていたのは、ラジャトが恋人ネーハーへの不満をヴィクラーントにぶつけるシーンである。その中で彼は、男女の付き合いの中で男性が女性から被る数々の不条理を告発する。かなり長いシーンでいろいろなことを口走るのだが、その中で、「『成功した男の影には必ず女がいる』と言われているが、『失敗した男の影にも必ず女がいる』となぜ誰も言わないんだ?しかも世の中には失敗する男の方が多いじゃないか!」という台詞がもっとも端的であった。
言わば、「Pyaar Ka Punchnama」は、男性側の視点から、女性のおかしな点を突いた作品となっている。よって完全に男性向けの映画である。放送禁止用語も多く、ロマンス映画ながらデートには向かない作品だ。決してつまらない映画ではなかった。台詞の応酬は秀逸であったし、ブラックユーモアも利いていた。しかし、2つの点でこの映画からは爽快感が得られなかった。
ひとつは、登場する女性キャラクターが皆性悪であることである。ネーハーは我がままで、独占欲が強く、ボーイフレンドを使用人のようにこき使い、自分の思い通りにならないとすぐに相手をなじり、ひとときも彼氏をリラックスさせられない女性である。挙げ句の果てに、親から強要されたお見合いをネタに使ってボーイフレンドの気持ちを試すような行為をする。チャールーは、本命のボーイフレンドと遠距離恋愛しながら、近場にいる男性をうまく操って自分の利益につなげる。そして2人を天秤にかけながら、最終的に片方を容赦なく蹴落とすという女性である。リヤーは、別れた彼氏との関係を清算できず、しかも今の彼氏に対して、過去を精算できないことを「仕方がない」と言ってごまかし、プライベートな問題と言って干渉を拒み、結局堂々と二股をかけ続ける。
もうひとつの理由は、男性キャラクターがあまりに弱々しいことである。一体いつからインド映画の男性はこんなにも弱くなってしまったのだろうか?日本では既にそういう現象が始まっていたが、遂にインド映画の世界でも本格的に「強い女性と弱い男性」の構図が市民権を持ち始めつつあるように感じる。ラジャト、ヴィクラーント、ニシャーントの三人はあまりに恋愛耐性が低く、女性に打ちのめされ、涙を流す。ようやくエンディング間近になってラジャトは今まで奴隷のように仕えて来たネーハーに三行半を突きつけ、関係にピリオドを打つ。必死で引き留めるネーハーに対してラジャトは「お前は価値のない女だ」と言い放つ。今まであまりにラジャトが情けなく、ネーハーの言動に虫酸が走る思いがしていた観客からは拍手喝采が飛んだ。この作品中唯一爽快だったシーンである。だが、ニシャーントはあくまで情けない。今まで一生懸命支えて来たチャールーに残酷な言葉で絶交を突き付けられたニシャーントは、しばらくショックのあまり落ち込むが、ラジャトやヴィクラーントに励まされ、チャールーの家へ行く。そこにはチャールーが遠距離恋愛していたボーイフレンド、アビシェークもいた。ニシャーントはなぜかアビシェークに平手打ちを喰らわせ、立ち去る。なぜアビシェークをぶたなければならなかったのか?ぶたなければならなかったのはチャールーではないか?この動機については映画の最後でネタにされて有耶無耶にされていたが、納得いかない部分であった。
このように脚本に対して疑問は感じたものの、新人の映画監督が、無名の新人六人を主人公に起用して撮った映画であり、その内容もなかなか今まで見られなかったような展開で、野心的な作品であった。ラヴ・ランジャン監督は脚本の他に作詞作曲も担当しており、マルチタレントな人材と見える。ただ、最近の映画にしては上映時間が長く、2時間半以上あった。そのせいで中だるみしていたきらいもあった。もう少し簡潔にまとめても良かったのではないかと思う。
6人の新人俳優の中で、ビジュアル的にもっとも将来性を感じたのはヴィクラーントを演じたラーヨー・バキルターであった。ワイルドでクールなルックスをしており、主役級のオーラがあった。ただ台詞が聴き取りづらかったので、もう少し滑舌をよくしてもらえると助かる。台詞回しではニシャーントを演じたディヴィエーンドラ・シャルマーがもっとも秀でていた。演技力でもディヴィエーンドラがピカイチで、演技力を要する役を今後もこなしていけば成長が見込める。ラジャトを演じたカールティク・アーリヤンがもっとも弱かったが、部分部分で見せ場があり、まだ伸びしろはある。男優陣に比べて女優陣は個性不足である。まずチャールーを演じたイシター・シャルマーは全くいけていない。リヤーを演じたソーナーリー・セヘガルは身長の高さが災いして役を選びそうだが悪くない演技だった。もっともハッスルしていたのはネーハーを演じたヌスラト・バルチャーであるが、もっとも観客の反感を買う役を演じていたのも彼女であり、そのイメージが固定してしまうと今後のキャリアに支障が出るかもしれない。
音楽はクリントン・セレジョ、ヒテーシュ・ソーニク、ラヴ・ランジャン、アド・ボーイズの合作。冒頭で流れる「Life Sahi Hai」が秀逸であったが、他にもいい曲があり、全体的に低予算の割には音楽のいい映画であった。
言語は基本的にヒンディー語で、英語の混交率も高い。だが、写実的な台詞である上に若者言葉やスラングが多用されており、聴き取りは困難な部類に入る。
ロケの大部分はデリーまたはNCR(首都圏)で行われている。ニューデリーの象徴インド門は何度も出て来たし、ノイダのセクター93にある高級マンション群でも撮影が行われていた。よって、最近流行のデリー映画のひとつに数えられる。
「Pyaar Ka Punchnama」は、全く無名の監督と俳優によるヘビーなロマンス映画である。男性視点の女性批判的内容であり、男性側からしたら、「よくぞ言ってくれた」と思わず膝を打つシーンがいくつかあって意外に楽しめる。ただ、女性が見た場合にどういう印象を持つかは分からない。しかし女性キャラが皆あまりに性悪であるため、その点でも感情移入が難しくなるかもしれない。ライトなラブコメを期待して見るとガッカリするだろうが、映画としては、無名のタレントによる作品にしては音楽も含めてなかなか良くできており、佳作と評することができる。