2009年12月31日公開の「Bolo Raam」は、女性教師の殺人事件を巡るスリラー映画である。題名は「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子の名前を唱えろ、という意味にもなるし、第一容疑者となって黙秘を続ける主人公ラームに対して「話せ」と促している意味にもなる。公開当時、インドに滞在していたが、見逃している。2023年8月26日に鑑賞し、このレビューを書いている。
監督はラーケーシュ・チャトゥルヴェーディー・オーム。本業は俳優であり、「Padman」(2018年/邦題:パッドマン 5億人の女性を救った男)や「Kesari」(2019年/邦題:KESARI/ケサリ 21人の勇者たち)などに出演している。彼が監督をしたのはこの「Bolo Raam」が初めてである。
主演はリシ・ブーターニーとディシャー・パーンデーイ。どちらも新人である。この映画でデビューした後、両者ともいくつかの映画に出演はしているものの、大きな飛躍はない。「Bolo Raam」での演技にも目を引くものはなかった。
ただし、脇を固めている俳優たちには実力派が多い。オーム・プリー、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、ナスィールッディーン・シャー、パドミニー・コーラープレー、ラージパール・ヤーダヴ、マノージ・パーワーなどである。
舞台はウッタラーカンド州ラクサル。女性教師アルチャナー・カウシク(パドミニー・コーラープレー)の遺体が自宅で発見され、一緒にいた息子のラーム(リシ・ブーターニー)が逮捕された。アルチャナーはナイフで腹部を刺されていた。事件を担当したサージド・アハマド・カーン警部補(ゴーヴィンド・ナームデーヴ)はアルチャナーの隣人であり、彼らのことをよく知っていた。彼の長男サミールや長女のジューヒー(ディシャー・パーンデーイ)はラームと同じ学校に通っていた。ところが、ラームは逮捕直後から黙秘を続け、事件の真相がよく分からなかった。精神科医ネーギー(ナスィールッディーン・シャー)がラームの精神鑑定をしたが、正常だと診断した。 カーン警部補の上司ラーティー警部(オーム・プリー)は、カーン警部補の子供サミールやジューヒーを警察署に呼び事情を聞く。カーン警部補はそれに腹を立てる。容疑者としては、カウシク家に出入りしていた馬使いアートマーラーム(ラージパール・ヤーダヴ)なども上がる。また、ジューヒーはラームに片思いをしており、カーン警部補がそれを叱責したこともあった。 ラームは、倒れていた母親に渡されたボタンがサミールのシャツのものであることに気付く。ラームは拘置されていた警察署を脱出し、カーン警部補の家に侵入する。ラームはサミールを殴り、なぜ母親を殺したのか問いつめる。そこへラーティー警部とカーン警部補もやって来る。 サミールが語ったところでは、彼は近所に住むマウラーナー(イスラーム教宗教指導者)に感化されており、原理主義への道を歩んでいた。ところが、彼が原理主義の本を読んでいたところをアルチャナーに見つけられ、焦った彼はアルチャナーを刺してしまう。これが事件の真相だった。 サミールは銃を奪ってカーン警部補やラーティー警部を撃つが、ラームに取り押さえられ、殺される。サミールは母親の葬儀を執り行う。
2008年に、パーキスターンから送り込まれたテロリストたちがムンバイーのチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅やタージマハル・ホテルでテロを行うという事件があった。この事件に代表されるように、当時のインドではイスラーム教過激派テロリストによるテロ事件が相次いでいた。ムンバイー同時多発テロ事件のように、パーキスターンからテロリストが送り込まれることが大半であったが、中にはインド出身のイスラーム教徒若者がインドにおいてテロ事件に関与することもあった。
ただ、テロリストはイスラーム教徒だけではなかった。イスラーム教徒テロリストによるテロ事件ほど大々的なニュースにはなっていないが、同じ頃のインドでは、ヒンドゥー教徒テロリストによる、いわゆる「サフラン・テロリズム」も起こっていた。例えば2008年にはグジャラート州やマハーラーシュトラ州で爆弾テロがあり、その実行犯として、ヒンドゥー教過激派団体アビナヴ・バーラトの名前が挙がった。
「Bolo Raam」は、このような世相の中で作られたスリラー映画である。主人公ラームは、母親と二人暮らしの青年であった。父親は離婚しており同居しておらず、ラームは母親の愛を一身に受けて育っていた。そんなラームが母親の遺体と共に発見された。ラームは第一容疑者となるものの、彼が母親を自ら殺めたとは考えにくかった。では、誰が?この謎が物語全編を通して解明されていく。
その中で、ラームが寺院に住むパンディト(僧侶)からヒンドゥー教について教えを受けていたことが明らかになる。ラームは毎朝熱心にヴリクシャーサナ(片脚立ちのポーズ)でマントラを唱えていたし、パンディトからは「マハーバーラタ」について講釈を受け、アダルマ(悪)を滅ぼすことがダルマ(善)である教えられる。また、母親は息子のその求道心を快く思っていなかった。これらのシークエンスから、ラームはヒンドゥー教過激派思想に感化され、何らかのきっかけによって母親を殺した可能性もあることが示唆される。
しかしながら、真犯人は隣人のサミールであった。サミールは、原理主義思想を持つマウラーナー(イスラーム教宗教指導者)に感化されつつあった。それをアルチャナーに見られてしまい、父親に知られる恐れがあったため、咄嗟に彼女を刺してしまったというのが事件の真相だった。真相発覚後、マウラーナーは逮捕される。
この真相に行き着くまでには、名誉殺人の可能性も示唆されていた。カーン警部補の娘ジューヒーはラームに片思いしていた。ジューヒーはイスラーム教徒であり、ラームはヒンドゥー教徒であった。つまり、二人の宗教は異なっていた。カーン警部補は娘がラームに恋心を抱いているのを知り、それを許さない。カーン警部補が娘とラームがくっ付くのを避け、家の名誉を守るために、先手を打ってラームを殺した可能性もあったのだが、それは否定される。
脚本は殺人事件を巡るスリラーであり、しかもインド特有の問題も盛り込まれていて、悪くはなかった。しかしながら、監督と主演二人が新人ということで、引き締めが足りなかった部分が多かった。意味のない間があったし、真犯人に行き着くまでの伏線ももう少し張り巡らせておくべきだった。ベテラン俳優たちが脇を固めており、その辺りは大いに支えになっていたが、ラームを演じたリシ・ブーターニーとジューヒーを演じたディシャー・パーンデーイの演技力不足を埋め合わせるほどまでは行かなかった。
舞台はウッタラーカンド州ラクサル。実在する町ではあるが、実際に当地でロケが行われたのかは不明だ。風景を見ていると、どうもマハーラーシュトラ州で撮られたのではないかと思ってしまう。ただ、ラクサルを舞台だと提示する深い意味は感じられなかったので、本当にラクサルで撮影された可能性も否定できない。
「Bolo Raam」は、新人監督が新人俳優を主演に据えて撮ったスリラー映画だ。当時の世相を反映しており、脚本も悪くないものの、監督と主演俳優たちの経験不足により、まとまりに欠ける映画になっている。興行的にも大失敗に終わっている。決してつまらない映画ではないが、無理して観るべき映画でもない。