全くノーマークだったのだが、2009年8月14日から、サントーシュ・シヴァン監督の英語映画「Before the Rains」が公開されていた。この映画の初公開年は2007年であり、なぜこの時期にインドで初公開となったのかについては謎である。ただ、インド独立運動が高揚しつつあった1937年のインドを舞台としており、そのためにわざわざ独立記念日の週での公開を狙っただろうことだけは予想できる。
「Before the Rains」は、イスラエル映画「Yellow Asphalt」(2001年)の中の「Red Roofs」という短編を原作としている。映像の美しさで知られるサントーシュ・シヴァンが監督を務め、インドを代表する演技派俳優であるラーフル・ボースとナンディター・ダースが主演している他、ライナス・ローチ、ジェニファー・エール、ジョン・スタンディングなどの英国人俳優が出演している。
監督:サントーシュ・シヴァン
制作:ダグ・マンコフ、アンドリュー・スポールディング、ポール・ハーダート、トム・ハーダート、マーク・バートン
音楽:マーク・キリアン
衣装:SBサティーシャン
出演:ライナス・ローチ、ラーフル・ボース、ナンディター・ダース、ジェニファー・エール、ジョン・スタンディング
備考:DTスター・サーケートで鑑賞。
1937年、ケーララ州の森林地帯。英国人ヘンリー・ムールス(ライナス・ローチ)は香辛料プランテーションの造園を計画しており、そのために近隣の村人たちを使って道路を建設していた。地元出身のTKニーラン(ラーフル・ボース)は、英語を学んでいたためにヘンリーの右腕となって働いていた。ヘンリーはTKの働きに感心し、彼に銃をプレゼントする。また、ヘンリーの家でメイドをするサジャーニー(ナンディター・ダース)は、既婚でラジャトという旦那がいたが、ヘンリーと恋に落ちていた。
ある日、英国からヘンリーの妻ローラ(ジェニファー・エール)と息子ピーターが帰って来る。今まで誰にも邪魔されることなくヘンリーと愛し合っていたサジャーニーの置かれた環境は一変する。そんなとき、ヘンリーとサジャーニーが聖なる森の滝で愛し合っていたところを目撃していた子供たちが、ラジャトにそのことをばらしてしまう。ラジャトは怒ってサジャーニーに暴行を加えるが、サジャーニーは相手がヘンリーであることだけは話さなかった。そのままサジャーニーは助けを求めてヘンリーの家までやって来る。
もしヘンリーがサジャーニーに手を出したことが村人たちにばれてしまったら、反英運動が盛り上がりつつある村は大騒動となる。ヘンリーはとりあえずサジャーニーをTKの住む使用人小屋に連れて行く。そしてTKにサジャーニーをどこか遠くへ連れて行くように命じる。TKはサジャーニーをボートに乗せて送り出す。ところがサジャーニーは帰って来てしまう。サジャーニーはヘンリーに裏切られたことを知り、彼の目の前で、TKの銃によって自殺してしまう。ヘンリーとTKは密かにサジャーニーの遺体を聖なる森の河に沈める。
サジャーニーが突然消えたことで、サジャーニーの兄マーナスは村人を動員して捜索を始める。捜索ではサジャーニーは見つからなかったが、聖なる森で遊んでいた子供たちが偶然サジャーニーの遺体を発見する。銃殺され沈められていたことで、殺人事件として捜査が始まる。
村人たちはTKを犯人だと考えた。なぜならTKが銃を持っているのをマーナスが以前に見ていたからである。また、TKはサジャーニーを家まで送ったこともあった。マーナスやラジャトはTKを捕まえ、彼の父親を含む長老たちの前に突き出す。板挟みになったTKは、自分はやっていないと主張するしかなかった。そこで、真実と嘘を判別するカンマダンという伝統的儀式が行われることになった。その儀式によってTKの潔白は証明された。TKは、サジャーニーは自殺したのだと訴える。だが、自殺したサジャーニーを河に沈めた人間がいるはずであった。父親はTKが、誰が犯人か知っていると感じた。とうとうTKは、ヘンリーの名前を出してしまう。TKは、ヘンリーを殺す使命を与えられ、そうしなければ村八分にされることになった。
一方、ヘンリーの家では、ローラが夫の行動に不審を感じていた。ローラは直感から、夫がサジャーニーに手を出していたことを感じ取る。ローラとピーターは急遽英国に帰ることになった。一人残されたヘンリーは、完成間近の道路へ行く。そこでTKはヘンリーを殺そうとするが、彼にはできなかった。TKはヘンリーに、英国に帰るようにとだけ言い残し、去って行った。
主人とメイドの禁断の恋愛という、目新しくない要素が物語の核となっているものの、1937年という時代設定とケーララ州の美しい自然、そしてサントーシュ・シヴァン監督の映像美のおかげで、魅力ある映画になっていた。もしこれを一種の犯罪映画だとすれば、主人公はメイドのサジャーニーを自殺に追い込み、それを必死に隠蔽する英国人ヘンリー・ムールスになる。だが、それは必ずしも物語の核心ではない。一方、英語を習ったおかげで英国人に仕える機会を得、出世を夢見るTKが、インド人としてのルーツとの間に板挟みになる様子を物語の中心だと考えると、より深い読みのできる映画となる。ただ、心情描写は弱く、TKのその葛藤がよく表現されていた訳ではない。TKはあくまで主人のヘンリーを守ろうとし、最後の最後でどうしようもなくなったときに初めてヘンリーをサジャーニー自殺の原因と暴露している。
題名の「Before the Rains」には、第一義として、雨季前に道路を完成させようとしていたヘンリーの野望が象徴されている。だが、伝統的に雨頼みの農業をしているインドにおいて、「雨」という言葉には、「歓喜」の感情が含まれる。そしてそれをこの映画のプロットに当てはめた場合、それは「インド独立」と言い換えることができるだろう。つまり、インド独立前、インドを植民地支配していた英国人が、徐々にインドを撤退せざるをえなくなる状況に焦点が当てられている。ラストでもTKはヘンリーに、インドを出て行くように忠告する。TKは銃を持っており、丸腰のヘンリーを殺すこともできたが、それはしなかった。これは、非暴力によって独立を成し遂げたことを象徴しているのであろう。
英領時代のケーララ州の森林を舞台に、主人、メイド、アシスタントの人間関係を中心に物語を紡ぎ出したことは良かったが、独立運動という要素を入れたために、多少プロパガンダ映画の色が出てしまい、それがかえって全体の美しさを損なっていたようにも感じた。純粋な人間ドラマとして映画を完成させていたら、もっとユニバーサルなアピールのある映画になっていたのではないかと思う。
主演のライナス・ローチという英国人俳優については全く知らないのだが、「Batman Begins」(2005年)や「The Namesake」(2006年/邦題:その名にちなんで)などに出演している。どうやらインド放浪経験があり、インド好きだと思われる。ラーフル・ボースは、この映画の真の主役と言っていい。いつものおどおどした演技であった。ナンディター・ダースの出演機会は案外少なかったが、サーリー姿がとても美しく、演技にも力が入っていた。
劇中では、ケーララ州の自然だけでなく、文化に関する映像もあった。例えば何らかの祭りにおけるピーコックダンスが一瞬だけ出て来ていたし、真実と嘘を判別するカンマダンという儀式も登場した。
言語は基本的に英語だが、ケーララ州を舞台にしている影響で、マラヤーラム語の台詞も頻繁に登場する。マラヤーラム語の台詞には英語の字幕が付く。ちなみに、サントーシュ・シヴァン監督自身がケーララ州出身である。
「Before the Rains」は、完全に映画祭向けの上質な映画を好むハイソな観客層のための映画である。最大の売りはサントーシュ・シヴァン監督の映像美。ナンディター・ダースのファンにもお勧めできる。